for better, for worse
2026年最初はエレファントカシマシのお話です
冨永さんが活動辞退して以来、ファンとして考えていることを記しておきます
あっ、ぜんぜん怖いことは考えてないから安心してください
私は「いつ復帰するのかなー最初のステージに居合わせることができるといいなー」と気長に待っています。エレファントカシマシは私の心の恋人なので、なにがどうでも冨永くんのことは大好きですよ。この愛情を信じてステージに戻ってきてください
こう書くと甘いと思われるかもしれないですが、甘くはないです。怖くもないけど甘くもない
人は自分のしたことが自分に返ってくる。他人が肩代わりすることはできない。自分で向き合うしかない。天網恢恢疎にして漏らさずで真っ当に向き合わなければ神様が裁断を下すと私は思っている。人の法とは別の審判が行われる。これは人智の範疇ではないので考えても仕方がないので考えない。従って、私は愛情を抱えたままひたすら待っているのです
エレファントカシマシはメンバー全員が公の場でほとんど話すことがないので今どういう心境なのかほのかな推測すらできませんが、社会常識的に考えると冨永くんは孤独の中にいると思う。でもその孤独はいつまでも続かない。真っ当に自分に向き合えばいつかは晴れる。個人的には善行を積んで神様受けを良くしてほしい
復帰のあかつきには客席で黄色いリボンを振ることもやぶさかではないので、あっ、PIXMOBを導入して黄色に光らせてくださってもいいですが、観客全員ではなくとも私のようにひたすら信じて待っているファンは多いと思うのでいつでもお帰りをお待ちしております
それから、私個人の社会経験から余計なことだとわかってあえて書くのですが、復帰して大丈夫かどうかはお医者さんの診断を仰いでほしい。本人が大丈夫と言ったから、で職場復帰するのはよろしくないです。大丈夫、大丈夫といって大丈夫ではなかった同僚を何人か見てきたので、絶対無理はしないでほしい
ともあれ、エレファントカシマシのことは病めるときも健やかなるときも大好きですよ
今はこの愛情に甘えてください
ではでは、また
宮本浩次「I AM HERO」
2025年最後のレビューは宮本浩次「I AM HERO」です
Mステで初めて聴いて歌詞も目にしましたが、とにもかくにも poesy というワードにやられました。
俺の人生 準備OK そうさいつだって行けるぜ
そう まるでCrazy いわばPoesy らしく輝いて生きていくぜ
Memorialじゃねえ 俺の衝動 今だからこそ 目指すぜ王道
poesy「詩」は古語、文語。辞書を引くと通常は poetryが出てくるので、poesyは宮本さんが持っている語彙なのではないかと推測します。
以前、NHKで著名人がどういう英語を話したかという番組を見ました。覚えているのは三島由紀夫で、フランス語なまりの英語を話しており、それは英国上流階級の発音なので誰かそういう人に習ったのだろうと語られていました。その他にも何人か紹介されていましたが、どの人もその人らしい英語を使っているという総括が興味深かったです。
宮本さんは若い頃から歌詞に日本語の古語が混じるのですが、今回のpoesyで英語も古語を選び取るのだなと「その人らしさ」にカチッとパズルがはまるような思いがしました。
どこでpoesyを習得したのかマジで知りたい。宮本よ、ギター一本持ってオレのとこに嫁に来い。生涯その才能を愛でてやろうぞ。あっ、でも宮本を養う甲斐性はないんで、自分の老後の面倒だけで精一杯なんで、気持ちだけで。気持ちだけ嫁いできてくださいね。
などと言いたい放題で2025年を終わります。このブログにたどり着いたおひとりおひとりに感謝致します。ありがとうございます。来年もよろしければお立ち寄りくださいませ。
ではでは、よいお年を。
RADWIMPS「賜物」「おしゃかしゃま」
RADWIMPSについて初めて語ります。宮本浩次さんが「おしゃかしゃま」をカバーされたのを機に以前からちょっと思っていたことをちょっとだけ。
野田洋次郎さんの歌詞は私の中では劇作家「野田秀樹系」と分類しています。「前前前世」がテレビで流れてきた時にうっすら思っていて、NHK朝ドラ「あんぱん」の主題歌「賜物」を日々聞いてこの結論を確定しました。
