がんばろうぜと歌うひと

エレカシ「俺たちの明日」について語ります。

2007年の発表ですが、私はいつどこでどうやって聞いたか覚えていなくて、ただじっと最後まで聞いて「こういう歌詞も書くようになったんだな」とある種の感慨を覚えました。

こういう、とは、我を抑えた歌詞。我を抑えるとは我慢することではなく、他者と共存できるということ。

以前にも書きましたが、宮本ワードの特徴は、浮世、浮雲、かりそめ、しかばね等々、文語で文学的なものが多いと思います。もちろんそれだけではないのですが、これらは他のミュージシャンの歌詞にはあまり出てこないという意味で宮本くんの個性なのだと思います。

「俺たちの明日」にはこういう言葉はない。誰でもが使いうる日常的な言葉が連なっていて、ガリッと引っかかるところがない。ここが私には新鮮で驚きでした。あれだけガリガリ心に引っかかる歌詞を書いていた人がこんな平易でなめらかな歌をうたうなんて。バンドが本来持っている陽の空気感が全面に出ているなと思いました。

エレカシの4人は、実のある男たち、という印象を人に与えると思います。根がひねくれていないというか深刻なトラウマを抱えていなさそうというか(抱えていたらごめんなさい)。この人たちについて行ったら食いっぱぐれがなさそうというか、いつも米の飯食ってそうというか。病んで地獄に落ちるようなことがなさそうなんですよね(地獄に落ちてたらごめんなさい)

「がんばろうぜ」「負けるなよ」「でかけようぜ」という言葉はシンプルすぎて、そぎ落としすぎて、そこに宮本くんの決意を感じます。世の中に寄り添う言葉を選んだのだと思います。人に添った仕事だからこそ広く世間から評価されたのではないかなと思います。

 

宮本くんの歌詞のもうひとつの特徴は、言葉をシンプルにしても抽象化しないところにあります。

シンプルが極まって抽象化する例として八木重吉の詩を挙げますと

 

 

「悲しみ」

 

かなしみと

わたしと

足をからませて たどたどとゆく

 

 

「美しくすてる」

 

菊の芽をとり

きくの芽をすてる

うつくしくすてる

 

 

ひらがなは言葉を純化すると思います。「悲しみ」が「かなしみ」に、「菊」を「きく」、「美しく」を「うつくしく」に変えることで意味よりも音が視覚化されて祈りのようになっていくと思うのです。

宮本くんの歌詞は純化はされない。地に足をつけた人が歌っていると思える。生きている人の熱量を感じる。だからエレカシの歌は強くたくましく響くのだと思います。

 

もし、「俺たちの明日」が私のファースト・エレファントカシマシだったらどうだったかなと考えるのですが、多分、「こんなに単純な歌詞を思い切り歌うなんて只者じゃないな」と思うような気がします。いつどこで出会っても好きになったと思いますし、この先も、いつでも初対面のような新鮮な気持ちで聴いていきたいと思っています。

 

 

 

では、また。

 

 

この恋は本物の恋だから

BUMP OF CHICKEN藤原基央さんがご結婚されたとのことでお祝い申し上げます。とサクサク祝辞を述べられるくらいのまだ軽いファンである私は、ネットの噂(?)で「新世界」は奥様のことを歌っていると言われているとかいないとかで、ああ、世の中ってあんまり歌詞を味わったりしないんだなという今までにもくり返し思ってきた感想をまた持ちました。

「新世界」は「世界はシャボン玉で 運良く消えていないだけ」とサラリと藤原さんのダークサイドが織り込まれていて、明らかに只者じゃない言葉の持ち主だと思うのですが、そういう評価はしないで作品世界と現実を混ぜるってどうかしてますよ。

というようなことを冷静に考えていたのですが、ツイッターでファンの方々の祝福したいのも本心だけれどどうしてもつらいというコメントを読んでいる内に、私の乙女心の琴線がビーンと共鳴してしまって私までうっすら喪失感を覚えそうになったので、心に開きかけた空洞を埋めるために黙々と無表情にエレカシを繰り返し聴いているところです。

ええ、そうです、「藤原さん」を「宮本くん」に置き代えると全然他人事ではなくなってしまうんですよ。でも、BUMPの皆さんは今まで彼女話とかしてこなかったのですね。年齢的にもキャリア上もしてもおかしくないとは思うのですが、ご本人様方のなにがしかの判断がおありなんでしょうね。

宮本くんはというと、デビュー当初からインタビューで普通に彼女話をされてます(エレカシファンの共通認識ですよね・・?)

