めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に。

山下彩花の一週間は明快だ。

月・水はボーイフレンドと会う日。火・木は数学と英語の塾。金は何もしない日。土はピアノ。日曜は何もしないか、真菜と遊ぶ日。

今日は金曜だが、予定通り何もせずに帰りの電車に乗った。

「真菜、今度の日曜空いてる?」

「あー、立花くんと予定入れちゃった。誕生日なの」

「そっか。じゃ、また、今度ね。おめでとって言っといてね」

「うん、また明日ね」

真菜は先に降りていった。バイバイ、またねと言いながら、彩花はいつも少しさみしい気持ちになる。真菜とは高1から同じクラスで、入学したその日から仲良くなった。教室で初めて顔を合わせた時、同時に「あっ」と声が出た。そして吸い込まれるようにお互い近づいておしゃべりを始めた。どこの中学なの?家はどこ?方向一緒だね。リップなに使ってるの?つやつやで可愛い・・・。たわいのない話をとめどもなく続けて、飽きることがなかった。高2でも同じクラスだったので手を取り合って喜んだ。真菜、真菜、私、真菜みたいにおかっぱにしようかな、と言ったら、彩花はその長い髪が大人っぽくていいんだから切らないで、と言う。真菜がそういうなら、じゃあ、長いままでいようかな。でも、真菜のあどけない感じが私はとても好きなんだ・・・。

真菜の後ろ姿が遠くなっていく。お腹のあたりにギュッと力が入る。

スマホを見るとボーイフレンドの祐也からLINEが来ていた。

「今度の日曜、会って(>_<)」

「いいよ。いつもの公園?」

「うん。4時に」

「もっと早くてもいいんじゃない」

「僕、部活あるから(‘ω’)」

「わかった」

彩花のいいところは、スケジュールを立てるけれども縛られないところだ。予定外の日曜デートに、何着て行こっかな、くらいの軽い気持ちでいた。

いつもの公園は、祐也の最寄駅のすぐそばで、商店街の入口にある。ブランコがひとつ、ジャングルジムがひとつとベンチがみっつだけの小さな公園だ。いつもここで待ち合わせして、スタバに行っておしゃべりしたり、本屋さんに行ったりする。

祐也はサッカー部なので日曜も練習が入ることが多く、部活がない月曜に会うことにしているのだが、なんで今日はわざわざ部活の後に会いたがったのかな、と彩花は引っかかった。そして、その疑念は当たっていた。

「山下さん、どういうことか説明してくれる」

公園で待っていたのは祐也だけではなく、もうひとりのボーイフレンドの佐藤くんも一緒だった。

「彩花ちゃん、びっくりしたよ。なんで佐藤くんとかけもちなんかするんだよ」

かけもち・・・?と、彩花と佐藤くんは思わず顔を見合わせた。

「あの、中田くん、ふたまた、だよね」

「どっちでもいいよ!大事なのはそこじゃないだろ!僕のことをどう思ってるの、彩花ちゃん!」

学校の違うこのふたりはどこで知り合ったんだろう、と彩花はぼんやり思ったが、今それを聞くべきではないことくらいはわきまえていた。

ああ、説明しないとダメか。今か、それ。いつか来るとは思っていたけど、今なのか。

「あたしはふたりのことが好き。それぞれ好き」

「それじゃわからない」

佐藤くんは目をそらさずに言う。そういう真面目なところが好きなんだけどな、と彩花は思う。

佐藤くんとはピアノの先生のところで出会った。ふたりで順番を待っている間に彩花の方から声をかけた。

「あの、いつも土曜に来てるの?」

「いや、木曜なんだけど、今週テストで休んだから、その振替」

「そうなんだ。リサ先生のとこ、長いの?」

「2か月前からだよ」

「えっ、2か月前?」

「始めるには遅いかなと思ったんだけど、どうしても自分で弾けるようになりたくて」

「すごーい!いいね、そういうの、あたし好き」

「あの、えっと」

「あ、山下彩花です」

「僕は佐藤諒太。山下さんはいくつからやってるの」

「5歳なんだけど、とろとろやってるからあんまり進んでないの。高校受験の時も1年休んだし」

「あー、やっぱりそれくらいから始めるものだよね」

「ねえ、いつか連弾しようよ」

「ええ?僕には無理だと思うけど」

「無理じゃないって。ね?後で先生に何の曲がいいか聞いてみよ?」

佐藤くんは努力家で、先生に選んでもらった連弾曲をずっと練習している。彩花がそろそろ合わせてみようよと言っても、まだダメだから、と実行されずにいる。

もしかして、もう連弾してくれないのかな、と彩花はのどがつまる感じがした。

「ねえ、彩花ちゃん、何とか言いなよ」

祐也とは去年、塾が一緒だった。4、5人のグループ授業だったが、若い男の先生がにこりともしなくてちょっと怖くて、みんな緊張して黙々とノートを取っていた。

「先生、これなんで文の真ん中に動詞の原形があるんですか」

祐也は唐突に質問した。

「すみません、どうしてもわからなくて。みんなはわかってるのかもしれないけど、僕、わからなくて」

「あ、あたしもわかりません。知りたいです」

彩花がそう言うと、祐也はぱーっと明るい顔になった。

先生は、怖いと思っていた先生は

「いや、そうか、ごめんね。一方的にしゃべり過ぎたね」

と、照れたような顔をしたので、みんなびっくりした。

「自分は英語が好きで、つい語っちゃって、君たちの質問を聞くべきだったね」

その日から、授業は一変して楽しくなった。

「彩花ちゃんが援護してくれたからだよ、雰囲気変わったの」

と、祐也は言った。

「そうかな。あの空気を突破したのは祐也だよ。すごいよ」

彩花は祐也の素直なところがいいなと思った。わからないことをわからないって言えるって強いよね、と思っていた。

「彩花ちゃん、聞いてるの?」

「うん。聞いてる。わかってる」

「山下さんはどういうつもりでいたの」

「あのさ、出会った人と話して仲良くなるのはダメなの?」

彩花は、口調が淡々と聞こえるように体に力を入れた。素のまま話したら感情が言葉に乗ってしまう。ここは情に訴えたくない。自分の理性と知性を総動員しなければならない。

「佐藤くんと話していいなと思った。祐也と話してもいいなと思った。どっちも素敵な男の子だと思った。もしふたりが女の子でも私はいいなと思ったと思う。ふたりが男でも女でも、私が男でも女でも、私は佐藤くんを、祐也を、好きになると思った。だから仲良くしたかった。それくらい好きだと思ってる」

