いつみきとてか恋しかるらむ2

多美がいとこの涼子と数年振りに再会したのは高1の冬、祖母のお葬式でだった。多美ちゃん、と呼んだその声は涼子がもう子供時代を置いてきたのだと多美の耳に響いた。

出棺の時間になって眠ったような祖母の顔を見るなり、多美は感情とは別のところで涙が流れるのに気がついた。おばあちゃんはもうここにはいない。多美にとっては初めての肉親との別れだった。

その時、涼子の母が泣き出した。叫んだと言っても過言ではなかった。

「おかあさん、どうして、どうして死んじゃったの。あたしはおかあさんに褒められたくて頑張ってきたのに、どうしたらいいの」

多美の母である多賀子は久しぶりに会った妹の取り乱しようにぎょっとして自分の涙はすっかり引っ込んでしまった。一番下の妹の乃里子が涼子の母をお棺から引きはがすように腕を組んで多賀子のところに連れてきた。

長女で喪主の多賀子は内心いろいろ言いたいことはあったが、とりあえず葬儀を無事に終わらせることが自分の役割だと考えて黙っていた。涼子の父は少し離れたところで怒ったようにも見える顔をしていた。多賀子は自分の妻の醜態に怒っているのだろうと思いかけて、でも、母親を亡くした妻に寄り添うでもなく怒る?と自分の中の微かな違和感を見逃さなかった。

涼子はひとり、黙って立っていた。泣くでもなく、母親の行動に恥じ入るでもなく、何事も感じていないように立っているだけだった。

 

 

今日は美沙子おばちゃんは夕飯をうちで食べるから、涼子ちゃんにもそう言って、と母からのLINEに多美が気がついたのは、もう教室を出る時だった。えー!涼子ちゃん、まだいるかな?と慌てて涼子の教室に向かうと、ちょうど涼子も帰るところだった。伝言を伝えると、後から行くから先に帰っててね、と笑顔で答えてどこかに行ってしまった。高2になって転入してきた涼子といとこだと言うと、決まって「似てないね」と返ってきた。涼子と一緒にいた黒木くんも同じこと言うかなと思っていたら、涼子が授業以外は寝てるんだけど・・と教えてくれた。誰も、涼子と同じクラスのコとも話したのに、黒木くんから聞くまで誰も涼子の変わった行動については言ってくれなかった。気がついていても言わないんだなと多美は心がちりっとした。

「ご飯をついで持っていってちょうだい」

母親がお味噌汁をよそいながら言う。

「6人分ね。お父さん、美沙子おばちゃん、涼子ちゃん、乃里子おばちゃん、あんたとお母さん」

「乃里子おばちゃんも来るんだ」

「さっき駅に着いたって電話来たからそろそろね。涼子ちゃんも手伝ってくれる?」

「はい」

と立ち上がった涼子を見て、多美はいとこながら惚れ惚れした。細くてスタイル良くて、長い髪がさらさら。私もお母さんに似てたらちょっとは涼子ちゃんぽくなったかなあ。

多美の母たち三姉妹は背が高くて細身なのは共通しているが、愛嬌は三女が全部持っていったと親戚の間では言われていた。

多美は父親に似ており、言うならばパディントン体型に近い。私は私だからいいんだけど、でも、やっぱりスタイルいいといいよなあ、とため息をつく。この美しいいとこと似ていないことなど物心ついた時から何度となく言われていたので慣れてはいたが、再会して更に垢ぬけた涼子を、正直、羨ましいと思わずにはいられなかった。

夕食後は涼子と一緒に多美の部屋へ行くように言われた。

「乃里子おばちゃんのおみやげ、いつも美味しいね」

多美がクッキーをもぐもぐ食べていると、涼子は床に寝そべった。それから、うん、と遅い返事を律儀に返した。

「眠いの?」

「うん」

涼子はそれ以上言葉を発する力も出ないらしい。体に力が入っていない。さっきまで背筋を伸ばして普通にご飯を食べていたのに。

親が離婚するとはこんなにもエネルギーを奪われるものなのか、と多美は思った。涼子と美沙子おばちゃんが地元に戻ってきて以来、夕飯をよく一緒に食べた。それは、なんとか仕事を見つけて働き始めたおばちゃんの家計を助けるためなのだということは容易に察せられた。