20代前半の頃、私が一番熱心にインタビューを読んでいた頃でもありますが、「彼女と(デートで)ずっと歩いて『大丈夫ですか?』って聞いた」っておっしゃっていて、「えっ、彼女話とか普通にするんだええええ」と驚いて、「彼女に丁寧語なんだ」と思って、「大丈夫じゃないだろ」って思って、当時は宮本くんに恋に落ちた感はなかったにもかかわらず失恋気分を味わって、でも、それでも一番強く思ったのは「宮本、いいヤツだなあ」という明るい気分でした。ぱっと視界が開けたというか。

彼女から見たらとても嬉しいことだと思うんですよ。インタビューで話さなくてもいいのに、ていうかこれから売っていかないといけないバンドのフロントマンが彼女話とかしたらそれだけで去っていく女性ファンがいるだろとか素人でも気にするのに、当たり前のように彼女話をする宮本くんは本当に良いボーイフレンドだと思った。

この人は自分が大事だと思えるものを迷いなく大事にすることができて、好きだと思ったら好きだと公言できる人なんだなと思った。この率直さはとても印象深かった。

しかしですね、乙女心はそう簡単にはいかなくて、その後も彼女話を見聞きするたびに血の涙を流すわけですよ。いつ頃のだったか彼女に飯作った話とか具体的すぎて卒倒しそうになりましたよ。今年の新春ライブ大阪初日でも若い頃の彼女話をなさったそうで(ツイッターで見た)いやちょっとステージで話すのはさすがにやめて案件というか、宮本こっち来てそこ正座しろ案件というか、ライブなんて全身耳にして聴いてるところに「彼女」という言葉が弾丸のように飛び込んできたら乙女心は即死するって。はあ。その場に居合わせたすべての乙女心にお見舞い申し上げます。いやマジで。

この時に話された彼女との散歩話は20代当時の彼女さんでしょうか。だとすると、若い頃は今カノ話として聞かされ、年を経てからは元カノ話として聞かされ、長年のファンに対してなんという仕打ちでしょう・・・おかげで私の袖は乾く間もありません・・・。

今年に入っての婦人公論のインタビューがネット上でとても評判がよかったので読んでみたら、まった若い頃の彼女話を延々としてらして、でもその内容が、自分は女性から尋常ではないほどの影響を受けるとか、それで浮世絵にも興味を持った、当時自分の話を黙って聞いてくれた彼女に恥じない自分でいたい、というような話をしていらして、出会った女性たちがこの人の精神の一部を作ってきたんだなと思うと、ズキズキする乙女心とは裏腹に、ああ、やっぱり宮本くんいいなと思った。

女性に影響を受けました、って公言する男性は少ないと思うんですよ。しかも、自分がつきあった女性のことを長い年月が経った後でも愛情を込めて語る姿は、若い頃同様に女性の立場から見るととても好ましく映ります。宮本くんがどんな風に女性を愛するのか、ほんの一端に過ぎないと思いますが垣間見ることができて、泣きはらした乙女心もまあいいかと言っております。

人気商売の方が結婚するとファンの心は揺れてしまいますが、藤原さんみたいに初めて話す私事が結婚という大きな結論でも、宮本くんみたいに長年に渡って彼女話を語られても、乙女心が負傷するのはどっちでも同じなのでミュージシャン各位は好きにしたらええ、と思います。

では、ファンはどうしましょうか?この傷だらけの乙女心を抱えながらどうしたものかと考えた時に、私は「恋せよ、傷ついたことがないように」振る舞いたいと思うのです。自分が傷ついたことに足を取られるよりは、涙を拭いて顔を上げて、相手を好きな気持ちを前に出した方が世の中が優しく見えてくるように思います。