彩花は深く息を吐いた。

本気で言ったよ。私は本心を言った。

「俺、正直わからない。そんな返事がかえってくるなんて、思ってもみなかった」

「そうだよね、かけもちしてごめん、とか、そんな話かと思ってたよね」

長い沈黙の後、佐藤くんはためいきをついた。

「今日は帰る」

「僕も帰るよ。彩花ちゃん、送らないからね、ごめんね」

「・・・さよなら」

彩花はふたりの背中をずっと見つめていた。

 

またね、と言ったらダメだろうな

ごめんね、あたしのこと、可愛いガールフレンドだと思ってたよね

期待してたよね、それはそうだと思う

あたしが少しずれてるんだとは思う

でも、話したら楽しかった

ふたりとも自分の世界があって

私の世界も知って欲しかった

ストレートにぶつけちゃダメだったのかな

とりあえず、普通のガールフレンドみたいにしておけばよかったのかな

残念だよ さみしいよ

私は私なりにふたりとも本気で好きだったから

ごめん ごめんね でもさみしい さみしい

とてもさみしいよ

 

日曜の夕暮れの街は人の行き来も多く、ジャングルジムで遊ぶ子供の歓声が響く。親子連れが、手をつないでいるカップルが、彩花のそばを通り過ぎていく。夏の初めのあたたかな風が頬をなでたが、彩花は手がかじかんでいた。ような気がした。

「彩花?」

耳が、最初に反応した。それから全身でその声を受け止めた。振り返ると真菜が立花くんと一緒にいた。

「真菜」

「どうしたの?」

「・・あっ、ううん、本屋に行くとこ。立花くん、お誕生日おめでとう」

「あー、ありがとう」

立花くんはうつむいて彩花と目を合わせないで恥ずかしそうに答えた。それからゆっくり視線を上げた。

「・・山下さん、どうかした?」

「やだ、なに、どうもしてないよ。じゃ、またね、明日」

彩花は先に歩き出した。真菜に、話したいな。でも、今はダメだな。今は立花くんを優先すべきだよね。せっかく会えたのに。

そう思ったとき、するりと腕にすべり込んできた。

「あーやか。一緒に帰ろ」

「・・・立花くんは・・・」

「今日はもういいの。後は彩花といる」

真菜は顔を寄せてそう言った。

彩花はほろほろと泣き出した。

「うちに行こう。ほら、電車乗るよ」

彩花は声も立てずに泣きながら歩いた。真菜と手を組んで歩く夕方の道にふたりの影が落ちる。真菜がいればいい、と彩花は思った。真菜の柔らかい体が彩花の緊張をほどいて体温を戻した。

 

 

これは性愛ではない

私がキスしたいと思うのは男の子

体を重ねてみたいのも男の子

この女の子ではない

でも離れたくない いないとさみしい

私とこの子の間には誰もいらない

ふたりだけでいい

こんな気持ち

私だけかな

 

 

真菜の部屋で、彩花は今日の出来事を話しながら、ふたりでカーペットの上に寝転んでいた。手をつないで。

「友達になりたいってダメなのかな。話すと楽しいのに」

「まあねえ、男子はそうは思わないかもねえ」

カレカノでもいいんだけど、なんでひとりとしかつきあったらダメなの」

「そこは彩花独特だよね」

「そうなのかなあ」

彩花は真菜の腕に顔をうずめるようにして

「やわらかい」

「んー」

「男の子もやわらかいといいのに」

「そだねえ」

「・・・そういえば、立花くん、よかったの。誕生日デートなのに」

「誕生日自体は明日だから大丈夫。ちょっと長めのチューしとくから万事解決」

「長め」

「うん。立花くんね、泣くんだよ、長めチューで。感極まるらしくて、それ見て私もつられて泣くの。いいよね、男の子の涙」

「ねねねね、姐さん!!」

彩花は飛び起きた。

「わわ、わたし、そこまでの境地には、まだ、あの」

「キスしないの?」

「わたし、したことないよ」

「はっ、ふたりも彼氏いて?何やってんの?」

「だから、あたし、男の子と話すのが好きなんだって」

「えっ、文字通り?」

「そう、文字通り。私の言葉に裏表はない」

「マジかー」

真菜も起き上がって、ひざをくっつけあって座った。

「彩花、元気になった?」

「うん、なった。真菜、好き」

「ふふ、何それ」

明日から月曜と水曜が空くな、と彩花は考えた。何をしようかな、何もしない日にしようかな。さみしいけど、しょうがないか。私は勝手だな。勝手に好きになってさみしがって、そういえば謝ってないな。謝ると相手に負担をかけるかなっていつも思うけど、ふたりにはごめんねって言っておけばよかったな。それでもまだ好きですとは言えないけど。しばらくはちょっとつらいな。それも勝手だけどね。

 

それから数日経った放課後、彩花と真菜が校門を出ると、佐藤くんと祐也が待っていた。

「なんの用?」

口を開いたのは真菜だった。

「君が真菜ちゃん?」

「気安く呼ぶな」

「ご、ごめん。いつも話を聞いてたから。あの、山下さんと話がしたくて」

「彩花ちゃんともう少し話してみようって思ったんだ、僕たち」

「山下さんと一緒にいて楽しかったのは本当だから、なんかこれで会わなくなるのもつまらないかなって俺たち話してたんだよ」

「・・・ありがとう」

彩花は真菜に抱きついた。えっ、そっち?と男子ふたりは期待が外れたが、彩花の泣き顔を初めて見て、こんな幼い姿が見られたからまあいいか、と思った。真菜は、ふたりはどうして知り合ったの、と聞いた。小学校が一緒で家が近所なんだよ、と祐也が答えた。なるほど彼女自慢でもしたのね、と真菜は思ったが口には出さなかった。でも、まあ、なかなか見どころはあるかな、さすが彩花が選んだだけのことはあるわね、と思ったのも黙っておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

このお話は、「宮本くんの女子成分」と紫式部の和歌「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かげ」を混ぜてこねて球にして、えいっと投げました。違う言い方をすると「五十男から得たイメージを元にして女子高校生の友愛話を書きました」ということになります。

大丈夫でしょうか、デッドボールで死屍累々とかじゃないといいのですけれど。受け取めるなり打ち返すなりよけるなり、お好きになさってくださいませ。

今回は、「足さない引かない」ではなく、かなり足しました。私の胸元にある「宮本くんから受ける女子的イメージ」という小さな塊に、いろんな要素を足しまくって、空中に思い切りぱーっと広げるような感じで書きました。引こうかとも思ったのですが、宮本くんの可愛さは引けないわと思って、何も引いてません。

宮本くんは、エレカシは、足しても引いても大丈夫なんだと思ったのです。私が多少ピヨピヨ言ったところでこの方たちはもう揺るがないと思いました。それが、アルバム「Wake Up」の総括的な感想です。