野田秀樹系とは、同じ音の言葉を重ねる、意味より音、言葉の量が怒涛のように押し寄せると定義しています。昔々、夢の遊眠社のお芝居を見に言った時、台詞の意味を追うのにだんだん疲れてしまって最後はぼーっとただ舞台全体を見ているだけでした。あちこちで韻を踏むのはダジャレなどではない。頭韻とか脚韻とかの生易しいものではない。何か一音が耳に入ったら同音の言葉が身の内から湧き上がってくるので吐き出さなければ心が休まらない性分なのではないかと仮説を立てていました。
洋次郎さんの歌詞も言葉を重ねて重ねて目まぐるしく畳みかけて、聞いている側の感情を揺籃するところが魅力だと思います。
朝ドラ主題歌「賜物」から
教則その他、参考文献 溢れ返るこの人間社会で」
「感情線と運命線と恋愛線たちが対角線で
交錯して弾け飛び火花散り 燃え上がるその炎を燃料に」
「愛でてみたり 諦めてみだりに思い出無造作に
詰め込んだり 逃げ込んだり」
上2つは同じメロディですが、「ん」音が繰り返されていてリズミカルです。標準語と方言で比べると「ん」のテンポの良さはわかりやすいかと。標準語の口語「何してるの」は、私の地元、北九州市の方言では「なんしよるん」と「ん」音化して、方言話者としてはこちらの方が話すスピードが上がります。普段「何してるの」と発語しながら、標準語はまだるっこいなーなどと思う時もあります。
3つ目は「たり」のくり返しですが、「みだりに」だけ明らかに品詞が違うところもちょっとずらしていて面白い。「~したり」は接続助詞、「みだりに」は形容動詞だそうです(辞書引いた)
「愛でて」「みだりに」「思い出」「込んだり」でダ行の音も散りばめられていて同系統の音になっていますね。
次は「おしゃかしゃま」
「来世があったって 仮に無くたって だから何だって言うんだ
生まれ変わったって 変わらなくたって んなこたぁどうだっていいんだ
人はいつだって 全て好き勝手 なんとかって言った連鎖の
上に立ったって なおもてっぺんが あるんだって言い張んだよ」
ここがわかりやすいのですが、この歌は促音「っ」の連続です。とてもリズミカル。
忌野清志郎さんがタ行の破裂音(た、て、と)は歌っていて気持ちがいいとおっしゃっていました。この歌詞も発語のカタルシスはあるとは思いますが、立て板に水のスピードなので歌唱を楽しむ余裕はあるのでしょうか。
洋次郎さんが何をどこまで意図的に作詞されているのかについては、これからRADWIMPSを聴いていく中でゆっくり探っていきたいと思っています。私は役者としての洋次郎さんしか見たことがないので、音楽にはこれから出会っていきますね。
ではでは、また。
宮本浩次の歌詞の「洋」
本日は宮本浩次の歌詞における「洋」について語ります。和洋の洋。
まずアルバム「縦横無尽」から「stranger」
君は神出鬼没だね そうstranger
表じゃあ町を挙げ今は限りのparty
君は孤独な胸に静かに忍び込んで
匕首をうなじにあてて笑ってた
ここの「匕首(あいくち)をうなじにあてて笑ってた」が秀逸だと思います。「今宵」とか「俺明日」などの世間によく知られている「和」であり「日常」の歌詞とは違って物語性が高い。暗黒ヨーロッパの古城風味で聴いてましたが、よく考えると匕首は東洋のものですね??翻訳語としての匕首ってとこでしょうか。
変幻自在
ある時はロマンチシズムそのものの顔をして
ある時は白けたリアリスト やっぱり
ロマンチシズムという語彙は日常会話では得られないと思います。話し言葉だとロマンチックとなるかと。読書家であることがにじみ出ていて良いです。そしてここの「やっぱり」は文語とは違う言葉の自然な流れを作っていて、重厚な油絵の合間のデッサンのような軽さがほどよいです。
次はシングル「over the top」
血で血を洗ういわば人生のゲーム
神がまばたきひとつ召される間に
輝く太陽背に受けて 咲き誇れ我が命の花
あこがれと絶亡 禱りと労働
光と闇のはざまに立って
愛への渇望 oh, brother・・・
一体何處まで行けばいい?