ふたりが乃里子おばちゃんのマンションに一緒に住んでいるのも、今は家賃の節約のためなんだろうなと多美は考えていたが、それだけではなく、母娘を孤立させないための多賀子の策でもあった。

小学校まで地元で一緒だった涼子は、活発な子供だった。明るくて誰と話す時も自分の考えていることをハキハキと話していた。多美は、自分が思っていることをどう言おうか考えている内に周りの話題が変わって結局なにも言えないままでいるような子供だったので、涼子ちゃんみたいにカッコよくなれたらなあと思っていた。

その日、大人たちは遅くまで話をしていた。涼子は力を振り絞って多美のベッドに這い上がると朝まで目覚めなかった。

多美はいつもは登校すると教室に直行せずにグラウンドに行くことにしていた。サッカー部の朝練で小山くんを見るためだった。入学式でかっこいいなと思って以来気になっていて、2年でも同じクラスになれなかった時は心底がっかりした。

「だって、どんな声してるのかとか何も知らないんだよ」

「高3でクラス替えないから一生知らないままだねえ」

仲良しの朋ちゃんは意地悪く言った。

「話したこともないし、どんな人かも知らないのに、なんでいいなって思うんだろね」

「さあ。友達でも彼氏でも最初は知らない人なんだからさ、話しかけないと始まらないよ」

「うー、無理―。なんか無理」

「じゃあやっぱり知らないままだ」

なんにも知らないあの人のことを、なぜ好きだと思うのだろう。この好きはなんの好き?私は何を見て好きだって思っているんだろう。

今日は涼子と一緒に登校したので多美はグラウンドには寄らなかった。靴箱のところで黒木くんが涼子を待っていた。

「涼子ちゃん、おはようー!」

「おはよう」

涼子がスタスタと教室に向かったので、黒木くんはまたねと多美に声をかけて追いかけていった。

自分のいとこが大事にされている姿を見るのはいいものだと多美は思った。今の涼子にはひとりでも味方が多い方がいいと思っていた。

多美のクラスは午後は校外学習で郷土資料館に行った。区が合併して市になったとか、地元出身の著名人の展示物などを見た後は、ふたりひと組になってのレポート作成が待っていた。多美は高橋くんという男の子とくじ引きでペアになった。

「俺さ、前もってここのホームページ見て引用できそうな文献探してまとめといたから」

と多美とデータを共有してくれた。生徒各自にタブレットが配布されている。多美はそこまで先読みをしていなかったので

「えっ??すごいね!!ありがとう!あたし何にも考えてなかったよ。昨日やったの?これ」

「うん、その方がさっさと終わるだろうと思って」

高橋くんが人気者なのがわかるなあと多美は納得した。クラスのグループLINEがあるのだが、高橋くんが発信すると返事が一番多い。以前、放課後に「俺のペンケース知らねえ?どこに置いたか忘れた」と書き込むと、あっという間に「これかなあ?あたし今音楽室にいるんだけど」「音楽室じゃねーの。授業の後そのまま昼休みに体育館行っただろ」と返ってきた。

「取りに行く!ありがとー!!」と陽気なやりとりを見て、多美は明るい人だなと思っていた。

ふたりはレポートを送信すると、まだ作成中の他のクラスメートを見て

「えへへ、高橋くんとペアでラッキーだった。今度は何かあたしがお返しするね」

「んー、じゃ、アイス食いに行こうよ。おごって」

「えっ、今?一応授業中だよ?」

「裏の公園に売店あるだろ。ぱぱっと行って帰ったらわかんないって」

高橋くんに促されて集団から抜けて食べたアイスはちょっと背徳の味がする、私には初めての背徳、と多美が言うと、

「小林さんて面白い人だったんだね」

と柔らかい視線を向けられた。

その日は一日気分がよかった。高橋くんは感じがいい。感じのいい人と過ごすと気分がいい。自分も誰かにとって気持ちのいい人だといいな、と思いながら多美は眠りについた。

が、次の日、その気分は一気にしおれてしまった。教室に入った瞬間、何か空気が違うと感じた。おはようと言えば返事はかえってくるが女の子たちは目を合わせない。あれっ?あたし何かした・・?朋が来ていつも通り話し始めてちょっとほっとした。