紫式部の和歌は、「逢えたと思ったら、あなたはもう行ってしまったの」と、恋心かとも思えるようなニュアンスですが、女友達について歌ったものだと本で読んで、なんかものすごくわかると腑に落ちました。源氏の女性たちが個性豊かで魅力的なのは、紫式部が女性同士の友愛をとても大事にしていたからなんだろうなと思いました。

そして、こういうささやかですが創作をした後は、通常は自分の中には何も残らないのですが、今はまだ宮本くんが胸の中にいて、「ちょっと待て」と、もうひとつ思っていることがあるのです。

宮本くんの歌詞は、ひらがな一音、漢字語一つも漏らさず、すべて私の身に浸透していっている。身に取り込むことに私はなんの疑念も抱いていない。

エレカシを久しぶりに聴き倒して、無防備になっている自分に気がついて、これは何故なんだろうと考えていたのです。無防備とか油断という性質は私の性格にはほぼ無いのです。

もともと、私が嫌だと思う言葉は歌詞に出てこないな、とは思っていました。否定的なニュアンスとか、最近の言い方でいう「闇落ち」するような言葉はないと思います。

あとは、流行り言葉を使わない、助詞をずらさない、過剰な形容をしない、が特徴と言えるでしょうか。

また、歌詞における語彙数はかなり限られています。宮本ワードというのがあって、

 

月、たまに太陽と星

夏、夕方、灯りのともる街

涙、孤独、夢

かりそめ、しかばね

立ち上がる、外に出る

歩く、風、旅

一瞬と永遠 一瞬の中に永遠がある

神様に祈る

今を生きる

 

これらを繰り返し宮本くんは歌うのです。花鳥風月が基盤にあって何度も同じテーマを歌う、これは和歌の手法ですよね。古典的で普遍的で、とても日本人好み。私が宮本くんの歌詞を端正で美しいと思うのはこういうところです。古典が好きな私がすんなり受け入れるのも道理だとも思います。

が、それだけでここまで宮本くんにメロメロになるかなあ、と、まだもやもやが残ります。歌を聴いている時、私の中の「構え」が全部外されるというか、緊張がほどけ切ってしまうというか、音も声も言葉も「深く身にしむ物にぞありける」(和泉式部)という感じなんですよ。これはなんでしょう。もう少し考えてみます。

それと、私はエレカシ愛を語るつもりはなかったんです。陰ながらこっそり大好きでいればいいやと思っていました。長く好きだったら偉いってわけでもないし、今日エレカシを好きになった人の愛と私の愛は変わらないと思います。どちらも「エレカシが好き」で同じだと思う。

でも、赤羽駅が私のモードをガチッと切り替えた。私の精神をガッとつかんでエレカシの方へぶん投げた。あの発車メロディにはそういうニュアンスがあったような気がします。

 

 

今回もお読みいただきましてありがとうございます。皆様に私の心からの感謝が伝わりますように。

 

最後に、4月14日は冨永くんの、4月15日は高緑くんのお誕生日ですね。おめでとうございます。よい一年になりますように。

 

 

 

エレファントカシマシ「Easy Go」

「Easy Go」を、確かテレビでだったと思いますが、最初に耳にした時、「つわものどもの夢のあと 21世紀のこの荒野に」エレカシは生き残ったね、と思いました。デビュー当時はバンドブームでいろんな才能が現れて、群雄割拠の時代だったと思う。あれから30年の時間が過ぎる中で、たくさんのバンドが解散して、亡くなった方々もいて、その中でエレカシが21世紀の荒野に4人で立って生きていることは奇跡のようだとぼんやり思っていました。

前回の文章を書いた後、久々にエレカシを聴き倒してみるかと思って、アルバム「Wake Up」をぐるぐる聴いています。「Easy Go」は特に好きです。「ファイティングマン」「ガストロンジャー」と、この「Easy Go」が私の体内リズムにしっくりくる三大大好きな曲です。

 

待っててくれbaby おまえのハートに

この世界中のあらゆる輝き届けるぜ

 

ここのところで、もう十分キラキラしたものをもらったと思うけどな、もうほんとに幸せにしてもらった気分なんだけどな、と、ほわほわ聴いていたのですが、ちょっと待て。

何この「男の人になんか優しいこと言ってもらった」感は!!??

エレカシの歌を聴いてこんなこと思ったことないですよ??なんで私こんな無防備になってるの???

そもそも宮本くんて性別ないじゃないですか。あえて言うなら「性別:可愛い」が一番近いかなと思います。

エレカシの歌はガチの男歌で、女の子メンタルはゼロ。皆無。女性に対しても「おまえ」呼びで、まさに昭和の男の歌。そして、本来なら、そんな男性性の強い歌詞が持っているはずの威圧感と強権性も皆無です。それはひとえに宮本くん本人に女子成分が高いからですよ。あのぷっくらほっぺにくるくるした瞳、加えてとどめの美脚。インスタで石森くんとのツーショでかもしだす彼女感。ファンのブログやツイッターでは「天使」「妖精」「お姫様」とまで言われる始末。若い頃から雄み無しエロ味無しで女子受けしようなんて考えてもなさそうな透明感。女子受け考えてたらあんな変なポーズで歌ったりしませんよね。

私はずっと同性感覚で見てきて、女同士、男同士として共鳴している感じなんですよ。なのに、なぜ今男の人だと思ったのかしら。

・・・たぶん、私、仕事でへとへと&くたくたで、ここ数ヶ月は救心と胃薬交互に飲んで乗り切ってる感じなので、気持ちが弱っているのだと思います。ちょっとやさしげな文言に触れてほろっとなっただけだと思います。今さら恋に落ちたりなんて、しないと思う(意地っ張り)。

 

 

 

ま、それはそれとして、「Easy Go」では、宮本くんは泣いているのですね。最初気がつかなかった。「涙に滲んだ過去と未来」って歌っているということは、「今」の宮本くんが泣いているから、過去と未来が涙で滲んで見えてるんですよね。

この「宮本の涙」もちょっと不思議なんですけど、歌詞の中ではよく泣いていて、ほんとにただ泣いてるだけなんですよね。泣きを売りにしている感じはまったくなく、涙を武器にして女性に共依存を求める腐敗した甘さもない。なんのアピールもなくて、つーっと涙が流れるままにしてる感じ。静かで慎ましやかですよね。なんか、こう、「泣きたいならオレの背中の陰で泣け」って声かけたくなりますよ。私の中の野郎成分が男宮本に感応しているのです。

 

 

 

最後に、この歌の中で一番好きなのは

 

 

剛者(つわもの)どもの夢のあと 21世紀のこの荒野に

愛と喜びの花を咲かせるぜ 神様俺は今人生のどのあたり

 

 