「禱りと労働」がシビれます。いや、たまらん。宮本のこういう語彙にメロメロになります。「神がまばたきひとつ召される間に」と合わせてキリスト教文化の匂いがします。
単語がいくつか気になって調べたのですが、「召される」は「する」の尊敬語なんですね。こういうのをさらっと使うところがすごいですよね。でも「絶亡」はどこから?辞書やネットでは出てこない。歌詞は宮本さんのホームページから引用しているのでこの漢字に間違いはないのですが、ねえねえ、宮本くん、何かからの引用なのか造語なのか、教えてほしい。
悲しみに寄り添うのはそぐわない
愛と勇気を胸に立ち上がれ
そ知らぬ顔でさあ出かけるぜまだ見ぬ明日へ
over the top
過ぎ去れば夢の跡
全てが輝ける星の夜
悲しみに寄り添うことを「そぐわない」とする控えめな表現は本来の宮本文学だと思っているのですが、「そ知らぬ顔で『さあ出かけるぜ』まだ見ぬ明日へ」この二重鍵括弧の前後を落とすと「さあ、でかけようぜ」と「俺明日」に変身する。文学性から大衆性へのメタモルフォーゼ。
そして「全てが輝ける星の夜」で景色の抜けがいいですよね。見上げると星の輝く夜空が広がっていて、過ぎ去った日々も遠い夢のよう。
宮本さんの洋風歌詞は翻訳文学の香りがするのですが、外国の作家は誰がお好きなんでしたっけ。エレファントカシマシ「七色の虹の橋」の歌詞にボードレールの「パリの憂鬱」が出てきますが、ヨーロッパの古典は似合いますよね。宮本さんの文学のルーツをもっと知りたいものです。
では、また。
宮本浩次「Today -胸いっぱいの愛を-」
宮本浩次さんの新曲「Today -胸いっぱいの愛を-」の感想です。
「今日」とは何であるかという定義が明確で、
「Today それは愛を求め 愛に敗れ さすらいたどり着いた場所」
「Today それは夢追いかけ 夢に敗れ ただよい流れ着いた岸辺」
敗者の歌なのですが、曲は柔らかく陽の空気をまとっています。「風のように 雲のように 肩を寄せ合ったふたり」と気持ちよさそうです。
愛情表現もストレートで「この世界にたったひとりの君だけに 俺の愛の全てを捧げるぜ」・・・この曲を聴いた時、関係者の方々はきっと賞賛なさったかと思いますが
「・・・宮本さん、今回もいい曲ですね」
「・・・この曲ずっと聴いていたいですね」
この「・・・」のところで(俺の愛のすべてを捧げるのか・・・)(たったひとりの君なんだ・・・宮本さん今幸せなんだな・・・)などと含みがあったに違いありません(ドン引いているともいう)
でももしかしたら若いスタッフさんとかが「宮本さん、これ最高っす!マジで刺さりました!」などとストレートに感動しているかもしれない。まだ26歳の高橋くんは「この世界にたったひとりの君っていいっすよね。俺、これ彼女に言いたいっす。使わせてもらっていいですか?自分じゃこういうのうまく言えないんで」
翌日、高橋くんはうなだれて「彼女に言ってみたんすよ。俺なりに勇気出して。でも『突然なんなの』って言われて終わりでした。どうしたら宮本さんみたいにカッコよく決められますかね。俺、宮本さんみたいになりたいっす・・・」
宮本さんだとて最初からカッコよかったわけではないのですが、それは高橋くんが生まれる前のお話なので知らなくてもしょうがありません。愛にも夢にも敗れながらたどり着いた今日に愛のファンファーレを鳴らしているのがこの「Today」なのだといつか気がつくといいですね。
ええと。なんでしたっけ。感想を続けますね。
宮本文学の真骨頂はまた別にあって、この曲のハイライトは
「あるがままの俺受け入れられなくってなんかめげそうさ」
ここだと思っています。
世の中、あるがままを受け入れるのが流行りですよね。あるがままでいいんだよ、と耳にすると私はココロでうるせえと小さくつぶやくのですが、今の未熟なあるがままの自分でいたくないんですよ。あるいは、未熟なあるがままの自分を誰が受け入れてくれるだろうか?否。と考える謙虚さを優先したいんですよ。
更につき詰めると、受け入れられることは目的でもなく、さほど重要なことでもない。この歌は、受け入れられなくても君は隣にいて僕と肩を寄せ合っている、このぬくもりが愛なんだと得心した男の物語なんですよ。宮本最高だな。
もうひとつの新曲「over the top」は別立てで感想書きます。
書きたいことを多々抱えつつも仕事が忙しくてへとへと&くたくたでパソコンに向かう気力が出ないのですが、いつもエレファントカシマシのことを考えているよ。宮本くんのことを考えているよ。この世界にたったひとつの大切なロックバンド、たったひとりの最高の歌手、私が大好きな宮本浩次さんへ早めのお祝いを、今年もお誕生日おめでとうございます。