女の子たちはずっと多美にぎくしゃく接していたので、朋はさすがに

「変だよね。誰かに聞こっか?」

「聞いていい相手に聞かないと話がややこしくなりそうだし・・」

「どうする?」

「んー、ちょっと様子見たい」

「あたしもいるから心配しないで」

「ありがと」

とはいえ、少し、結構、かなり落ち込んだ。学校に通う者にはこういうことがいつでも起こり得る。自分には悪意がなくつつがなく過ごしているつもりでいても、それは自分だけの話でしかない。他人の感情を計算に入れなければうまくやっていけないが、そんなものは想像も想定もつかない。

「それはね、その先も続くのよ」

乃里子おばちゃんはまた夕飯を食べに来ていた。今日は涼子ちゃんはいない。

「会社でもそうなの?」

「そう。人のことはほっといて自分の仕事をさっさとやれって言いたくなるけど我慢我慢」

「乃里子おばちゃんも我慢してるんだ」

「うん。大人になったからね。今、高校生だったら『言いたいことあるなら言いなよ』ってクラスでぶちまけるかな」

「うわああ、私には無理―。でも、言いたいことっていうか、原因が知りたいんだよねえ」

「そんなの『小林さんがむかつくんですー』とかくだらないことしか言わないって。聞く価値もないね」

「ふふ、クラスにおばちゃんみたいな子がいるといいかもねえ」

多美が笑っているのを見て、父母は少しだけほっとしていた。多賀子は、乃里子が賑やかしになってくれて助かったと思っていた。叔母として心配して敢えてこういう言い方をしているのだろうとも思っていた。

それから1週間は何も変わらなかった。ティーンエイジャーの1週間は長い。多美もさすがに元気がなくなってきた。放課後、朋が小さな声で聞いてきた。

「先生に言ってみる?」

「それは最後にしたいなあ・・」

多美が重い体を上げて帰ろうとすると

「小林さん、今日ひま?またアイス食いに行かねえ?」

と高橋くんが声をかけてきた。

教室に残っていた女子が一斉に多美を見た。その視線を受けて、ああ、これだ、と多美の目が開いた。こないだのさぼりアイスの件は朋には話していたので、朋と目を合わせた。でも、どうしよう。ここでなんて答えたら収まるだろうか。

「小林さん、いる?あ、高橋もおるやん、ちょ、おまえ、これなんなん」

教室に入ってきたのは黒木くんだった。高橋くんにスマホを見せた。

「えっ、なに、いつ撮ったん?」

黒木くんは多美と朋にも画面を見せた。高橋くんと多美がふたりでアイスを食べているところが写っていた。

「おまえ、小林さんとつき合ってんの?」

「い、いや、違うけど・・」

「つき合ってはない、と。じゃ、小林さんのこと好きなん?」

「そ、それは、その、後から」

「後からってなんだよ」

「・・後から、いいなってちょっと思ったけど・・」

「はあ!!??」

多美はさすがに叫んだ。なんであたし??ちゃんと話したのはこないだが初めてだったのに?・・あ、でも、そうか。あたしだって小山くんのこと何も知らないけどいいなって思ったか。なるほど。

しかし、高橋くんとは何でもないよという説明だけでは済まなくなった。自分のことを何故だかいいなと言った高橋くんの顔を潰さずに女の子たちと和解をするにはどうしたら・・・と考えていると、黒木くんが