「今人生のどのあたり」、つまり、自分はあとどれくらい生きるのだろうと「終わり」を考える年になったんだな、と深く共感しました。同世代の考えることって同じだなと思います。

「Easy Go」は全体的に明るくて弾けてて、メロディアスでせつなくて、エレカシの強さがストレートに伝わる曲だと思います。人生の終わりを感じながらも、愛と喜びの花を咲かせよう、ファンにこの世界中のあらゆる輝きを届けようと、相手のことを考える4人は、かっこいい大人の男だなと思います。

 

 

ちょっとだけ私の話で恐縮ですが、私がこのブログを書き始めたのも、自分の「終わり」を見据えて、今自分が思っていることを書き残しておこうと思ったからです。

私は会社人生にはとても恵まれて、信頼できる上司に出会って、責任も持たせてもらって、仕事は毎日楽しいです。無論、楽しくなるように努力はしましたよ。タダで仕事が楽しくなることなどないですから。

でも、私が本を読んだり、音楽を聴いたりして感じたことは、どこにも誰にも伝える場所がないなと思っていました。まあ、それでもいいかな、このまま灰になっても、くらいの気持ちでいたのですが、この球を投げてみたらどうなるかしら、とも思ったのです。せっかくだから、直球で、豪速球を投げようとも思いました。人生いつ終わっても後悔のないように。広いネット空間に、きっとひとりかふたりくらいは受け止めてくれる人がいるだろうと信じて。

 

 

 

 それにしても、私のエレカシ愛も30年物かあ。ほんとにいつの間にこんなに時間が過ぎたのかしらと思います。20代の頃と変わらず好きですよ。途中、飽きたり嫌いになったりするのかなと思ってましたが、そんなことはまったくなかったです。大好きな大好きな4人です。

3月18日は石森くんのお誕生日ですね。おめでとうございます。よい一年になりますように。

 

 

エレファントカシマシ「今宵の月のように」

その日、私はJR湘南新宿ラインを北へ向かっていたのですが、赤羽駅の発車メロディがエレカシの「今宵の月のように」であることを、その場で直に聞いて初めて知りました。なんの前知識もなかったので、その衝撃たるや「よかったねえ!!ここまで来たんだねえ!!」と、テンションダダ上がりでしたよ。5番線が「俺たちの明日」で、6番線が「今宵の月のように」なんですね。

エレカシのメジャーデビューは新宿にあった日清パワーステーションでのライブでしたよね、確か。私は友人と一緒に行ったのですが、目の前にいる同世代の男の子4人を見て、「わー、なんかこの人たち好き」と思ったあの日からずっと好きです。

エレカシの音も声も言葉も虚飾が無くて、私はそこが好きなのですが、無さ過ぎて当初は引っかかりが万人にはわかりにくくて、だから不遇の時期があったのかもな、と今は思うのですが、当時は、何故こんなにいい歌がもっと世の中に広まらないのだろうと思っていました。

だから、「今宵の月のように」がヒットして、エレカシが歌番組に出たり、宮本くんがドラマに出たりするようになって、とても嬉しかったです。特にスマスマに出た時は「天下の木村拓哉と並んで歌って可愛さで引けを取ってないわよ、宮本くん!!」と涙ながらに見てましたよ。

宮本くんの声は、いつも私を振り向かせます。私に向かって歌ってくれるという感じではなく、エレカシがあるべき場所で歌っていると、はっとして振り向くのです。ああ、新曲が出たんだ、とか、ドラマの主題歌を歌ってるのか、とか、宮本くんの声が聞こえたら私は顔を上げて振り向きます、どこにいても、何をしていても。

宮本くんの歌詞は、端正で静かで美しいと思います。奇をてらったところがなく、まっすぐで、聴いていると心が直っていくような気持ちになります。堅固だけれど硬くない、ひらがなが多めだけれどピュア過ぎない、抽象に流れ出さず輪郭をきちんと描くような安定感がある言葉だと思います。

なぜかテレビでの行動は落ち着きがなさ過ぎる宮本くんですが、最初から今に至るまで、言葉の美しい佇まいは変わらないですね。

駅の発車メロディは、そう意識的に聴くものではないと思います。毎日、電車に乗って、仕事に行って、また帰宅して、なんとなく過ぎていく日々の中でなんとなく耳にしているメロディ。日常の中に溶け込んでいるので、駅に着くたび、駅を出るたびに話題にするわけでもない。

でも、そういう日常の中にエレカシの歌があって当たり前の世の中になったんだなあ、いかにもエレカシらしい到達点だなあと、長い間ファンである私にはとても感慨深い出来事だったのです。

言い換えると、エレファントカシマシが世の中を変えたのだと思います。エレファントカシマシという概念を、価値観を、そこに喜びがあることを、世間に知らしめることができたのだと思います。

こんな幸せな地平を見せてくれてありがとう。これからもずっとずっと歌い続けてください。どこまでも飛躍してください。私も陰ながらずっとファンでいますから。

 

 

米津玄師「Flowerwall」

私は「Flowerwall」を「お迎えソング」と呼んでいます。メロディがあまりにキレイで「このままお迎えが来てもいい・・・」と思ったからです。2、3回はぼんやり聴いたところで、ふと歌詞が立ち上がってきました。

 

 

フラワーウォール 目の前に色とりどりの花でできた

壁が今立ちふさがる

僕らを拒むのか何かから守るためなのか

解らずに立ち竦んでる

それを僕らは運命と呼びながら

いつまでも手をつないでいた

 

 

思ったのは、「壁は乗り越えないの?」というのと「『立ちふさがる壁』が『守る』って、何?」というものでした。

この歌は、全編男の子のモノローグです。女の子と出会って気持ちが通い合う喜びを歌っています。

 

 

それでも嬉しいのさ 君と道に迷えることが

沢山を分け合えるのが

フラワーウォール 僕らは今二人で生きていくことを

やめられず笑いあうんだ

それを僕らは運命と呼びながら

いつまでも手をつないでいた

 

 

花の壁が自分たちを拒むのか守るのかわからずに、壁の前につっ立って、ずっと手をつないでいるおふたりなんですが、まあ、ここはいいんです。お幸せそうでなによりです。ここで気になるとすれば、フラワーウォールちゃんの意志がどこにも見られないことです。この女の子の言動描写がないので、私も人物造形はできないし、しません。だって米津さんが歌っていないのだから。

まあ、でも、男性が「僕たち何も言わなくてもわかりあってるよね」と嬉しそうに言う時、女性の方は「(怒)」ってなってることが多いように思うので、できればフラワーウォールちゃんとお話し合いをされた方がいいように思います。

本題はここではなく、壁を乗り越えようとしていないことと、壁が守っているのかもしれないという点です。

花でできているなら容易に壊すことができて、向こう側へ行けるだろうに、なぜ何もしない?向こう側に行くことを欲していないのか?