では、また。
N氏に捧ぐ
中居について書いておこうと思います。年末からずっと来る日も来る日も中居のことで頭が一杯でこんなに衝撃を受けた自分にびっくりですよ。
何に衝撃を受けたかというと、
・ひとりの人間としての反省が見えない
「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」お詫び文の中のこの一節はいけしゃあしゃあとか盗人猛々しいとも受け取れる表現になっており、反省していないか、書き言葉の技量不足によるものだと推測する。示談せざるをえないような事をしたにも関わらず向こう様のご寛恕により恥ずかしながら仕事を続けて参りました、に今からでも訂正してほしい。
・その時に休職するという選択肢は考えなかったのか
誰も何も知らずとも、自分と相手と神様は知っている。誰に言われずとも今は世間から離れて一人反省する時期を設けるという道を自分も周りも発想しなかったのか。
・誰かひとりが悪いで済む話などない
「今回のトラブルはすべて私の至らなさによるものであります」(お詫び文)「全責任は私個人にあります」(引退声明)これで手打ちにしてくださいとも読める文言だが、思考が杜撰すぎる。ある意味、傲慢でもある。国民的スターが自分が悪いと言ったら周りは納得しないといけないとでも?自分の何が悪かったのかを相手の尊厳を守る形で語るという複雑で繊細な告解が必要だった。
・相手の身内の気持は考えたのか
ここはまったく見えない。見せていないだけかもしれない。世間より仕事関係よりも先にお身内の方に謝罪をしたのか。そうしていたらいいがと思うばかりだ。
・ファンへの別れが別れになっていない
何が起こったのかわからないままさよならと伝えられたファンの気持ちも考えようや。おかげで「本当の中居くんは病気の時に亡くなっていて、今の中居くんは別の人」などという言説まで流布してますよ。ファンが見ていた中居正広との乖離を抱えたまま苦しんでいるので今からでもフォローすべきだと思う。引退したらファンに語りかけてはいけないというわけでもなかろう。
今回の件とは別に、以前の中居の発言で私が引っかかっていたものがあるのですが
・周りは結婚すると妻にお金を預けているが自分は納得いかない
・テレビで野球を見ていて球筋などを考えている時に彼女に話しかけられるのは嫌だ
どちらもテレビで言っていて、吝嗇なのか子供なのかどちらもなのか、そんなことを杞憂している暇があるなら結婚してみたらいいじゃないの、と思っていた。女性像が貧困だとも思った。女性の側にも邪魔されたくないことがあるという発想がなぜできないのか。
例えば誰かと暮らし始めて、今日は野球中継があるからひとりで見たいなと思っていると
「ねえ、今から関空行ってくる!」
と彼女が言うんですよ。
「か、関空?」
折しも土曜の夕飯を済ませたばかり、今から交通手段はあるのか?という疑問を見透かしたように
「由美子さんが車出してくれるってLINEが来たの!明日エナイプンが関空に来るのよ」
「『え』・・?」
「え・な・い・ぷ・ん。私の好きなグループくらい覚えてよ」
「はあ」
小型のキャリーバッグにてきぱきと化粧品やらうちわやらを詰めながら
「今日仕事だったからお出迎えは諦めてたけどよかったー!」
白いコートをはおると
「じゃ、行ってきます。帰りは明日か、もしかしたら月曜会社にそのまま出社するかも。あなたは野球楽しんでね!」
軽やかに出かけていく彼女の後姿を見送りつつ、家にスマップがいるのにエなんとかの方がいいのか・・と思わないでもない正広だったが、ともあれこれで心ゆくまで試合を楽しめると思い直した。その日は電話もかからずメールも来なかった。試合はよかった。よく走ったしよく捕った。勝った勝ったとホクホクしながらも、本当に今日はひとりなんだなという静けさが常に背後にあった。
台所に行くとお茶の用意がしてあった。ティーポットに葉っぱが入っていて、後はお湯を入れるだけにしてあった。あの慌ただしい中で、いつものお茶の用意はしてくれてたのかとテーブルについた。
食費や光熱費は共有の口座から払っている。一緒に住むマンションは自分の収入に見合ったところにしてほしいと彼女が譲らなかったので、2LDKの中古で家賃も折半している。料理は正広には期待できないからその分掃除はしてねと分担も最初に決めた。自分は守ってちゃんとやっていると思う。天気が良ければ布団も干す。ゴミ袋もなくなりそうになったら買ってくる。忙しい仕事と家の事の両立、やれてるよな・・?