今、藤原さんのファンの方々は、自分はただのファンなのにこんなに好きになってバカみたい恥ずかしい、と思っているかもしれないですが、藤原基央という人物を知らなかったら、BUMP OF CHICKENの歌と出会わなかったら、この苦しみも喪失感も、それ以前に4人からもらった最上の喜びも知ることはなかったと思います。この気持ちは本物で、誰のものでもない自分だけの宝物だと思いますよ。それに、藤原さんはその気持ちを笑ったりするような人ではないですよね。きっと大切に受け止めて宇宙ごと抱きしめてくれますよ。

それで、あの、この先いつか宮本ファンの阿鼻叫喚が聞こえてきたら、「藤原さん」を「宮本くん」に読み替えて時間と距離を飛び越えて慰めてくださると有難いです(泣)ええとね、エレカシファンはたぶん「生きる屍こんにちは」ってなりますのでどうか助けてくださいね。よろしくお願いいたします(泣)

 

 

 

ではまた(泣)

 

 

 

 

「恋せよ、傷ついたことがないように」はアルフレッド・D・スーザという牧師さんの詩の一節です。

 

 

ジョバンニは波打ち際でボタンを拾う

さて、米津玄師さんの新アルバム「STRAY SHEEP」の感想です。

 

一番好きなのは「カナリア」です。ド少女漫画だけどメロウになり過ぎず、愛の希望を感じさせる歌。

 

 

いいよ あなたとなら いいよ

二度とこの場所には帰れないとしても

あなたとなら いいよ

歩いていこう 最後まで

 

 

この「いいよ」という言葉のちょっとズルズルしたニュアンスが米津さんの個性かもなと思います。「さあ!君と僕とで歩いていこう、この道を!」というのがハキハキした表現だとして、米津さんはどこか半泣きテイストだと思います。

私は最初この一人称を女性だと思って聴いていたのですが

 

 

転げ落ちて割れた グラスを拾うあなた

その瞳には涙が浮かぶ

何も言わないまま

 

 

とあって、あれっ?男の人が歌ってるの??と気がつきました。別に野郎がコップ割って涙ぐんでもいいんですが、この歌詞だとコップ割ったのは女性のようですね。

私の耳には、米津さんの性別は男女の割合が4対6ぐらいに聞こえるんですよ。私には半分以上女の子に見えているんですよね。

 

さて、本題です。このアルバムの中の「優しい人」について語ります。

 

 

気の毒に生まれて 汚されるあの子を

あなたは「綺麗だ」と言った

傍らで眺める私の瞳には

とても醜く映った

 

 

周りには愛されず 笑われる姿を

窓越しに安心していた

ババ抜きであぶれて 取り残されるのが

私じゃなくてよかった

 

 

思い浮かぶイメージとしては、いじめられている誰かがいて、いじめられている人をかばう(?)か何かしている「優しい人」がいて、その光景を見ている人が「自分じゃなくてよかった」と言っているのだと思います。この見ている人は

 

 

頭を撫でて ただ「いい子だ」って言って

あの子へ向けるその目で見つめて

 

 

と言うんですよね。

米津さんの以前のアルバム「YANKEE」に「花に嵐」という歌があります。

 

 

わたしにくれた 不細工な花

気に入らず突き返したのにな

あなたはどうして何も言わないで

ひたすらに謝るのだろう

 

悲しくて歌を歌うような

わたしは取るに足りなくて

あなたに伝えないといけないんだ

あの花の色とその匂いを

 

 

悪戯にあって 笑われていた

バラバラにされた荷物を眺め

一つ一つ 拾い集める

思い浮かぶあなたの姿

 

はにかんで笑うその顔が

とてもさびしくていけないな

この嵐がいなくなった頃に

全てあなたへと伝えたいんだ

 

 

花 あなたがくれたのは 花

 

 

これは「優しい人」がいなくて、いじめられている人とその人に差し出された好意を拒んだ人の話。自分はいじめられている人を傍から見ている。加害に同調もしていない一方で助けもしない。自分は相手からの好意を「不細工な花はいらない」と突き返した。後から「あれは好意だったんだ、自分こそが気付かずにいたんだ」と後悔して、「あなたに伝えないといけない、自分には花を受け取るだけの度量がなかった」と言っている。でも伝えたいのは「嵐がいなくなった頃」。嵐の最中に向かっていくとは言っていない。

