BUMP OF CHICKEN「流れ星の正体」の感想です。大丈夫です。今回は怖いことは言いません(前回ちょっと怖いこと言ったという自覚はある)。ご安心くださいね。
この曲はYouTubeの藤原さんの弾き語りで最初に聴きました。画面にずっと手書きの歌詞が出ていて、ファンの方が「藤原フォント」と呼んでいる字を見て、ああ、この人も字も絵だと知っているんだなと思っていました。
誰かの胸の夜の空に 伝えたい気持ちが生まれたら
生まれた証の尾を引いて 伝えたい誰かの空へ向かう
歌い出しで「流れ星の正体」の定義がなされるわけですが、この想念はとても美しいですね。この二行の一語一語が胸に染みます。
時間と距離を飛び越えて 君のその手からここまで来た
紙に書かれた文字の言葉は 音を立てないで響く声
そうやって呼んでくれただろう 見上げればちゃんと聴こえたよ
僕の上にも届いたように 君の空まで届いてほしい
この中の「紙に書かれた文字の言葉は 音を立てないで響く声」が、私が文字に対して思っていることそのものです。この歌の中では、君の声は聴こえているよ、自分のところに届いているよ、という文脈だとは思いますが、書かれた文字にも音があるということを知っているかどうかは、文章を書く上でとても大切なことだと思うんです。
「あ」という字を見た時に、頭の中では「a」という音が鳴っている。黙読であっても、その文字の音律は頭の中で響いていて、文字は視覚と聴覚を併せ持っている。そのことを、これ以上はないくらい的確に表現しているフレーズだと思います。
変わらないで変われなくて ずっと それでも続いている
ゴールなんて決められないだけで なんなら 今でも
ここの「ずっと」「なんなら」「今でも」の間合いが詩としてすごく好きで、深い意味がある言葉ではなく、美辞麗句でもない、日常的な平坦な言葉なのに、リズムが耳に残るんですよ。藤原さんはどういう抑揚で話すのか知らないのですが、この詩のような間合いでしょうか。それともまったく違う?
この独特の言葉のリズムは「話がしたいよ」でも強く感じます。
今までのなんだかんだとか これからがどうとか
心からどうでもいいんだ そんな事は
いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも いや 言い過ぎだけど
そう言ってやりたいんだ 大丈夫 分かっている
ここは歌いながら話してますよね。これを日本語のラップと言ってはダメなのでしょうか。日本語で歌うのであれば、日本語の抑揚で歌う方が、言葉がより伝わると私は思っていて、藤原さんの言葉のリズムは日本語の抑揚と呼吸の自然な流れになっていて、BUMP OF CHICKENの歌が多くの人々の心に届いて愛されている理由のひとつだと思うのですが、どうでしょうか?
BUMP OF CHICKENのライブはどんななのかなとも思って、ちょうどツアー中だったので、ツイッターでファンの方々のライブレポをずっと読んでました。
11月4日、東京ドームでのツアー最終日、アンコール2曲を終えたところで、藤原さんだけステージに残り話をしていたところ、「話すよりも歌う」と言って、予定外の曲を歌い始めたのでメンバー3人がステージに戻ってきて徐々に演奏に加わった、という理解で事実関係よろしいでしょうか。
これ、楽しい!!!私、予定外、想定外、ハプニングが大好きなので、ライブレポだけでもすんごいワクワクしました。
私好みの展開としては、綺麗にきちんと演奏してほしくない。ずれたり外れたり忘れたり、なにがしかの破綻がある方が絶対いい。その方が、これはCDでもなく、ipodでもなく、生きた4人が今ここでやっているんだ、と実感できるから。
それと、誰から始めてもいいですよね。「俺は今これがやりたいんだ!!」って曲を4人がそれぞれやると面白いのでは。更に言うと、いろんなバンドにこれやってほしい。YouTubeとかで公開してほしい。バンドの個性と力量が試されるけど、ライブ本来の面白さが味わえると思う。
藤原さんはライブでは歌詞も変えるそうですが、「インプロビゼーション(即興)」のセンスが強いのではないでしょうか。その日その時、同じ空間にいる人たちの生気とか空気を感じ取って歌詞を変えたり、予定外に歌ったりしてらっしゃるのでは。それをドームでやるところが大物ですよね。もっとやれ、と個人的には思います。
では、また。