瀬をはやみ岩にせかるる滝川の

一人を決めるってどんな感じ?

一人を決めるってどうやって?

結局、私にはわからないままだった

決められないまま

ここまで来た

 

 

さて、山下彩花はアラフォーになりました。

ひとりで働いて、ひとりで食って生きています。それでも、結構ご機嫌です。そもそも彩花は年中ご機嫌ではあります。子供の頃から今に至るまで。

今日は日曜日ですが、元同僚のお嬢さんのピアノの発表会にお呼ばれです。区民会館の小ホールで開演を待っています。

「ミキちゃん、6才で初舞台かあ。すごいねえ」

「なんかもう、私の方がドキドキしてるよ」

「大丈夫よ、ミキちゃん、物怖じしないでしょ」

「そうだといいんだけど」

先生が舞台に出てきて挨拶が終わると、最初に幼稚園くらいの女の子が母親に連れられて登壇した。イスに座らせてもらって、たどたどしく指を動かし始めた。

なんの曲だろう、と彩花は自然と笑顔になっていた。プログラムをちゃんと見ておけばよかったな、小さい子って可愛いな。人間って、生まれて数年でピアノが弾けるようになるのか。すごいな。

緊張してなかなか弾き始めない子供もいれば、叩きつけるようになぐり弾きをして鼻息荒く袖に戻る子供もいる。やがて、ミキちゃんの出番になった。母親はビデオを撮り始めた。

「人形の夢と目覚め」。出だしは鍵盤を押さえるのに一生懸命という感じだったが、だんだん緊張がほどけてきたらしい。後半、若干テンポが速くなったけれど、音が歌ってるな、と彩花は思った。

「ミキちゃん、よかったね。楽しんでたよね」

「うん・・うん・・・楽屋行ってくるね」

母親は涙ぐんで席を立った。彩花はひとり残った。結構、席が埋まってるんだな、200席くらい?お花は後で渡そう。足元の紙袋に目を落とした。小振りのブーケが入っている。

だんだんと演奏者の年齢が上がっていく。高校生の女の子が終わったかと思ったら、その次に出てきたのは、どう見ても中年男性だった。これから出勤ですかというような濃いグレイのスーツを着ている。ゆっくりとピアノに近づくと、客席に一礼して座った。深呼吸。鍵盤に指を乗せかけたが降ろして、もう一度、深呼吸。観客はそこはかとない面白味を感じて見守っていた。

静かに弾き始めたのはモーツアルトソナタだった。・・・これ、あたしも弾いたな、リサ先生のところに通ってるときに。リサ先生のピアノ教室はアットホームで、こんな盛大な発表会はなかったけど、いつものお稽古部屋を開放して、家族だけ呼んで、小さな演奏会をしたことがあったよね。あたしは結構気楽に参加してたけど、あの時も今日みたいに丁寧に慎重に、とても大事に弾いてたよね、佐藤諒太くん。

佐藤くんだよね、と彩花は目をキラキラさせて、声が出そうになるのを抑えるのに必死だった。

まだ弾いてたんだ、続けてたんだね。この曲、好きなんだね、わかるよ、聴いてる人みんな感じてるよ、好きな曲を大切に大切に弾いてるんだなって。

弾き終わって、両手を一旦ひざに置いた。深呼吸。ふと天を仰ぐ。そしてまた深呼吸。ようやく立ち上がって、客席にお辞儀をすると、一気に拍手が鳴った。照れたように会釈をしながらはけていった。

彩花は唇をきゅっと結んだ。それでも、あふれ出る喜びは彩花の全身にからみついて離れなかった。

「ごめんね、着替えさせてたら遅くなっちゃった。最後にみんなで合唱するから衣装替えするのよ」

「かのっち、ちょっとあたし、楽屋に行ってくる」

「ええ?」

元同僚の加納さんは、立ち上がった彩花があごを引いて腰に両手を当てた姿を見て、あれっと思った。久しぶりに山下の戦闘態勢を見た。仕事の時はいつもだったけど。何?

