忍ぶることの弱りもぞする話

たぶん

最初から好きだった

いつが初めかなんて覚えてないけど

気がついたら

好きだった

あの人を

遠い人

 

 

 

「山田くん、みんなでカラオケ行こって言ってるけど」

「あー、俺いい。今日は騒ぎたくない」

「・・なんか具合悪い?」

「いや、別にそういうわけじゃ」

「高木くんは?」

「あいつは今日はバイト。もう帰った」

「ふーん」

教室を出ると山下が追いかけてきた。

「一緒に帰ってもいい?」

「は、いいけど。なに」

「一緒に帰ってみたいなって」

「なんだよ、それ」

「あたしもわかんない」

山下は4月のクラス替えで席が前後になって、よく話すようになった。よそのガッコに彼氏がいるとかさらっと語るのが面白かったりする。

「T高とね、N学園にボーイフレンドがいるの」

「へえ」

「でもN学園のコとはまだそんなに仲良くなってないの」

「ふたまたとかいいのかよ」

「あたし対ふたりじゃなくて、1対1が2コって感じなんだけど」

「はあ」

「ひとりひとりと友達になりたいんだよね」

「向こうはそんなつもりじゃないだろ」

「そうなんだけど、あのさ、ちょっと話したりするとさ、誰でもいいとこあるでしょ。で、もっと話したいなとか思うわけ」

「いや、俺ちょっとついていけんわ」

「そう?別に話をするだけだよ?」

で、その山下が一緒に電車に乗ってきて、俺の最寄り駅で一緒に降りた。

「なんでついてくんの?」

「だめ?」

真剣な顔をしている。媚もなにも無い。なんか、直球が飛んでくる感じ。思わずじっと目を見つめた。傍からは見つめあってるようにみえたかも。

「あれ、今帰り?」

声をかけられて我に返る。血が、さっと全身を流れる。

「おばちゃんもいつもより早いね」

「今日はお休み取ったの。久しぶりにゆっくり買い物できたー。お友達?」

「うん。えっと、高木のかーちゃん」

「・・ああ!こんにちは。山下彩花といいます。高木くんと山田くんと同じクラスです」

「あやかちゃん」

「いろどりに花です」

「彩花ちゃんも、うちでおやつ食べない?」

「あ、えっと、これから塾なので今日は失礼します。今度、ほんとに行っていいですか」

「うん、もちろん。じゃあ、今度ね」

「はい、ありがとうございます。山田くん、またね」

高校生くらいだと女の子の方がしっかりしてるように感じるのはなぜかしらね、話し方が男の子のだらだらした感じと違うわよね、と楽し気に言う。夕日が長い髪を照らして赤く光る。冬の太陽ははかない。まぶしく視界を奪ったかと思うとあっけなく暮れていく。

「家まで送るよ」

「ええ?なに、そんなの彼女だけに言いなよ」

「あー、いや、あいつ彼女じゃないから」

「そうなの?」

うん、とうなずいて黙った。

 

だから、言ったんだけどな

いちばん言いたい人に

だから言ったのに

 

最近はあんまりうちに来なくなったね、小学生のときは毎日のように来てたのに、と話すその声が三半規管を揺さぶる。いつまでも聞いていたい、ずっといつまでも、この声以上に聞きたい音なんかない。

ちびの頃はこの人と一緒に歩くのが嬉しかったな。あんまりきれいで、お母さんだったらよかったのにって思ってた。でも、今は違うかな。この人が母親じゃなくてほっとしてる。母親でも俺は恋をしただろうから。

夫を早くに亡くしていることも、俺は浅はかに考えなしに喜んだ。あの人を独占する男はいない。あの人は誰のものでもない。甘い感傷に浸って身が震えた。

 

久しぶりに高木んちに来たな、と思う間もなく、手洗いうがいをしてきなさい!と命令された。そう言って自分は台所に立つと、電気ポット、冷蔵庫、電子レンジ、食器棚と流れるような動線を描いて、あっと言う間に俺の前にピラフとポテトサラダを並べた。