この世界観がとても気になっていたんですよ。今回のアルバムを聴いて「優しい人」でも同じモチーフが出てきたから、米津さんは何かここに引っかかるものがあるのだろうなと思います。

私には、人間関係強者の視点に思えます。力関係の強弱ではないと思う。物事を傍で見ている人は特段強くもないし弱くもない。でも、「不細工な花」「とても醜く映った」なんてことを言う人間は弱者の立場ではないと思う。ここのニュアンスの捉え方が難しいなと思っているのですよ。

「優しい人」では、いじめられている人をかばっている人に対して「その子をかばうだけじゃなくて自分のこともいい子って言ってよ」とちょっと甘えている様子ですよね。

やっっかましいわ!と思ってしまいます。作品世界だからまあいいかと思うけど。あなたはあなたでいい子って言ってあげるけど、あの子の件とは別件でしょ?窓越しに見てるくらいなら出てきて一緒に戦ってよ。と、私が「優しい人」なら言うなー、と思った(既に優しくない)

今から30年後くらいには、米津さんも窓から飛び出して「さあ、僕が助けに来たよベイビー!」とか陽気に歌う日が来るのでしょうか。嵐の中で「君がくれる花ならば僕はすべて受け止めるよ!」とかね。

 

ともあれ、聴いてて楽しかった。「カムパネルラ」は中原中也の「月夜の浜辺」も織り込まれていて、文学が控えめに咀嚼された感じも好みです。「STRAY SHEEP」というと「三四郎」だし。曲調は「感電」と「迷える羊」が好きかな。まだまだ聴き込みます。

 

 

 

ではまた。

 

 

愛しているよと歌うひと

今回は宮本のおじさんのお話です。

NHKのドラマ「ディア・ペイシェント」の主題歌「P.S. I love you」を宮本さんがお歌いになっていますが、タイトルが発表された時点で「はっ?ピーエスアイラブユー??」と虚をつかれたというか、最近の宮本くんの言葉選びにビックリしております。

エレカシをあまりご存知ない方のために、若い頃の曲名を挙げておきますと、「浮き草」「曙光」「偶成」「遁世」等々、無口な文学青年のようなラインナップあり、「てって」「デーデ」「サラリ サラ サラリ」「うつらうつら」といった表音優先・若干意味不明のタイトルもあり。ファンはもちろんそこが好きでファンなんですが、50を過ぎてからの「きみに会いたい」「旅に出ようぜ baby」「P.S. I love you」という率直なタイトルを見ると「宮本様、どうなさいました・・・?」と思わずにはいられないといいますか。

「P.S. I love you」のサビのところも

 

I love you I love you 悲しみの向こう

立ち上がれ がんばろぜ バカらしくも愛しき ああこの世界

I love you I love you いつまでも輝きもとめて

ああ 愛してるぜ 日々を P.S. I love you

 

 

といたってシンプルです。が、ところどころに散りばめられた珠玉のフレーズがあって

 

 

雨の日傘をさすように 歩いていこう

ゆこう ゆこう 大人の本気で さあ 立ち上がろう

 

 

これが「雨の日には傘をさして」だと、雨の日限定の話になるところですが、「雨の日傘をさすように」人生にはいろんなことが降りかかるけど、傘をさして雨をよけながらでも外に出かけていくように、人生も先に進めよう、と歌っているのだと思います。

 

 

愛って何だかわかった日が きっと新たな誕生日

出会いと別れ ああ 人生を経て 宝物を手に入れたのさ

悲しみの歴史それが 人の歴史だとしても

ああ ひとつぶのナミダのその向こうに きみの笑顔を見つけた

 

 

エレカシの「悲しみの果て」(1996年)では

 

 

悲しみの果てに

何があるかなんて

俺は知らない

見たこともない

ただ あなたの顔が

浮かんで消えるだろう

 

涙のあとには

笑いがあるはずさ

誰かが言ってた

本当なんだろう

いつもの俺を

笑っちまうんだろう

 