「あのう、佐藤さん、いらっしゃいますか?」

ドアを開けると、中は人でいっぱいで、誰が出入りしようが気に留める人などいないようだった。

「あ、山下さーん!」

声をかけたのはミキちゃんだった。

「ミキちゃん、よかったよー!カッコよかった!」

「ほんと?ちょっとね、緊張しちゃった」

「んーん、とっても素敵だった。最後は楽しかったでしょ」

「うん、だんだん、なんか、のってきたの」

ふたりできゃっきゃとはしゃいでいると、

「山下さん?」

と声をかけられた。彩花は笑顔を向けた。

「佐藤くん、久しぶり。元気だった?」

「あ、うん、まあ、元気。あの、山し、えっと、山下・・・」

「彩花です。えっ、忘れちゃったの・・・?」

「いや、そうじゃなくて、その、名前・・・」

「山下さんは山下さんだよ」

ミキちゃんがふたりの間に入って見上げて言った。

「そ、そうか。ありがとう。えっと、山下さんはどうしてここに」

「ミキちゃんと知り合いなんだよねー」

「うん。山下さんとお友達です」

「ミキママがあたしの元同僚なの」

「そうなんだ。そうか」

「ねえねえ、連絡先教えて。ご飯でも食べに行こうよ」

「・・・うん、いいよ」

佐藤くんはようやく笑った。相変わらずだね、とスマホを出した。

「今日は最後まで見ていくね。連絡する。またね!」

彩花はそう言って楽屋を出た。嬉しくて顔がほころぶのを抑えきれなくて、周りに誰もいなくてよかったと思った。

 

翌月曜にはLINEで今度の日曜の約束を取りつけたのだが、週末まで彩花は毎日なにかとメッセージを送った。たわいもない話題ばかりで、今日は雨で頭痛がしたとか、電車が遅延して大変だったとか、時候の挨拶に近いものばかり。向こうからも同様に、今日は残業だったから返事が遅くなってゴメンとか、明日は早いからもう寝るね、とか、

(なんか高校生の頃とノリが変わらないなあ・・・)

と彩花はひとりで笑って過ごした。

日曜日は、お昼にちょっと大きな公園で待ち合わせた。フリーマーケットの日で、食べ物の屋台とブックフリマが目当てだと彩花が提案した。

「いい天気だね。秋晴れだね」

「うん、暑いくらいだよね。あたしたちが学生の頃って、10月にはセーターと上着きてなかった?」

「そうだっけ」

「あたし暑いの弱いからよく覚えてる。上着の季節でうれしいなって。あ、ドイツ屋台のソーセージ、ブルストって言うんだっけ、最初ここでいい?」

「いいよ。山下さん、お酒飲む?」

「うー、ちょっとだけなら」

「僕もちょっとだけ。ビールが美味しそうだね」

そういえば、お酒を飲めるようになるまでつきあわなかったんだな、と彩花は思い出した。ちょっとだけって、この年になったから、ちょっとしか飲めなくなったんだけどな、と思いながら、久しぶりのビールを用心してひとくち飲んだ。

「ねえ、ピアノはずっと習ってたの?」

「まあ、飛び飛びだけど。仕事が忙しかった時は、30前後くらいかな、数年、休んでたよ。でも、なんとなく好きで、続けたいっていうか、辞めたくなかったって感じかな」

「すごいねえ。あたしなんかもう指動かないよ。大学受験の時に辞めてそのままだから」

軽い腹ごしらえが終わると、ブックコーナーに行った。数台のテーブルの上に並べられた本に小さなカードがついていて、本を売りに出した人のコメントが書かれている。

「子供の頃の愛読書でした。冒険物が読みたい方にお薦めします」「静かな夜に読むといいですよ。できればペットと寄り添って読んでみてください」など、その本への思い入れが語られている。

「あたしね、毎年、このコメントを読みに来てるの。1、2冊は買うけど」

佐藤くんも気に入ったらしく、黙って何冊か手に取ってみている。彩花は誘ってよかった、と思った。

それから、クラフトワークのコーナーに行って、トンボ玉を売っている女性から彩花はブルーの小鳥の根付を買った。

「可愛いねえ。ホームページもあるんだって。通販もできるって」

にこにこして佐藤くんに話しかけながら、ふと

(私たち、ずっとこうやってなかった?)

と思った。

(僕たち、ずっと一緒に過ごしてこなかった?)

と佐藤くんの目が語っていた。

「あのさ、はっきりさせておきたいんだけど」

佐藤くんは今度は声に出して言った。

「僕、また、かけもちされてるの?」

「・・・あっ!してない!してないよ!」

「そう。それならいいんだ」

「忘れてた。そういえば、そうでした」

「よく忘れられるね。僕はあんなことされたのは後にも先にも山下さんだけだったから忘れられなかったよ」

「だって、もう20年以上も経ってるし、大人になったらしないようにしたし」

「しないようにした」

「あたしは・・・友達が欲しかっただけなんだけど、他の人はそうじゃないってわかったから」

「うん。今ならわかるよ。わかりにくかったけど、君は面白がりなんだよ」

彩花は不思議そうな顔で佐藤くんを見た。

「世の中が好きだろう?人も物もなんでも楽しく思うだろう?大人になって、君みたいな人に何人か出会った。上司にもいてね、その人が自分のことを面白がりって言ったんだよ。それで、山下さんのことをようやく理解できた」