そして、立ちふさがっている壁が「自分たちを守るかもしれない」という感覚に、正直ぎょっとしたのです。唯一、米津さんの言葉の中で、これだけ、私はどうしようもない違和感を覚えました。

理由はふたつあります。ひとつには、ベルリンの壁を壊すのに長い時を要したというのに、また壁を作ろうとする為政者がいることにうすら寒さを覚える昨今。ふたつめは、K-popファンが直面する韓国の徴兵制。南北が分断されたゆえに朝鮮半島が抱えている危機感。

私にとって、壁は分断の象徴でしかなく、それが何かを守るという発想はどうしても出てこない。

それで、米津さんのインタビューを読んでみようと思いました。

 

「“花の壁”っていうのが実際にあったとしたらそれはどういう感じなのかなっていうのを想像してみたんです。ネガティブな意味としての立ちふさがる“壁”と、ポジティブな意味としての“花”、その複合体である“花の壁”。それは幸せでも不幸でもないなって思って」

(音楽ナタリー 2015年1月14日)

 

立ちふさがる壁がネガティブとは思ってるのか、なるほど。と納得しました。特にここで何か引っかかることはなかったです。

 

私のいいところは(人が褒めてくれない時は自分で自分を褒めていく)、自分がわからないものはとりあえず素直に受け入れることと、一度疑問を持ったら、どれだけ時間がかかっても粘り強く解決の道を探るところです。この曲を最初に聞いたのが去年の夏くらいで、考えてもわからないので、この歌詞を丸呑みして腹の中に収めて、小さな熾火にして抱えておいて、一旦忘れて日常生活を送って、何かヒントが降ってくるのを待っていました。が、何も変わらないので、今年に入ってインタビューを読んだんです。

作品としては何もおかしくはありません。男の子と女の子が出会って一緒に生きていこうね、というラブソングを、花でできた壁という抽象画の世界で歌っていて、天使が飛んでるような、ちょっと幻想的で宗教的な風味のある夢のような美しい曲です。

ただ、私が勝手に引っかかっているだけです。

キリアンはドイツが東西に分断されたから苦しんだんだよな、と少女漫画読みの私はどうしても思うのです。分断の象徴であるベルリンの壁を、そしてその壁の崩壊を、キリアンは、テオは、どんな気持ちで見たことだろうと思うと・・・。

ここで、はた、と思い当たりました。もしかしたらと調べてみました。

 

1949年 東西ドイツ成立

1959年 エドガーとアラン、西ドイツのガブリエル・ギムナジウムに転入

1961年 ベルリンの壁 建設

1989年 ベルリンの壁 崩壊

1990年 ドイツ連邦共和国に統一

1991年 米津さんお生まれに。この年、ソ連崩壊

 

 

 

 

そうか。米津くん、君はベルリンの壁がない世界に生まれてきたんだね。ソ連も知らないか。もしかしたら、香港は昔は英国領だったことも知らないかもしれない。ええ、そうです、私が女学生の頃は公園に恐竜がいたものですよ・・・。

 

 

 

 

昔々、ベルリンの壁をなでた風が

大陸を渡り

海を越えて

日本で深呼吸する私の肺に

するりと入り込んだ

私の表層は、ただ息を吸って吐くだけ

肺の中のベルリンの風は

私の中でくるくると回る

回り続ける 今も

 

君の胸に吹く風は

ただひとつの国 ひとつの街を通り抜けてきた

同じように大陸を渡り

海を越えて

君の肺を満たしたその風は

どんな感じだろうか

ベルリンの壁がない世界に生まれて育つのは

どんな気持ちだろうか

私には知り得ぬ風を抱く君が

何を見ているのか 聞いているのか

 

今 同じ時代の同じ呼吸が

何を生み出していくのかわからないけれど

どこにも行けないと歌う君も

いつかどこかに辿り着く

その景色を歌ってくれる日を

心待ちにしているよ

 

 

 

 

 

 

 

ショックのあまりつい詩作を・・・。いや、なんか形にしないとココロが持たなかったので。すみません。ベルリンの壁崩壊って、10年前くらいの感覚でいましたよ。ソ連崩壊は5、6年前くらい?いやはや、こんなに時間が経っていたんですね。

ええと、短絡的な結論を出さないのも私のいいところです。「壁が守るかもしれない」案件は保留にしました。たぶん、永久保留。簡単に、単純に、結論を出していい問題ではないと思いました。これは時代の変遷、人間の歴史の営みなので、何か結論らしきものが出るとしても、百年、二百年の時間は待たなければならないと思います。

この、結論の出ない曖昧さを抱えるタフネスは大事ですよね。百年後、二百年後に「Flowerwall」を聴いた人たちが、何らかの感想を言うと思います。その頃には壁に対する新たな意味が生まれているかもしれないから、それまで待ちましょう。

 

 

 

ボブ・ディランがノーベル文学賞をもらっても世界は変わらないのか

ちょっと思うところあって、米津さんのインタビューをいくつか読んでみました。「思うところ」はまた別にまとめますが、とりあえずびっくりしたのは、歌詞についてあんまり褒められてなくないですか??なぜ?それとも、これでも世間は十分に褒めているつもりなの??

私は若い頃から疑問なのですが、ミュージシャンのインタビューを読んでも、歌詞の意味性についてしか話題にならないような気がするんです。希望を歌っているとか絶望を歌っているとか、他者との関わりを通して知った自分とか。

それは、ドラマの感想で「話が面白かった」としか言っていないようなものだと私は思うんです。脚本はストーリーだけでなく、喜怒哀楽をどういう言葉で表現したかという視点も持てますよね。また、ドラマは他にも見るところはたくさんありますよね。役者さんの表情、体、声、髪型、服装、メイクとか、食べ物、飲み物、室内描写、ロケ地、音楽、照明、カメラワーク、時代劇だったら殺陣などなど。

歌詞も同様に、筋立てとか言いたいことだけでなく、どういう言葉を使っているのか、その言葉をどういうメロディやリズムに乗せているのか、歌詞を文字で読まずに聞くだけで何がどう聞こえてくるか、文字で読んで初めて気がつくことがあるか等、視点は多々あると思います。

なにより日本語は漢字・ひらがな・カタカナの使い分けがポイントにもなるわけですから、この3つの量の配分とか、漢字を想起させる歌い方をしているとか、外国語も組み込んでいるとか、気がつくことはやはりたくさんあります。

「私の若い頃」からはずいぶん時間が経って、その間、このテのインタビューをあまり読んでなかったのですが(韓国ドラマとK-popの世界に行っていた)、米津さんほどの歌詞に対してもまだ意味性しか語られないのはどうなってるの??と率直に思います。