悲しみの果てに

何があるかなんて

悲しみの果ては

素晴らしい日々を

送っていこうぜ

 

 

悲しみの果て、その向こうには何があるか知らないと歌っていたんですよね。知らないし見たこともないし、誰かが言っていた伝聞でしかなかった。素晴らしい日々を送っていきたいと望むのが精一杯の青年期。NHKの「ライブ・エール」で、ライブハウスでこの歌をうたう当時の映像が流れましたが、まだレコード会社も決まっていなくて、人生の先が見えないまま三十路を迎える頃の歌。

それが今や人生を経て「宝物を手に入れた」、涙の向こうに「君の笑顔を見つけた」、「愛してるぜ 日々を」と歌う宮本くんは、若い頃に希求していた素晴らしい日々を生きているのだと思います。今の宮本くんの成熟と実感を表現するのに、日々を、世界を、きみを愛してる、I love you、この言葉以上に言うべきことはないように思います。

そして更に「ゆこう ゆこう」と歌っている宮本くんは、エレファントカシマシは、この先どんなところに行くのだろうとわくわくしています。「大人の旅路は着の身着のままがいい」んだそうです。

ゆく先々で見たこと聞いたことを歌にして届けてくださいね。エレカシの歌を聴くことで私も旅路の友になりたいと思っています。

 

 

 

 

ではまた。

 

 

「ホットロード」再読

米津さんの新曲「感電」を聞いてます。(ちゃんとホットロードにつながりますので、このまま読み進めてくださいませ)

「肺に睡蓮 遠くのサイレン 響き合う境界線」このフレーズ、韻を踏むといった生易しいものではなく、言葉の持つ音の連想が止まらない人が思わず吐き出さざるをえない表現だと思います。

母音を取り出してみると

肺ai (睡)蓮en サイレンai en (境)界ai 線en

言葉だけでもこれだけのリズムを生んでいる。この言葉のうねりがとても好きです。

 

新曲を聴くたびにその言葉のひとつひとつがとても大事に思えて、私の米津愛はミリも減ってないですし、書きたいこともまだまだあるのですが、でもね、ケンちゃん、わかってちょうだい。宮本のおじさんのことはね、あなたが生まれる前から好きなのよ。宮本のおじさんの話が多くなるのは仕方ないの。(おかあさん)(最っ低)

 

という脳内劇場を展開したところで、はた、と思ったのですが、これは「ホットロード」の和希ちゃんのママですよね。(話つながった)

母と子のふたり家庭、夫とは死別、母親の恋人は若い頃から好きだった人。

ホットロードを最初に読んだ時、このおかあさんのことは幼稚だなと思ってました。恋人のことを若い頃のまま「鈴木くん」と君付けで呼んでいて、成長してないんだなと思った。

でも今、私も宮本くん宮本くんて呼んでるがな!!と気がついた途端に、ちょ、いや、ちが、えー!そんな、いやー!!!と動揺いたしました。

宮本くんて書くと、ファンになった当時の胸のときめきが蘇るんですよ。宮本さんて書く時はちょっと客観的な気分の時。宮本様はクスクス笑いながら書いている時。宮本って呼び捨ての時が一番気持ちが深い。という書き分けは一応意識してやってるんですが、君付けは傍から見ると幼稚か!幼稚だな!気がつかなかったよ!

 

それで、ホットロードをこのおかあさんの目線で読み直してみました。

 

 

ママは一円だって鈴木くんからもらってないわ

なぜそんな言い方するの?

なぜみんなして

そーゆーきたない見方をするの?

 

 

あたしたち 高校の時からずっとずっと好きだったのよ

なぜ?なぜなの?

なぜ好きなのに離れさせられなきゃならないの?

どぉして・・・

別々のひとと結婚しなくちゃならなかったの?

なぜみんなして妨害するのよ?