お茶を口に含んで、初めて抱いた不安と一緒に飲み込んだ。
明日、帰ってくるかな。あさってになるかな。エなんとかの話を聞いてみるか。野球のことも話してみようか。自分がなぜこんなに夢中になるのか。君がなぜそんなに夢中になって楽しそうなのか。もう少し、話をしてみようかな・・。
という話を20年前くらいに当時使っていたブログに書いていたのですが、加筆修正しました。国民的スターとつきあうとなると、聡い女性ならば収入格差を自覚しつつ仕事を続けて、自分の収入以上の生活を良しとはしない可能性は高いと思う。そういう女性だったら中居の財産を食いつぶすようなことはないよ。そういう誇り高い女性とめぐり逢いなよ、という思いで当時は書きました。
中居がこの先出会う人々が中居に失望しないような人生を送ってほしい。5年後10年後に、ああ、やっぱりあの人はスターだっただけのことはあると言われる未来を見せてほしい。
しばらくは閉門、蟄居して、写経でもやってろ。論語の素読もな。中居は古典を学んで書き言葉の修行をした方がいいよ。なんの関係もない赤の他人の私のような一ファンが姉気取りでおせっかいな推察を語って申し訳もないけど、ファンは一生中居を忘れないから、中居も一生ファンの愛情と悲しみを忘れるな。それでずっとこの同じ空の下でお互い生きていこうな。
宮本浩次「冬の花」
「冬の花」の感想です。
歌詞は今までの宮本浩次の集大成だと思う。「帰らぬ時」「あなたは太陽 私は月」「涙にけむるふたりの未来 美しすぎる過去は蜃気楼」「ひとり歩く摩天楼」このあたりのモチーフはくり返し歌詞に使われてきた。
「今宵の月のように」の核心は「もう二度と戻らない日々を 俺たちは走り続ける」。このフレーズがヒットの決め手。時は戻らず、過去にはもう手が届かない、失ったものは取り戻せない、会えない人とは会えない、そういう誰もがいつか知ることになる感慨を胸にひた走るのがエレファントカシマシ。
「風に吹かれて」では「輝く太陽はオレのもので きらめく月はそうおまえのナミダ」、太陽と月は宮本さんの中では相容れないもの。
未来と過去については「俺たちの明日」というタイトルにも表れているように、基本的には未来に向けて歩んでいく歌が多い。「風と共に」でも「さよなら昨日の私 想い出は懐かしいけど」と過去を背にして歩き出す。
摩天楼(都会)の捉え方にも個性があって、「赤い薔薇」では「例えばどこかの森の中 逃げ惑う君を追いかけて 追いかけるのさ獣のように きっと」「オレはビルの光り 見つけて帰る ねぐらへ帰る 今日も啣え煙草」。森で獣のように追いかける人がビルの光りを見ると里心がついて帰っていく都会っ子の歌。宮本さんが東京出身というだけでなく、海や山より街中の方がしっくりくるということかと。
「冬の花」はこれらの集大成であり再構築でもある。
美しすぎる過去を振り返ると蜃気楼のようにはかなく消え、未来は涙でよく見えない。ふたりの関係性は危うく「涙を隠したしあわせ芝居」を続けている。
通常はこのまま耐えて忍ぶ歌になりますよね。宮本浩次の場合、ここに「男は行く」が加わります。「男よ行け 男よ勝て 俺はお前に負けないが お前も俺に負けるなよ」と歌う初期の代表作。
「冬の花」のキモは「ゆけ ただゆけ いっそわたしがゆくよ」。「ゆけ」と言っておきながら「いっそわたしがゆく」、しかもこの前が「泣かないで わたしの恋心 涙は“お前”にはにあわない」、涙で未来が見えない恋心に代わって、恋心を凌駕して這い出てきた自分、「ああ わたしが 負けるわけがない」という本心。
「男は行く」では男男という主張の方が強かったけれど、主体が女性になるとこんなにも強く純粋で共感を得やすい人格になる。
演歌や歌謡曲の要素を備えながら、宮本さんが最初から持っていた個性は揺らがずに人の心に広がっていく歌、それが「冬の花」。
11月20日の横浜公演で初めて生で聴くことができましたが、全身で聴いたといいますか、声が「面」でバーンと飛んできて、ただただ受け止めるだけで精一杯で、体の奥から感情が引っぱり出されて自然と涙ぐみました。圧巻の歌声でした。
最近ネットで、中国でも大人気だと目にしましたが、いずれ世界が黙っていないと思います。息長く末永く愛される歌になってほしいです。
では、また。