マグカップを渡されて、

日本茶、玄米茶、プーアール、ジャスミン、どれがいい?」

「うー、プーアール」

ぽんっとティーバッグをカップに放り込むと、お湯を勢いよく注ぐ。

「アイスとヨーグルトどっち?」

「アイス」

冷凍庫をがっと開けて

「チョコ、バニラ、いちご、抹茶」

「チョコとバニラ半々がいい」

「オッケー」

昔からこの人はこんな感じ。さっさとしなさい、ってよく怒られたな。黙って立ってると物静かに見えるのに、動いたり話したりするとテンポよくて明るい空気を作る。

「その冷凍ピラフおいしいでしょ」

「うん、マジでうまい」

「冷凍モノも進化したわよね。大助かり」

アイスを食べ終えて、お皿を洗うよ、と言うとびっくりした顔をして

「えー、なに、いつもやってるの?」

「うん。最近は後片付けは俺の係」

「そうなんだー。えらいなあ。じゃあ、任せちゃお」

隣に立って、髪が揺れて触れそうになる。腹に力を入れて、これ以上は駄目だとまだ思える自分がいる。

そのとき、玄関が開く音がした。あ、ヤバい。

「なにしてんだ」

部屋に入ってきた高木の体がこわばっている。動けない。顔面蒼白ってこういう顔か、と思った。

「皿洗っただけだよ。飯食ったから帰る」

「でも」

「いいから」

「あんたたち、何かあったの?」

「ううん、おばちゃん、何も。」

じゃ、また、と笑顔で言った。フツーだったよな、フツーに言えたよな。後のフォローはおまえがやれ。

 

だからさ、俺に何ができる?まだ高校生でしかない。何もできないよ。ただ、ここに気持ちがあるだけ。いつ生まれたのかわからない気持ちだけがあって、どうしていいかわからないガキの俺がいるだけだって、わかってるよ。言わない、言わない、絶対に言わない。あの人の苦しみも何も思いやれない自分が、あの人の幸せすら祈れない自分が、一体何が言えるんだよ。おまえのそんなつらそうな顔だって見たくない。

 

駅に行く途中の公園に山下がいた。ベンチに座ってぼんやりしてる。

もう日も暮れたのに何やってんだ。

「危ねーぞ、ひとりで」

「あ、来た・・・」

「なんだよ、来たって」

「ここにいたら来るかなって」

「はあ?」

「なんかさ、顔を見ておきたくて」

「何それ」

「・・・大丈夫?」

「何が」

「わかんないけど、大丈夫かなって」

「・・・おまえ、俺のこと」

「別に好きじゃないよ。全然そんなんじゃない」

「全否定かよ」

「まあ、ちょっとくらいは好きだけど、告白とかじゃないから」

「・・ははっ、ホント、変わってんなー。わけわからんわ。あったまおかしい」

「うん。でも、じゃ、帰る」

「帰んのかよ」

「笑顔出たから。よかった。ほっとした」

「あー、じゃ、送るよ」

「駅すぐそこだよ?」

「いいから、送るって」

ホームまで一緒に行こうとしたら、彼氏ヅラすんなって悪態つかれた。マフラーしてたけど、寒そうだったな。え、これ、大人だったらハグするとこ?彼女じゃなくてもそういうことしていいのかな。

あー・・・彼女欲しいな。好きです、つきあってください、僕のことも好きになってくださいって言いたい。フラれたっていいんだ。好きな人に好きだって言いたい。ただ、それだけなんだけどな。

この心はこれからどうなっていくんだろう。好きだって気持ちが消えることなんてあるのかな。俺はそれを見届けたい。

あの人は知らなくていいよ。俺を息子みたいに思ってくれるあの人を困らせたくはないから。もし彼女ができたら紹介しよう。きっと一緒に喜んでくれる。あの美しい人は。あの優しい人は。

 

 

 

 

 

 

 

これでようやく、米津玄師さんの「灰色と青」から受けたイメージは出し尽くしました。と思いたいです。疲れたけど楽しかった。

今回はどなた様にも当てていません。ましてや私自身などではありはしません、最初から。そんな気色悪いことしません。念押しで言うと、前回、会話形式で書いたときにケンオンマに当てたのはキム・ヒソンさんです(「本当に良い時代」のヒロイン)。マサキオンマはパク・ハソンさん(「トンイ」のイニョン王妃)。現実のキャスティングじゃないんだから、私の脳内ドリームチームを組みました。国境も言語も超えます。

それから、そもそも私は何をやっているのか?と自分でも疑問というか、何かきちんと説明できないかな、とずっと考えてました。私の意識としては

・米津さんの歌から受けたイメージを書いているだけ。それ以上でも以下でもない。足さない引かない。原典尊重。

・会話形式、モノローグであっても、私は詩作をしているつもり。詩には詩を。

いわゆる「二次創作」ではない、とも思っていて、なんだろう何やってんだろうという疑問をずっと抱えていたのですが、最近、角川ビギナーズ・クラシックスを順に読んでいて、「新古今和歌集」に辿りついたところで、ようやく糸口がつかめました。

本歌取り・本説取り」ですね。私がやっていることは。

「本説とは、歌の典拠となった物語や、漢詩・漢文のことをいう。本歌取りの場合の本歌を、物語や漢詩文に置き代えて考えればよい。物語の場合のことを『物語取り』、漢詩の場合のことを『漢詩取り』と呼ぶこともある」