 

 

 この台詞を読んで、この人は「どうしてこれが私の人生なの」って思ってるんだなあ、とようやく気持ちに寄り添える感じがしました。

「みんなして」がポイントですね。おそらく、双方の親や親戚など周りの人間みんなに鈴木くんとのことを反対されて、でもなんらかの決意か諦めかがあって別の人と結婚した。この夫が亡くなっていなかったら、新しい愛情を育めたかもしれないけれど、結局娘と自分のふたりだけになった。鈴木くんへの気持ちが完全に解消されないまま。

この場面はおかあさんと和希ちゃんのふたりだけなのですが、おかあさんは過去に足踏みしたままなので、目の前の若い命に気がついていない。

それで和希ちゃんはグレにグレていくのですが、終盤、おかあさんはこう言います。

 

 

鈴木さん・・・と一度会ってほしいの

あなたにどういう人か見てほしい

今がいやなら何年先でもずっとあとでもかまわない

その上であなたがいやだというのなら

あたしはもう

あの人には会わないから

 

 

 ホットロードは1986年から1987年に発表。コミックスの表紙に象徴されるように、少女漫画には珍しく遠景が多かったこと、その景色の中の人物も小さく顔がはっきりせず、そこから生じる淋しい空気感が他の少女漫画と異なっていたこと、などから、新世代の物語という印象を受けました。

また、それまでの少女漫画の多くが「私と彼」だけのふたりの世界に終始していたところに、親、学校、先生、という子供にとっては鬱陶しいけれど逃れられない相手が全部登場したところも読者を引きつけた要因だったと思います。決して美しくはない日常の人間関係、親も未熟なひとりの人間であるというような話を読者は読みたかったのだなと思いました。

まさか和希ちゃんのおかあさんの気持ちがわかる日が来るとは思ってもいませんでしたが、年を取るとこういうこともあるんですね。

 

米津さんの話に戻すと、8月にアルバム出るそうなのでとても楽しみです。「感電」のMVも見たけど、米津さん元気そうで明るいですよね。また薄暗いところで歌ってたらどうしようと思ってたけど、遊園地で陽気に歌ってて安心した。ケンちゃん、大人になったわね。これでおかあさんも心置きなく恋に生きることができるというものです。老い先短いから人生に後悔を残したくないのよ。あなたはあなたで自分の人生を生きるのよ!(おかあさん)(和希ママとは違う結論)(ほんと最低)

 

 

私の愛は

私の愛は

時にひまわりになって

雄弁に語りかける

陽射しを正面に受けて

嬉しいのかせつないのか

わからなくなる

太陽は遠く

私は朝と昼を待ち焦がれる

 

私の愛は

時につゆ草になって

沈黙の闇に沈む

月を見上げては

あふれる涙が露となって

この身を濡らす

静かな光が私を照らしても

声をあげることもできない

 

言葉を尽くして愛を語るときも

口をつぐんで身を隠すときも

私の愛は同じなのだと

あなたは知るはずもない

この世には永遠に届かない愛が

それでも永遠に続いていく愛を

私の心は選んだのです

 

 

 

 

 

 

こんにちは。この詩は宮本浩次さんへの誕プレです。お誕生日おめでとうございます。

「宮本くんが好き」という素の気持ちが元にあって、普段ツイッターでつぶやいている「宮本好き好き」は気持ちのエンタメ化で、この詩はそこから更に変身というか変容、変奏、メタモルフォーゼさせてみました。

今年のエレカシお誕生日シーズンも終わりますが、去年、お祝いの定型文だけでも超恥ずかしかったので、今年はツイッターで韓国語(カタカナ表記ですが)だったら恥ずかしくないかなと思ってやってみたけどやっぱり恥ずかしかったです。ツイッター方丈記だと思っていて、言葉が「かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」という感じが好きなのですが、おめでとうって言ってもすぐ流れて消えていくからいっか、と思ったんですよ。

エレカシを聴く時の私の心象は、彼らを中心とした同心円の一番外側の縁に腰かけていて、ファンが増えて円がどんどん大きくなるのが楽しくて、でも前に出ようとは思わなくて、遠くからでも聞こえるからいいや、宮本くん声でかいし、という感じです。4人がファンの愛に包まれているのが見えるところにいたいというか。通常、ステージと観客は対面関係ですが、エレカシに関しては円を浮かべるんですよね。不思議。

 

 

 

では、また、よい一日をお過ごしくださいませ。

 

 