 

例えばですけど、「脊椎がオパールになる頃」というツアータイトルについてはどなたか称賛されたのでしょうか。念のため、これ米津さんのオリジナルですよね?何かからの引用ではないですよね?違ったらごめんなさい。まあ、言葉をどう味わうかという観点で以下を読んでくださればと思います。

このフレーズ、息をのむほど美しくて私は声も出せなくてずっと固まって沈黙してました。でもこうやって語れるようになったのは、ツイッターでファンの方々が「脊オパ」って略してるのをみて大笑いして気持ちがほどけたからなんですが(なぜこんな間抜けな音律に略すんだ楽しい)、「脊椎」というごく具体的で身体的でキャタピラのようにうごめく運動性をイメージさせる言葉を、「オパール」という美の抽象性と石であることの硬直性を持つ言葉で組み合わせているんですよ。二つの背反する要素を持った言葉をゆるやかにつなげる「~する頃」という普遍的で自己主張の少ない言葉の柔らかさ。この「頃」で静かに着地するんです、この言葉を目にした人の胸の中に。

しかも、漢字とカタカナの組み合わせなので、発語しても見た目も重過ぎず軽過ぎずという素晴らしいバランス。最高です。言うことありません。うっとり。

 

というように、言葉そのものの味わいも絶賛したらいかがです?米津さんの歌詞はこういう要素てんこ盛りなんですけど。

まあ、いいや。私は絶賛していきますね。感動のあまり沈黙している場合じゃないことがよくわかりました。詩の解釈や味わい方に正解はないので、最終的にはおのおの好きにすればいいんですけど、言いたいこととかあらすじとかの意味性ばかり追いかけてもつまらないんだけどな、と思ったまでです。

 

米津さんの言葉はほんとに好きです。漢字が多いので、繁体字の国に人気が高いのはわかります。MVを見てると「字も絵」ということも知っているだろうし。私は特にカタカナ語の使い方が興味深いです。外国語を完全に日本語化して取り込んでますよね。だから聞いていて違和感がない。カタカナ語が浮かない。そして、ブログの文章も一文の中にうねりとリズムがあって、言葉が生む波動がとても気持ちいいです。

 

 

今までは情報を遮断して楽しんでましたが、これからは情報も取り入れて楽しんでみます。「ハチ」名義のMVも見たのですが、「lemon」よりこっちの方が私の本来の好みに近かった。「マトリョシカ」「リンネ」「Christmas morgue」が特に好き。「マトリョシカ」のイカレ具合はホント最高。米津おにいちゃん、もっと素敵にイカレた曲を作って歌って!となぜかメンタルが15才になった私でした。

 

 

忍ぶることの弱りもぞする話

たぶん

最初から好きだった

いつが初めかなんて覚えてないけど

気がついたら

好きだった

あの人を

遠い人

 

 

 

「山田くん、みんなでカラオケ行こって言ってるけど」

「あー、俺いい。今日は騒ぎたくない」

「・・なんか具合悪い?」

「いや、別にそういうわけじゃ」

「高木くんは?」

「あいつは今日はバイト。もう帰った」

「ふーん」

教室を出ると山下が追いかけてきた。

「一緒に帰ってもいい?」

「は、いいけど。なに」

「一緒に帰ってみたいなって」

「なんだよ、それ」

「あたしもわかんない」

山下は4月のクラス替えで席が前後になって、よく話すようになった。よそのガッコに彼氏がいるとかさらっと語るのが面白かったりする。

「T高とね、N学園にボーイフレンドがいるの」

「へえ」

「でもN学園のコとはまだそんなに仲良くなってないの」

「ふたまたとかいいのかよ」

「あたし対ふたりじゃなくて、1対1が2コって感じなんだけど」

「はあ」

「ひとりひとりと友達になりたいんだよね」

「向こうはそんなつもりじゃないだろ」

「そうなんだけど、あのさ、ちょっと話したりするとさ、誰でもいいとこあるでしょ。で、もっと話したいなとか思うわけ」

「いや、俺ちょっとついていけんわ」

「そう?別に話をするだけだよ?」

で、その山下が一緒に電車に乗ってきて、俺の最寄り駅で一緒に降りた。

「なんでついてくんの?」

「だめ?」

真剣な顔をしている。媚もなにも無い。なんか、直球が飛んでくる感じ。思わずじっと目を見つめた。傍からは見つめあってるようにみえたかも。

「あれ、今帰り?」

声をかけられて我に返る。血が、さっと全身を流れる。

「おばちゃんもいつもより早いね」

「今日はお休み取ったの。久しぶりにゆっくり買い物できたー。お友達?」

「うん。えっと、高木のかーちゃん」

「・・ああ!こんにちは。山下彩花といいます。高木くんと山田くんと同じクラスです」

「あやかちゃん」

「いろどりに花です」

「彩花ちゃんも、うちでおやつ食べない?」

「あ、えっと、これから塾なので今日は失礼します。今度、ほんとに行っていいですか」

「うん、もちろん。じゃあ、今度ね」

「はい、ありがとうございます。山田くん、またね」

高校生くらいだと女の子の方がしっかりしてるように感じるのはなぜかしらね、話し方が男の子のだらだらした感じと違うわよね、と楽し気に言う。夕日が長い髪を照らして赤く光る。冬の太陽ははかない。まぶしく視界を奪ったかと思うとあっけなく暮れていく。

「家まで送るよ」

「ええ?なに、そんなの彼女だけに言いなよ」

「あー、いや、あいつ彼女じゃないから」

「そうなの?」

うん、とうなずいて黙った。

 

だから、言ったんだけどな

いちばん言いたい人に

だから言ったのに

 

最近はあんまりうちに来なくなったね、小学生のときは毎日のように来てたのに、と話すその声が三半規管を揺さぶる。いつまでも聞いていたい、ずっといつまでも、この声以上に聞きたい音なんかない。

ちびの頃はこの人と一緒に歩くのが嬉しかったな。あんまりきれいで、お母さんだったらよかったのにって思ってた。でも、今は違うかな。この人が母親じゃなくてほっとしてる。母親でも俺は恋をしただろうから。

夫を早くに亡くしていることも、俺は浅はかに考えなしに喜んだ。あの人を独占する男はいない。あの人は誰のものでもない。甘い感傷に浸って身が震えた。

 

久しぶりに高木んちに来たな、と思う間もなく、手洗いうがいをしてきなさい!と命令された。そう言って自分は台所に立つと、電気ポット、冷蔵庫、電子レンジ、食器棚と流れるような動線を描いて、あっと言う間に俺の前にピラフとポテトサラダを並べた。