「物語の世界に入り込み、想像力を駆使して歌を作るこのような方法は、藤原俊成が開発し、その子の定家が発展させた、当時最先端の歌の詠み方であった」

本歌取りの例を挙げると、和泉式部(970年代生まれ)が詠んだ歌に

 

黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき

(黒髪が乱れるのも構わずに、心を乱して横になると、初めて私の髪を払いのけてくれたあの人のことが、恋しく思われてならない)

 

というのがあり、これを本歌として定家(1162年―1241年)は

 

かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ

(一緒に夜を過ごしたあの時に、私が払いのけてやった、愛しいあの人の黒髪。寂しい独り寝をしているこんな時には、その黒髪の一本一本まで鮮やかに、あの人の面影が浮かんでくるよ)

 

と、和泉式部が「女の切ない恋心を詠んでいる」のに対し「男の立場の歌へと、大胆に詠みかえたのである」。

萌え。定家のやってること超エモい。本歌取りという言葉は知ってはいたけれど、こういうことだったんだ、藤原定家ってほんとにすごい人だったんだ、と、また新たな扉が開いた感じです。同時代に生まれて考えや言葉をリアルタイムで知りたかったなー。定家が200年前に生きた和泉式部と対話するこの感じ、わかるわかる。超わかる。定家は本歌取りするときクスクス笑ってたと思う。そういう余裕というかユーモアがないと、「君の髪の感触を覚えているよ」なんてしゃらくさいこと言えないですよね。

や、まあ、自分のやってることの整理がつきましたというだけの話ですが、ええと、確か米津さんの歌の感想を書いていたはずなのに、なぜ今、私は定家萌えを語っているのでしょうか。うーむ。わからん。行方も知らぬ恋の道?かな?

 

今回もお読みいただきましてありがとうございます。いかがでしたでしょうか。

括弧内と和歌の現代語訳は角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックス新古今和歌集」から引用しました。このシリーズは読みやすいですね。原文・現代語訳・解説があってとてもわかりやすいです。

では、また。

 

 

少女漫画読みが聴く米津玄師

ナンバーナイン」を最初に聞いた時に「あ、田村由美の『BASARA』だ」と思いました。

 

 

歩いていたのは砂漠の中 遠くに見えた東京タワー

君の抱いていたボロいテディベア笑ってみえた どこへ行こうか

 

海みたいに砂は燃えた かつてはここで人が生きた

先を急いだ英智の群れが壊したものに僕らは続いた

 

 

 

文明が滅んだ後の砂漠を歩いているのは、私の中では「BASARA」の朱理と更紗です。ようやく穏やかに暮らしている時期かな。

 

 

 

恥ずかしいくらい生きていた僕らの声が遠く遠くまで届いたらいいな

誰もいない未来で起きた呼吸が僕らを覚えていますように

 

砂に落ちた思い出が息をしていた 遠く遠くから届いていたんだ

誰もいない未来の僕らの声が美しくあれるように

 

 

 

過去から届いたものを受け取って、未来へとバトンをつなぐ。時間の射程距離が遠く長いところが好きです。田村由美の作品世界とも共通していると思います。

 

 

次は「砂の惑星」ですが、これは歌詞というより音とリズムと全体の雰囲気が、佐藤史生のSF作品のイメージで、特に「ワンゼロ」のトキとアキラとエミーとミノルが新宿で遊んでる時のBGMはこれなんじゃないかと思いました。

佐藤史生のSFにはよく猥雑な繁華街が出てきますよね。雑多で混沌としていて楽しい世界。それにぴったりな曲だと思います。

砂の惑星」はとにかく音が好きなんですけど、最初に聞いた時は後ろでキャー?とかニャー?とか騒いでる人?たちがセサミストリートのパペットがはしゃいでる感じで、しばらくは聴くたびにエルモが頭の中を駆け回ってました。が、何度も何度も聴いてるうちに佐藤史生のイメージに辿りつきました。

佐藤史生の描線は、決して華やかではなく、素っ気なくてあっさりして見えるのですが、枯れ過ぎない線から立ち上る独特の色気があって、そこも米津さん本人の色気と共通していると思います。米津さんは体型がDaddy Long Legs ですよね(「あしながおじさん」の原題)。背高さんで手足が細くて長い。これは女の子から見ると「怖いけど魅かれる」体型です。この意図せぬ良質の素材が、見る者を翻弄するそこはかとない色気を生むんですよ。

ええと、それで、歌詞からひとつピックアップすると

 

もう少しだけ友達でいようぜ今回は

 

というフレーズがあるのですが、これ、「夢みる惑星」の舞姫シリンが言うとカッコよさそう。気に入らない客に言い寄られて「もう少しだけお友達でいましょう?私たち」とか言うと迫力あっていいですよね。

 

 