政治的発言とは

私が韓国ドラマにハマったのは、NHKBS2「チャングムの誓い」(2004-2005)からです。うちはBS契約をしていないので実家で録画してもらった物を見て、後半はDVDを購入して見ました。韓流ブームを起こした「冬のソナタ」がNHKBS2で2003年放送なので、そのすぐ後ですね。

チャングムは16世紀の朝鮮王朝時代を舞台にした歴史劇です。私は韓国の歴史をまったく知らなかったので、王様の名前、両班(ヤンバン)という貴族、着る物食べる物すべてが新鮮で興味深く、チャングムという一人の女性の激動の人生が歴史の流れの中で展開されるのを瞬きをするのも惜しいくらいに見入りました。

もっと韓国ドラマを見たい、韓国のことを知りたいと思いました。やがて地上波でもドラマが放送され始めたので見れるだけ見て、レンタルDVDも借りれるだけ借りて、睡眠時間を削ってでも見まくりました。韓国ドラマの感想ブログも増えて、読んで回るのも楽しかったです。

が、2012年に李明博大統領(当時)が竹島に上陸したあたりから日韓交流に陰りが訪れて、と言っても政治分野での話ではあったので、ドラマもkpopも変わらず日本に入ってきてはいたのですが、私は「韓国ドラマの感想を大っぴらに言う人が減るだろうな」と思いました。案の定、ブログを止める人、中には「韓国ドラマの感想は控える」とわざわざ宣言する人もいました。

嫌韓」という言葉が出回る世の中で、その言葉を振りかざしてデモをする人々がニュースになる中で、「私は韓国が好きです」と公言することは勇気を必要とする空気が生まれていったのです。ネットでいつ絡まれるかもわからない、現実の場面でも「日本の領土を占領する国の何が好きなんだ」と挑まれるかもわからない。そういうリスクを避けたいと思うのは仕方がないことだな、と思いました。

私はといえば、空気は基本読まないですし、読んでも、同調するか無視するか反論するかは自分で決めるしかないと思っています。ので、嫌韓という空気に対しては柔軟に抵抗しようと思いました。

やることはひとつだけです。「私は韓国が好き」と言い続けること。なぜ好きなのか、どういう魅力があるのかを、いつでも説明できるように自分の考えをまとめて言葉を磨いておこうと決めました。

「柔軟に」というのは、声高に論陣を張ると人は耳をふさぐと思うんです。押し過ぎず引き過ぎないように加減しながら、今ならこちらの話を聞いてもらえるかな?というタイミングを見計らって、にこにこ穏やかでひかえめだけれども自分の意見は伝える、というスタイルです。

「アンニョンって『安寧』って書くんですよ。相手の安寧を祈る言葉が挨拶になっているんです」とか「韓国は『愛してる』と口にする文化みたいですよ。ドラマの中とはいえ、高校生男子が父親に『父さん、愛してるよ』って普通に言いますよ」とか、韓国ドラマを見たことがない人に話すと非常に関心を持っていただけます。

BTS防弾少年団)の人気の一端にも触れてみましょうか。彼らはツイッターでの発信が多いのですが、コンサート後すぐに「今日は寒かったね。温かい飲み物を飲んでお風呂に入ってね」などと、共に寒さを分かち合ったね、とばかりにファンに向けてすぐツイートしますし、グラミー賞でパフォーマンスをした時も「ARMY(BTSのファンの名称)のみんなが僕たちをここに連れてきてくれた」とファンへの感謝と愛情を常に伝え続けます。ファンはARMYの一員であり、BTSは一員である自分にも語りかけてくれていると思えるんですね。

日本と韓国の長くて複雑な歴史を考えた時に、現在の政治分野での関係悪化もまた先へ続くための一過程だと思います。忍耐と協調と努力で未来にバトンをつなげたい。そう思いながら、韓国ドラマやkpopについて語ることは、十分に「政治的な発言」だと私は思っているのですが、どうでしょうか。

最近、ツイッターで芸能人の政治的発言が話題になりましたが、狭義の政治用語を使うだけが政治的発言じゃないよな、と思ったので自分の考えを書いてみました。

 

 

 

ではまた。