マグカップを渡されて、

日本茶、玄米茶、プーアール、ジャスミン、どれがいい?」

「うー、プーアール」

ぽんっとティーバッグをカップに放り込むと、お湯を勢いよく注ぐ。

「アイスとヨーグルトどっち?」

「アイス」

冷凍庫をがっと開けて

「チョコ、バニラ、いちご、抹茶」

「チョコとバニラ半々がいい」

「オッケー」

昔からこの人はこんな感じ。さっさとしなさい、ってよく怒られたな。黙って立ってると物静かに見えるのに、動いたり話したりするとテンポよくて明るい空気を作る。

「その冷凍ピラフおいしいでしょ」

「うん、マジでうまい」

「冷凍モノも進化したわよね。大助かり」

アイスを食べ終えて、お皿を洗うよ、と言うとびっくりした顔をして

「えー、なに、いつもやってるの?」

「うん。最近は後片付けは俺の係」

「そうなんだー。えらいなあ。じゃあ、任せちゃお」

隣に立って、髪が揺れて触れそうになる。腹に力を入れて、これ以上は駄目だとまだ思える自分がいる。

そのとき、玄関が開く音がした。あ、ヤバい。

「なにしてんだ」

部屋に入ってきた高木の体がこわばっている。動けない。顔面蒼白ってこういう顔か、と思った。

「皿洗っただけだよ。飯食ったから帰る」

「でも」

「いいから」

「あんたたち、何かあったの?」

「ううん、おばちゃん、何も。」

じゃ、また、と笑顔で言った。フツーだったよな、フツーに言えたよな。後のフォローはおまえがやれ。

 

だからさ、俺に何ができる?まだ高校生でしかない。何もできないよ。ただ、ここに気持ちがあるだけ。いつ生まれたのかわからない気持ちだけがあって、どうしていいかわからないガキの俺がいるだけだって、わかってるよ。言わない、言わない、絶対に言わない。あの人の苦しみも何も思いやれない自分が、あの人の幸せすら祈れない自分が、一体何が言えるんだよ。おまえのそんなつらそうな顔だって見たくない。

 

駅に行く途中の公園に山下がいた。ベンチに座ってぼんやりしてる。

もう日も暮れたのに何やってんだ。

「危ねーぞ、ひとりで」

「あ、来た・・・」

「なんだよ、来たって」

「ここにいたら来るかなって」

「はあ?」

「なんかさ、顔を見ておきたくて」

「何それ」

「・・・大丈夫?」

「何が」

「わかんないけど、大丈夫かなって」

「・・・おまえ、俺のこと」

「別に好きじゃないよ。全然そんなんじゃない」

「全否定かよ」

「まあ、ちょっとくらいは好きだけど、告白とかじゃないから」

「・・ははっ、ホント、変わってんなー。わけわからんわ。あったまおかしい」

「うん。でも、じゃ、帰る」

「帰んのかよ」

「笑顔出たから。よかった。ほっとした」

「あー、じゃ、送るよ」

「駅すぐそこだよ?」

「いいから、送るって」

ホームまで一緒に行こうとしたら、彼氏ヅラすんなって悪態つかれた。マフラーしてたけど、寒そうだったな。え、これ、大人だったらハグするとこ?彼女じゃなくてもそういうことしていいのかな。

あー・・・彼女欲しいな。好きです、つきあってください、僕のことも好きになってくださいって言いたい。フラれたっていいんだ。好きな人に好きだって言いたい。ただ、それだけなんだけどな。

この心はこれからどうなっていくんだろう。好きだって気持ちが消えることなんてあるのかな。俺はそれを見届けたい。

あの人は知らなくていいよ。俺を息子みたいに思ってくれるあの人を困らせたくはないから。もし彼女ができたら紹介しよう。きっと一緒に喜んでくれる。あの美しい人は。あの優しい人は。

 

 

 

 

 

 

 

これでようやく、米津玄師さんの「灰色と青」から受けたイメージは出し尽くしました。と思いたいです。疲れたけど楽しかった。

今回はどなた様にも当てていません。ましてや私自身などではありはしません、最初から。そんな気色悪いことしません。念押しで言うと、前回、会話形式で書いたときにケンオンマに当てたのはキム・ヒソンさんです(「本当に良い時代」のヒロイン)。マサキオンマはパク・ハソンさん(「トンイ」のイニョン王妃)。現実のキャスティングじゃないんだから、私の脳内ドリームチームを組みました。国境も言語も超えます。

それから、そもそも私は何をやっているのか?と自分でも疑問というか、何かきちんと説明できないかな、とずっと考えてました。私の意識としては

・米津さんの歌から受けたイメージを書いているだけ。それ以上でも以下でもない。足さない引かない。原典尊重。

・会話形式、モノローグであっても、私は詩作をしているつもり。詩には詩を。

いわゆる「二次創作」ではない、とも思っていて、なんだろう何やってんだろうという疑問をずっと抱えていたのですが、最近、角川ビギナーズ・クラシックスを順に読んでいて、「新古今和歌集」に辿りついたところで、ようやく糸口がつかめました。

本歌取り・本説取り」ですね。私がやっていることは。

「本説とは、歌の典拠となった物語や、漢詩・漢文のことをいう。本歌取りの場合の本歌を、物語や漢詩文に置き代えて考えればよい。物語の場合のことを『物語取り』、漢詩の場合のことを『漢詩取り』と呼ぶこともある」

「物語の世界に入り込み、想像力を駆使して歌を作るこのような方法は、藤原俊成が開発し、その子の定家が発展させた、当時最先端の歌の詠み方であった」

本歌取りの例を挙げると、和泉式部(970年代生まれ)が詠んだ歌に

 

黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき

(黒髪が乱れるのも構わずに、心を乱して横になると、初めて私の髪を払いのけてくれたあの人のことが、恋しく思われてならない)

 

というのがあり、これを本歌として定家(1162年―1241年)は

 

かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ

(一緒に夜を過ごしたあの時に、私が払いのけてやった、愛しいあの人の黒髪。寂しい独り寝をしているこんな時には、その黒髪の一本一本まで鮮やかに、あの人の面影が浮かんでくるよ)

 

と、和泉式部が「女の切ない恋心を詠んでいる」のに対し「男の立場の歌へと、大胆に詠みかえたのである」。

萌え。定家のやってること超エモい。本歌取りという言葉は知ってはいたけれど、こういうことだったんだ、藤原定家ってほんとにすごい人だったんだ、と、また新たな扉が開いた感じです。同時代に生まれて考えや言葉をリアルタイムで知りたかったなー。定家が200年前に生きた和泉式部と対話するこの感じ、わかるわかる。超わかる。定家は本歌取りするときクスクス笑ってたと思う。そういう余裕というかユーモアがないと、「君の髪の感触を覚えているよ」なんてしゃらくさいこと言えないですよね。

や、まあ、自分のやってることの整理がつきましたというだけの話ですが、ええと、確か米津さんの歌の感想を書いていたはずなのに、なぜ今、私は定家萌えを語っているのでしょうか。うーむ。わからん。行方も知らぬ恋の道?かな?