最後は「クランベリーとパンケーキ」ですけど、このド少女漫画なタイトルはなんでしょうか。私、つい、萩尾望都の「キャベツ畑の遺産相続人」を思い浮かべてしまいました。作風はまったく違いますよ。「キャベツ畑」にクランベリージャムは出てきてないですし。でも、この漫画の中で紅茶の葉をブレンドしてジャムもいっぱい入れるシーンがありますよね。あれが想起されるんです。くどいようですが、それぞれの作品はまったくテイストは違います。

「メランコリーキッチン」でもチェリーボンボンとかタルトタタンとか言ってるし、米津さん甘党でしょうか。それとも、少女漫画的な言葉の甘さが好きなのでしょうか。

 

 

 

少女漫画に私が何を見ているかというと、詩情と言葉の膨らみです。漫画以外のジャンル、小説、絵画、音楽、映像などに触れたときにも私が一番引っかかるのがこの少女漫画的詩的世界なのですが、米津さんの歌詞にはそれが散見されて、そこに私の少女漫画読みとしての読書履歴が結びついていく感じです。

でも、「砂の惑星」に関しては、歌詞ももちろん大好きですが、音がイメージにつながっていて、たぶんピアノの音が少女漫画世界につながったのかな?と思ってます。

 

 

米津さんの歌を聴くと、私はいつも私の中の何かがぐっと引っ張られるような感じになります。その引き出されたものが持つイメージを過不足なく書いてみようと思って、それはとても楽しくて、2018年の後半はあっと言う間に過ぎていきました。

米津作品に限らず、歌を聞くときはだいたいぼんやり聞いてます。意図的に狙って聞くことはまずないです。狙って得られるものなどないと思っています。

掃除や水仕事をしながらだったり、外を歩くときと寝るときに聞くことが多いのですが、そういうときには「あー、米っちマジ尊い」くらいにしか思いません。

でも、そのぼんやりした中で、例えば「背丈」という言葉がぐっと私を引っ張ったんですよね。一度引っ張られると、そこからなだれを打ってイメージの連想が始まるといいますか、その連想の量がたまり過ぎると苦しくてどこかに放出したくなって、それで文章を書いているのですが・・・。

ちょっとだけ、私事で恐縮ですが、私は長年、広義のサービス業に従事しておりまして、日々考えるのは「お客様」のことです。お客様に満足してもらいたいな、喜んでもらえるといいな、と思っています。

このブログでも、下書きをした後、見直して余分なところはガサガサ削るのですが、その削るか残すかの選択の時に、読んでくださる方が私という素材を面白がってもらえるかどうか、が判断基準になっています。そう考えると、妄想に歯止めをかけずに書ききった方が面白がってもらえるかな・・と思うので、やっぱりもう少し米津愛を語ってみようかなと思うのですが、これでもまだ語り足りないとか言ったらさすがに重いかなって、なぜかココロが弱る昨今なのですが、誰に迷惑かけるわけでもないし、まあいいかな、と思ってはいます。迷い迷い続けてみます。

ともあれ、私が書いた文章を読んでくださる方は、私の大切なお客様です。

仮に名のある方であっても、15才の中学生でも、どちらも私には等しく大事なお客様です。人の魂に貴賤はありません。ここに来たり来なかったり、読んだり読まなかったり、自由に過ごしていただいて、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 

 

恋せよ、傷ついたことがないように 「私の名前はキム・サムスン」

ルフレッド・D・スーザというオーストラリアの牧師さんの詩です。

 

 

       Happiness is a journey, not a destination.

  (幸福は旅の過程であり、目的地ではない)

  Dance, as though no one is watching you

  (踊れ、誰も見ていないかのように)

  Love, as though you have never been hurt before

  (恋せよ、傷ついたことがないように)

  Sing, as though no one can hear you

  (歌え、誰も聴いていないかのように)

  Work, as though you don't need the money

  (働け、金が必要でないかのように)

  Live, as though heaven is on earth

  (生きよ、今日が最後の日のように)

 

 

韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」の最終回に出てきます(ネタバレではないですよ)。和訳は字幕から引用しましたが、最後の一行の訳が素敵ですよね。「地上の楽園」と直訳してもいいと思うのですが、「最後の日」の方がこの詩全体の意訳として最高だと思ってました。

ですが、最近ドラマを見直してみると、英文は出てこず、韓国語が「今日が最後の日のように」となっていました。つまり、日本語字幕は韓国語の直訳。てことは、英文から韓国語に訳した方がセンスがあるってこと?と思って、いろいろ検索してみると、元の英文が as if it were your last となってるものもあるらしく、スーザ牧師のオリジナルではないという説もあり?