彩花はふふっと笑った。

「なんで笑うの」

「相変わらず、きっちり考えて話を詰めるなあと思って」

「まあね」

「会社で後輩に怖がられてない?」

「会社はまあ、そうでもないんだけど、実はそれが原因で破談になったことがある」

「えっ・・・ええー!!破談!!??なにそれ、なに!?」

「ほら、面白がってるだろ」

「うっ、いや、その、確かに、ちょっと聞きたいかも・・・」

「なんでそんな目キラキラなんだよ」

「ごめん、でも、すごい経験したねえ」

「したくはなかったけどね」

「その人とは縁がなかったんだよ。いろんな人に言われただろうけど」

「うん。たくさんの人に言われた」

「人とも物とも、仕事もご縁だものね」

ふと、沈黙が訪れた。どちらからともなく見つめあった。お互いがお互いを映していた。相手の呼吸が聞こえた。鼓動が手に取るようにわかった。相手の体が自分のようであり、自分は相手のものなのだと知った。

彩花が手を差し出すと、佐藤くんはしっかりと握り返して、ふ、とため息をついた。

「どうしたの」

彩花が笑顔で聞くと

「長かったな、と思って」

何が?とは聞かなかった。

 

 

 

孤独はさほど私を苛みはしなかった

世の中は美しく

不承不承ながらも楽しまずにはいられない

そんな感じ

ひとりだけを愛することは

私には愛情の暴発

ひとりのひとに愛を捧げることは

この身の重さを知ること

幼く怖がる心では

受け入れることも与えることも叶わなかった

 

離さないで この手を

離さないで 私のまごころを

ようやくたどりついたのだから

ほんとうに長い時間がかかって

私は一番を知ったのだから

 

あたたかな明るい雨の日に

遠く沈んだ夜の闇に

ただひとりのひとを思う喜びが私を包む

ただひとりのあなたが私とともにいる

今のこのふたりの永遠が

できるだけ長く続きますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。このお話は、宮本浩次さんの「Do you remember?」と「If I Fell」(ビートルズのカバー)を聴き込んでいくうちに私の中から出てきました。としか言いようがないのですが、もうちょっと説明しておくと、これらの歌に感応して得たイメージを少女漫画フィルターに通して、私好みのロマンチックでラブラブで、ほんの少しイカレたニュアンスに仕上げてみました。

意図的にイカレたイメージを創出しているだけで、私はごく冷静に客観的に思考しておりますのでご安心ください。何度でも言いますが、これは創作ですし、宮本様をこのような男性だと思っているわけでも、私自身を投影しているわけでもありません。ただのファンが作品を称えているだけですよ。あなたの作品からこれだけのインスピレーションを得ることができました、ありがとう、というお礼です。

 

今年、エレカシを聴き返して聴き込んでいく中で「あれ・・?私、宮本くんが一番好きかも・・・?」と気がついたのですが、ミュージシャンでも役者さんでも、特定のひとりのファンを公言したことはなかったんですよ。どの個性も才能も素晴らしいので、ひとりに決める必要はまったく感じていませんでした。

でも、そもそも宮本くんの声が好きだからエレカシを好きになったんだよなと思い出し、歌声も好きだけど、話す声と抑揚も好き。「東京の下町の落語好きのオヤジ」って感じの抑揚ですよね。私が学生時代に家庭教師をしていたおうちのお母さんがこの話し方で、とても東京っぽいなーいいなーと思ってました。

それで、宮本くんは顔も可愛いし、全体的に美人のニュアンスがあるし、この女性性の高さもとても好みです。誤解のないように言っておくと、女の子のようだと言っているわけではないんですよ。世の中には、女性性の高い男性に、男性としての魅力を感じる女性がいるんです。男性として好きなんだけれども、女性性という自分が見知ったものがあることで肌なじみがよいというか(比喩ですよ)。

それに、歌詞が一番好き。宮本くんの言葉が一番気持ちがいい。と、ここまで考えて、あれっ?一番好きって思ってるな?と自覚したんです。このニュアンスも今回の創作には込めてみました。

宮本くんを一番好きだと思うことで、他にも「遠い星に恋をするってこんな感じなのか」というのと「身分違いの恋ってこんな感じか」というインスピレーションも得たのですが、ちょっと悲しい話になりそう・・・と思ったので今は寝かせてます。いつかお話にするかもしれないし、しないかもしれません。

 

うーん。宮本好き好き言い過ぎですかね。でも、今、日本は災害期なので、いつ誰がどうなるかわからないし、言える時に言っておきたいんですよ。一番好きだし、こんなにも長い間、ファンである私に好きでいさせてくれて感謝してます、これからも好きですよ、とね。

 

 

 

では、また。