 

今回もお読みいただきましてありがとうございます。いかがでしたでしょうか。

括弧内と和歌の現代語訳は角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックス新古今和歌集」から引用しました。このシリーズは読みやすいですね。原文・現代語訳・解説があってとてもわかりやすいです。

では、また。

 

 

少女漫画読みが聴く米津玄師

ナンバーナイン」を最初に聞いた時に「あ、田村由美の『BASARA』だ」と思いました。

 

 

歩いていたのは砂漠の中 遠くに見えた東京タワー

君の抱いていたボロいテディベア笑ってみえた どこへ行こうか

 

海みたいに砂は燃えた かつてはここで人が生きた

先を急いだ英智の群れが壊したものに僕らは続いた

 

 

 

文明が滅んだ後の砂漠を歩いているのは、私の中では「BASARA」の朱理と更紗です。ようやく穏やかに暮らしている時期かな。

 

 

 

恥ずかしいくらい生きていた僕らの声が遠く遠くまで届いたらいいな

誰もいない未来で起きた呼吸が僕らを覚えていますように

 

砂に落ちた思い出が息をしていた 遠く遠くから届いていたんだ

誰もいない未来の僕らの声が美しくあれるように

 

 

 

過去から届いたものを受け取って、未来へとバトンをつなぐ。時間の射程距離が遠く長いところが好きです。田村由美の作品世界とも共通していると思います。

 

 

次は「砂の惑星」ですが、これは歌詞というより音とリズムと全体の雰囲気が、佐藤史生のSF作品のイメージで、特に「ワンゼロ」のトキとアキラとエミーとミノルが新宿で遊んでる時のBGMはこれなんじゃないかと思いました。

佐藤史生のSFにはよく猥雑な繁華街が出てきますよね。雑多で混沌としていて楽しい世界。それにぴったりな曲だと思います。

砂の惑星」はとにかく音が好きなんですけど、最初に聞いた時は後ろでキャー?とかニャー?とか騒いでる人?たちがセサミストリートのパペットがはしゃいでる感じで、しばらくは聴くたびにエルモが頭の中を駆け回ってました。が、何度も何度も聴いてるうちに佐藤史生のイメージに辿りつきました。

佐藤史生の描線は、決して華やかではなく、素っ気なくてあっさりして見えるのですが、枯れ過ぎない線から立ち上る独特の色気があって、そこも米津さん本人の色気と共通していると思います。米津さんは体型がDaddy Long Legs ですよね(「あしながおじさん」の原題)。背高さんで手足が細くて長い。これは女の子から見ると「怖いけど魅かれる」体型です。この意図せぬ良質の素材が、見る者を翻弄するそこはかとない色気を生むんですよ。

ええと、それで、歌詞からひとつピックアップすると

 

もう少しだけ友達でいようぜ今回は

 

というフレーズがあるのですが、これ、「夢みる惑星」の舞姫シリンが言うとカッコよさそう。気に入らない客に言い寄られて「もう少しだけお友達でいましょう?私たち」とか言うと迫力あっていいですよね。

 

 

最後は「クランベリーとパンケーキ」ですけど、このド少女漫画なタイトルはなんでしょうか。私、つい、萩尾望都の「キャベツ畑の遺産相続人」を思い浮かべてしまいました。作風はまったく違いますよ。「キャベツ畑」にクランベリージャムは出てきてないですし。でも、この漫画の中で紅茶の葉をブレンドしてジャムもいっぱい入れるシーンがありますよね。あれが想起されるんです。くどいようですが、それぞれの作品はまったくテイストは違います。

「メランコリーキッチン」でもチェリーボンボンとかタルトタタンとか言ってるし、米津さん甘党でしょうか。それとも、少女漫画的な言葉の甘さが好きなのでしょうか。

 

 

 

少女漫画に私が何を見ているかというと、詩情と言葉の膨らみです。漫画以外のジャンル、小説、絵画、音楽、映像などに触れたときにも私が一番引っかかるのがこの少女漫画的詩的世界なのですが、米津さんの歌詞にはそれが散見されて、そこに私の少女漫画読みとしての読書履歴が結びついていく感じです。

でも、「砂の惑星」に関しては、歌詞ももちろん大好きですが、音がイメージにつながっていて、たぶんピアノの音が少女漫画世界につながったのかな?と思ってます。

 

 

米津さんの歌を聴くと、私はいつも私の中の何かがぐっと引っ張られるような感じになります。その引き出されたものが持つイメージを過不足なく書いてみようと思って、それはとても楽しくて、2018年の後半はあっと言う間に過ぎていきました。

米津作品に限らず、歌を聞くときはだいたいぼんやり聞いてます。意図的に狙って聞くことはまずないです。狙って得られるものなどないと思っています。

掃除や水仕事をしながらだったり、外を歩くときと寝るときに聞くことが多いのですが、そういうときには「あー、米っちマジ尊い」くらいにしか思いません。

でも、そのぼんやりした中で、例えば「背丈」という言葉がぐっと私を引っ張ったんですよね。一度引っ張られると、そこからなだれを打ってイメージの連想が始まるといいますか、その連想の量がたまり過ぎると苦しくてどこかに放出したくなって、それで文章を書いているのですが・・・。

ちょっとだけ、私事で恐縮ですが、私は長年、広義のサービス業に従事しておりまして、日々考えるのは「お客様」のことです。お客様に満足してもらいたいな、喜んでもらえるといいな、と思っています。

このブログでも、下書きをした後、見直して余分なところはガサガサ削るのですが、その削るか残すかの選択の時に、読んでくださる方が私という素材を面白がってもらえるかどうか、が判断基準になっています。そう考えると、妄想に歯止めをかけずに書ききった方が面白がってもらえるかな・・と思うので、やっぱりもう少し米津愛を語ってみようかなと思うのですが、これでもまだ語り足りないとか言ったらさすがに重いかなって、なぜかココロが弱る昨今なのですが、誰に迷惑かけるわけでもないし、まあいいかな、と思ってはいます。迷い迷い続けてみます。

ともあれ、私が書いた文章を読んでくださる方は、私の大切なお客様です。

仮に名のある方であっても、15才の中学生でも、どちらも私には等しく大事なお客様です。人の魂に貴賤はありません。ここに来たり来なかったり、読んだり読まなかったり、自由に過ごしていただいて、少しでも楽しんでいただければ幸いです。