 

まあ、いいや。ということにしました。

キム・サムスンの最終回にふさわしい詩には違いない、という本筋に話を戻します。

このドラマは2005年放送、最高視聴率50.5%という大ヒット作なのですが、全編詩情にあふれているところが心に沁みるのです。韓国ドラマのいいところはたくさんあるのですが、詩的モノローグが結構多いのもそのひとつで、詩が好きなのは国民性かな?と思います。

 

日本では、詩というものをポエムと揶揄する風潮がなんとなく感じられて、私はちょっともやもやします。たぶん、詩を読んだり書いたりすることを尊重する環境が少ないのだと思います。

私は子供の頃から詩が好きで、田中冬二、山之口獏室生犀星が特に好きです。他にも韃靼海峡のてふてふとか、海にゐるのはあれは人魚ではないとか、今は二月たったそれだけとか、忘れえぬフレーズも多々胸に詰め込まれています。

詩を好きになって読み慣れるにはどうすればいいのかと思っているのなら、ただたくさん詩を読めばいいのですが、なんとなく伝わりにくさを感じます。スポーツ選手が毎日トレーニングをするように、ピアニストが毎日ピアノを弾くように、毎日詩を読むだけです。基礎努力の積み重ねが、応用力と遠い先へ飛ぶ跳躍力を培うという、どこでも誰でもが耳にするであろう普通の話です。

 

私の名前はキム・サムスン」はサントラも素敵です。クラジクワイ・プロジェクトという3人ユニットが手掛けています。それまでの韓国ドラマは泣きの入ったバラードか、もしくはトロット(日本の演歌)風の主題歌が定番だったのですが、キム・サムスンから新しいスタイルに変わったとも言われています。今でも泣きの入った主題歌は健在ですし、それはそれで韓国ドラマの魅力ではありますが、キム・サムスンはいろいろと変革を起こしたドラマなのです。

 

米津ワールドの女の子 その2

今回はアイネクライネちゃんです。

 

 

あたしあなたに会えて本当に嬉しいのに

当たり前のようにそれらすべてが悲しいんだ

今痛いくらい幸せな思い出が

いつか来るお別れを育てて歩く

 

 

10代半ばくらいの女の子のイメージで聞きました。「あなた」への思いをずっと語るのですが、アイネクライネちゃんはかなり後ろ向きです。

 

誰かの居場所を奪い生きるくらいならばもう

あたしは石ころにでもなれたらいいな

 

とか

 

あなたが思えば思うよりいくつもあたしは意気地ないのに

 

だの

 

あなたが思えば思うより大げさにあたしは不甲斐ないのに

 

などとグズグズ言うのを止めません。更には、「あなた」が「あたしの名前を呼んでくれた」やら「あなたの名前を呼んでいいかな」やら、もうそんな人間関係の基本中の基本でまだ躊躇してるわけですよ。10代だとしょうがないかなとは思います。好きな人に名前を呼ばれたらドキドキするし、相手の名前を口にするのも心臓が飛び出るほどの大事件なのもわかります。

しかも「いつか来るお別れを育てて歩く」などと逃げを打っている。10代の考えるお別れは、いつか会わなくなるくらいの意味合いだろうけれど、別れなど気にせずに今を生きたらいいものを、「今痛いくらいの幸せ」を素直に受け止めない。相手の名前もさっさと呼ばない。クライネちゃんはいちいち引っかかってつまずいて、重くてとても面倒くさい。

でも、大人になって大化けするのはこのタイプだと思うのです。

子供の頃から器用で人間関係も上手に立ち回れるタイプは大人になってもそのまま順調で、それは結構なことなのですが、ちょっと面白くないかな、と私は思います。

 

 

お願い いつまでもいつまでも超えられない夜を

超えようと手をつなぐこの日々が続きますように

閉じた瞼さえ鮮やかに彩るために

そのために何ができるかな

 

 

クライネちゃんは「何ができるかな」と考えている。自分は意気地がないとか不甲斐ないとか石ころになりたいとか言いつつも、一筋の道を見出そうとしている。

好きな人に名前を呼んでもらいたい、自分も呼びたい、でも自信なくて思い切って言えなくて、言ったところで応えてくれなかったらどうしよう、いや、応えてくれたって、その先何を話せばいいの?話して失望されたら?退屈だって顔をされたらどうしたらいいの?ああ、もうあたし自分の感情がからまってよくわからない。やっぱり石ころに?いや、ちがうな。あたし本当はそんなこと思ってない。あたしが本当にしたいことは、あなたとただ仲良くなりたいだけ。あなたの話も聞きたいし、あたしの考えてることも聞いてほしい。仲良く、仲良く、話をしたら仲良くなれるのかな。でも、話さないと始まらないか。恥ずかしいけど、笑われるかもしれないけど、おはようって声をかけてみよう。この歌聞いた?私は好きだけどあなたは?そんなくらいから始めてみようかな。ああ、考えただけで顔が赤くなる。大人になったらもっと上手にできるようになるのかな。このドキドキはおさまるものなの?