「小林さん、犯人探したい?」

と聞いてきた。苦いような暗い表情が一瞬浮かんで消えた。ああ、この人、明るいだけの人じゃないんだと多美は思った。

「ええと・・原因は知りたかったけど、そこはしなくてもいいっていうか」

「わかった。じゃあ、これ回してきたヤツに『全然話違うからデマ流すな』って返しとく」

黒木くんは送信すると

「まだなんか言われたりされたりしたら俺に言ってね。それからおまえらも」

とクラスに向かって言った。

「盗撮、拡散、悪意あるコメント、これ全部犯罪だからな!甘く考えんなよ」

「あの、黒木くん、ありがと」

「ううん。涼子ちゃんの身内は俺の身内だから」

いつものトーンに戻ったので、多美も笑った。

「涼子ちゃんは知ってるの?」

「知らないと思うよ。スマホ持ってないし、休み時間は寝てるし」

「心配するといけないから言わないでね」

「わかった。大丈夫」

黒木くんとは小学校が一緒だったって聞いたけど、やっぱり思い出せないな、と多美は思った。こんな強い男の子いたかな。強くなったのかな。

「あのう、それで、どうするの・・」

おそるおそる朋が言うと、

「あ、そうだね、みんなでアイス食べに・・いや、あたし、おうどんが食べたいな。お腹すいちゃった」

多美はかばんを取った。そっちじゃなくて、と朋は思ったが、まあいいかと自分も多美と教室を出た。この件と関係なかったらしい男の子数人もなんか知らんが俺らも腹減ってるし、とついて行った。完全に忘れ去られた高橋くんもめげずに後を追った。

女の子たちは次の日、謝ってきた。ごめんね、なんか、つい、ともごもご言っていたが、多美は容赦はしても曖昧にはしなかった。

「別にいいよ。誰か高橋くん好きなんだね。だったらあたしじゃなくて高橋くんに向かった方がいいよ」

「でも、高橋、多美のこといいなって言ってたし・・」

「『いいな』くらいいつでも誰でも思うよ」

「まあ、それはそうだけど」

要は、と多美はつらつら考えた。好きな人に好きって真っ直ぐ言うのは難しいってことだな。誰かを好きなのに、その気持ちは善いものであるはずなのに、なぜかゆがんだ行動を取ってしまうことがある。自分に朋がいなかったら、黒木くんがいなかったら、どこまで戦えただろうかと思うとまた心がちりっとした。この先も同じだという乃里子の言葉を思い出しながら、自分も誰かを助けられる人になりたいなと多美は漠然と考えていた。一緒にいたり話を聞いたりするくらいだったらできるかな。できるようになりたいな。

両親には、人気者の男の子と作業でペアになったからやっかまれたみたい、謝ってくれたよ、と報告した。親に話せる程度のことでよかったと多美もほっとしていた。夕飯を食べにきた乃里子は、そんなことをする人間は永遠に好きな人には好かれないよと呪いをかけたので、多美は、永遠はひどいよ、せめて本当に好きな人が現れるまで、と呪いを緩和する言霊を送った。

 

 

 

 

 

続く。たぶん。

 

 

こんにちは、2019年6月12日付「いつみきとてか恋しかるらむhttps://higekuro.hatenablog.com/entry/2019/06/12/092520 」の続きを書いてみました。そしてまた続きます。たぶん。

今年はこういうお話をなかなか書けなくて、コロナ関連の情報で自分の気持ちが塞がってしまって話を膨らませて言葉を歌わせるのが難しいと感じていました。

でも、2020年4月26日付「あなたが咲かせた花を https://higekuro.hatenablog.com/entry/2020/04/26/011116 」の詩は、宮本独歩ツアーが中止になったニュースを見た途端にどっと湧き出てきました。宮本くんがきっかけですが、今年は多くの人がやろうと思ったことができなかっただろうなと思いながら、小1時間くらいで仕上げました。最初に出てきた言葉をほとんど修正してないです。

ふだん、ブログの文章をひとつ書くのにかかる時間はどんなものかというと、何段階かに分けていて、最初は休日に2、3時間で書きたいことを一気に書きます。その後、半日から1日寝かせて、感覚的に「これは違うな」と思う言葉やフレーズを削ったり書き直したりするのに1、2時間。更に半日か1日寝かせて、今度は文章の構成や整合性をととのえます。これも1、2時間。ここでもういいかなと思ったらアップしますが、何かもやもやする箇所があればもう1日くらいかけます。自分の中のイメージとずれた表現しかできないともやもやします。できるだけイメージに忠実に文章を修正します。が、どこかの段階で、今はこれ以上は無理だと自分の筆力に見切りをつけてアップしています。日数で3、4日平均といった感じです。すみません、何の面白くもない話ですが、このブログは私の考えの記録でもあるので書いてみました。

 

 

今年も残り少ないですが、もう少し書けたらなと思っています。が、先にご挨拶しておきます。

今年もお読みいただきましてありがとうございました。私の書いたものを読んでくださる方はおひとりおひとりが大事なお客様です。老若男女、人種、国籍、有名無名は関係ありません。もしかしたら火星人とかでも嬉しいです。どうか私の感謝をお受けください。そしてまた来年もお越し頂ければ幸いです。