 

 

アイネクライネちゃんは、からまってもつれた感情の糸を、まずはゆっくりと時間をかけて一本一本丁寧にほどいて、それらをまた一本一本吟味してあらためて編み直していくのです。どんな些細な気持ちも隠さずに大事にするクライネちゃんの芯に、やがてしなやかで強い糸が生まれる。たぶん、その頃には、どんな戸惑いも動揺も受け止めることができる魅力的な女性になっていると思うのです。

この曲はメロディが甘くて華やかで可愛くて、クライネちゃんの前途を祝福しているようにも思えます。

 

 

 

産まれてきたその瞬間にあたし

「消えてしまいたい」って泣き喚いたんだ

それからずっと探していたんだ

いつか出会えるあなたのことを

 

 

 

わたしは何を得ることであらう

わたしは必ず愛を得るであらう

その白いむねをつかんで

私は永い間語るであらう

どんなに永い間寂しかつたといふことを

しづかに物語り感動するであらう

 

 

後の6行は室生犀星「愛あるところに」です。アイネクライネちゃんと同じことを言っていると思いませんか?私は最初にこの曲を聞いたときに、この詩を思い出しました。中学生のときに大好きだった詩です。ずっと探していた愛。わたしは必ずその愛を得る。人生における最初の愛の衝動を歌ったふたつの詩。米津さんと室生犀星、詩人の魂はこんな風に呼応しあうのですね。

 

 

 

 

 

米津ガールズのお話はここで一旦休憩します。大好きなふたりの女の子を書いたので、ちょっと気が済んだかな。

ところで、「BOOTLEG」にはこういう女の子がいないような気がします。私が見いだせないだけかな。ざっくり言うと、「YANKEE」は少年漫画で、「Bremen」は少女漫画。「BOOTLEG」では米津さんは大人の男のひとになった感じがします。背筋が伸びた感。その分、女の子メンタルが薄い。

いや、いいんですけどね。まだ書きたいことはあるし、この前髪重い子ちゃんへの興味が尽きることはなさそうなので、ぼちぼち書いたり書かなかったりしていきます。ファンにできるのは愛を語ることだけですので。

 

 

電車は電気で走れ

私は愛で動く

(by 村山槐多)

 

 

米津ワールドの女の子 その1

最初はフローライトちゃんです(曲タイトルを擬人化してお送りしております)

 

 

君が街を発つ前の日に 僕にくれたお守り

それが今も輝いたまま 君は旅に出ていった

今は何処で何をしているかな 心配なんかしていない

君のことだからな

 

 

この歌い出しのところで、ああ、この女の子いいな、と思いました。

自分の世界があって、彼氏を置いて旅に出る行動力とおそらく財力もある。しかも、旅に出る側が、待つ側にお守りを渡す。普通、逆ですよね。これはフローライトちゃんの戦略ではないでしょうか。自分が旅に出ている間に、このお守りを見て自分を思い出してね、他の女の子に目を向けないでね。それと、ほんとに彼氏が好きだという気持ちも込めていて、私を待つあなたに災厄が降りかかりませんように、との祈りを形にして手渡したのですよ。

彼氏の方はというと、「心配『なんか』していない 君のことだから『な』」ってさ、能天気?てか、ちょっとばかだろ、この彼氏。「な」じゃねえ。少しは心配しろ。ほんっとにこの「な」の一音で、この彼氏の性格がよくわかる。大雑把で呑気だけど、明るくて人当たりは悪くない。彼女のことも素直に好き。

 

ここから先の歌詞は彼氏のモノローグだけで、フローちゃんの動向はわからないのですが、見事なまでの「婦」唱「夫」随なのです。

 

 

君が思うよりも君は 僕の日々を変えたんだ

二人でいる夜の闇が あんなに心地いいなんて

この世界のすべてを狭めたのは 自分自身ってことを

君に教わったから

 

とか

 

確証なんてのは一つもない でもね僕は迷わない

君が信じたことなんだから 僕にはそれで十分さ

 

 

などと、ほんとにこの彼氏は幸せそう。でも、ここまで幸せでいられるのは、本人の性格だけでなく、フローちゃんの彼氏ケア&フォローも上手なんだろうなと思うのです。

やりたいことがある女の子。その世界を彼氏と共有しても構わないけど、自分ひとりで駆けていきたい時と所がある。自分の足がどのくらいのスピードを出せるのか、どこまで高く遠く深く走っていけるのか、試してみたいと思う自分を、彼氏は果たしてどう思うだろうか。私のことを好きでいてくれる男の子。私も心から愛しい。どう緩急をつけてこの気持ちを伝えようか。

 

 

 

とりあえず、このフローライトを持っていてね

私の気持ちをあなたに預けていくから

大事にしてね 見失わないでね

私の体はひとつしかないの

世界を見に行きたいときに

あなたのそばにはいられない

私の中の静かな不安が

できるだけ澄んだ形であなたに伝わりますように

 

 

 

ふと、目を覚ますと隣に彼女が寝ていた。

「えっ、あっ?なに、いつ帰ったの」

思わず起き上がってベッドの上で正座した。

「・・・あー・・おはよう・・・」

「おはよう」

「今朝がたね、こっそりね」

「言ってくれれば起きて待ってたのに」

「いいよう、別に。あたし、今日まで有休。起きるまで寝てる」

「ん、わかった。俺、会社行ってくるわ」

「・・・いってらっしゃい・・・」

もう目も開けられないみたいだ。ま、いいか。うーん、と伸びをした。今日はミーティングがあるけど定時には出れるかな。夕飯どうするかな。なんか買って帰ってきた方がいいよな。外に食いにいく元気なさそうだし。

とんとん、と彼女が背中をたたく。

「どした?」

「今夜、話そうね。いっぱい」

目は閉じたまま。マスカラ、落ち切ってねーし。

「話したいことがたくさん。たくさんある」

「おう、俺も」

「話したいことがたくさん、たくさんある」

「聞いたよ」

「大事なことなので二度言いましたー。へへ」

「寝てろ寝てろ。いいから寝てろ」

そうだよな、大事なことは二度でも三度でも言いたいよな。俺も言うかな。心配はしてなかったけど、ちょっとだけさみしかったよ。四六時中いっしょにいなくてもいいんだけど、やっぱり顔見ると嬉しいよ。会社でさ、彼女に置いてかれたの、ってからかう奴もいるんだけど、俺、そんなことどうだっていいんだ。だって、俺が好きなんだからいいじゃないか。ちょっと変わったとこあるけど、そこが面白いし可愛いし、俺の彼女いいよな、って思う。てか、帰る時間くらい連絡しろよな、出迎えてハグしたかったのに。ま、いいか。今日、俺が帰ったらハグしてもらおう。きっとまだ寝ぼけてよれよれなんだろうけど、めいっぱい抱きしめ合おうな。

 

 

 

上機嫌で出社する彼氏なのでした。

こんな感じかな、このカップル。幸せ甘々エピソードしか浮かびません。私はフローライトちゃんと友達になりたいな、と思うのですが、男のひとが歌う歌の中の女の子と友達になりたいと思ったことってあったかな?うーん、すぐには浮かばない。ちょっと考えてみます。

 

 

 

 

で、フローちゃんだけでこんなに書いちゃったよ。感想のみで終わろうと思ってたのに、書いてるうちにつるつる話が出てきた。

まだ書きたい女の子いるので書いていいですか?ていうか、書きますね。続く。

 

 

米津玄師「Flamingo」「TEENAGE RIOT」感想

「TEENAGE RIOT」をオスカル・フランソワのスピリットとして聴きました。

おそらく「その花びらを瓶に詰め込んで火を放て」がイメージの元になっていると思われます。ベルサイユのばらの花びらがバスチーユで燃え上がるのです。オスカルは地獄の奥底にタッチして走り出す時に貴族の身分を置いてきたのですよ。ひとりの人間として新たな生を得たのです。

 

というように、新曲を好き勝手な聴き方で楽しんでいるところですが、米津作品にはこういうグランドロマンを匂わせるものがありますね。「砂の惑星」はグランドロマン・スペースオペラですし、「爱丽丝」はアジアン・アンダーグラウンド・テイルと銘打てるかなと思います。

安易に陰に陥らず、退廃に堕さず、向光性が強い世界観を持っていて、マイナーな気分にひたることを実は許さない作風だと思います。

 

それで、向光性が強い歌の割にはMVは真っ暗。ああ・・・。

いや、これ、普通にかっこいいですよ。歌ってる姿はキラキラしてます、電気ついてないけど。でも、どうしてもMVは見ていてもやもやするんですよね。もっとかっこよくなるはず、と思ってしまいます。

 

「ごめんね」では、「溢れる光に手が震えたって」と言ってるから、明るいところが怖いのかな。だからまだ暗いところにいるのかな。こんなに世の中に受け入れられているのに?

 

「Flamingo」は期待通りに聴き応えのある歌詞で幸せです。豊富な語彙が不思議に調和していて素敵です。

ちょっとよたって巻き舌巻いて歌ってますけど、歌詞は感傷的ではなく、むしろ叙景に近いですね。「よこはまたそがれ」方式です。「横浜 たそがれ ホテルの小部屋」と景色が名詞で並んでいくだけなのに心に響く、それが叙景。

 

「Flamingo」というタイトルは「パプリカ」と同じで、ちょっと発想が飛んでますよね。2020の応援歌でなんで野菜の名前なんだよ、とか、遊郭風のイメージで歌っておいて突然フラミンゴってわけわかんねーよ、とか、理屈で考えるとちょっと変。「作者の言いたいことは何か」という国語的解釈に立つとなお混乱する。

でもこれは、言葉の跳躍力なのです。

例えば、ニュースの言葉はほとんど飛びません。事実の伝達にイメージの飛躍は危険です。論説文、ドキュメンタリー、エッセイ、小説とだんだん飛躍が許容されていって、詩が一番飛ぶことを許されていると思います。米津さんは、聴いている人を完全に振り切るぎりぎり手前のところまで跳ね上がっているのですね。

また、歌詞は発語することが前提なので、意味付けだけではなく、音を優先する場合もあると思います。これ、「ふらふら」という擬音語が先立っているのではないでしょうか。「ふらふらふらみんご」って「さしもしらじな」とか「ながながしよを」とかの和歌と同じで、口に出したときに音の快感がありますよね。

「TEENAGE RIOT」は歌詞の内容にどんぴしゃな付け方をしているので、言葉のコントロールが巧みだなあと思います。

 

 

 

さて、ここ数ヶ月、聴き込み倒してきた結果、米津玄師さんには「不器用と不具合を抱えたお話好きな男の子」という印象を持ちました。

聞いて聞いて、僕の世界の話を聞いて、と常に呼びかけているけれど、なんかあんまり伝わらないなあ、としょんぼりもしていて、でもやっぱり歌うから聞いて、で締める感じ。

歌詞の中の女の子像も気になっているのですが、それは次回にまた。続く。

 

 

米津玄師「灰色と青」の更なる感想?

BOOTLEG、Bremen、YANKEEと聞き倒したので、MVも見てみようかなと思って、ちょっとだけ見てみました。

米津玄師さんに関してまったく何も知らないままにファンになったので、情報過多の時代にこの白紙状態は得難いかもと思って、敢えてインタビューの類も一切読まないでいます。作品とだけ向き合って「誤読」を楽しむ喜び。動く米津さんもほとんど見ていませんでした。

で、MVですが、ええと、その、なんでほとんどいつも薄暗いところで歌ってるの??

電気つけたら?眼が悪くなるよ?というおかあさんモードで見ちゃいましたよ。コンテンポラリー好みなんですかね。もうちょっと「キラキラ光った、パチパチはじいた」感じのも見てみたいかも。

「灰色と青」もねー、歌詞の内容から夜と明け方なのはそりゃそうなんだろうけど

「公園で遊ぶなら昼間にしなさいって言ったでしょ!マサキくんもおうちに帰りなさい!」

「えー、うち、まだおとうさんもおかあさんも仕事で帰ってきてないし」

「だったらうちでごはん食べて宿題するわよ!おかあさんにLINEしとくから。ええと、これからうちに連れて帰ります、と。ほら、ケンちゃん、さっさと立って!」

仕事からくたくたになって家路についてみれば、あれだけ言ったのにうちの子たちは人気のない公園にいて危ないったら。

「ねーねー、おばちゃん、今日もカレー?冷凍しといたカレー?」

「そうよー。冷凍しといたカレーよー」

「わーい、やったー。僕、おばちゃんのカレー大好き」

「ありがとー。あ、既読になった。おかあさん、9時頃迎えにくるって」

ふ、と軽いためいきをついた。今日も働いたなー。足だるいし重い。寝る前にマッサージしよう。私はきっと、とぼとぼとうつむいて歩いていたのだと思う。

「ほら、おかあさん、月。出てるよ」

「え、あー、ほんとだ。出てるね」

「うん、きれいだね」

「きれいね。ありがと、ケンちゃん」

うつむいててごめんね、とは言わないでおいた。これは私の決心のひとつ。うちの子に謝り過ぎないこと。ごめんね、許してね。そう言って楽になるのは私だ。この子じゃない。だから言わないことにした。

 

 

どうして

私の夫は早々にこの世を去ったのだろう

どうして

私と息子はふたりで生きていくことになったのだろう

どうして

これが私の人生なの

擦り切れるほどに繰り返した問いかけを

私は最近ようやくしなくなった

心の奥には暗い火が残っていて

いつまた噴き出してくるかわからないけれど

私は今を見ることにした

私にできることは今の空気を吸うこと

聞こえる声、目に映る景色、子供の頭をなでる私の手

不条理に耐えるために

私は五感のすべてを使って生きる

世の中に残っている愛情を逃さないように

月の光の柔らかさを美しいと思えるように

いつかこの子が大人になって月を見上げたときに

私のことは思い出さなくていい

この夜の帰り道だけでいい

 

 

マサキくんのおかあさんは9時きっかりに迎えに来た。ちょっといい?と小さな声で私に聞く。

「今日も公園にいたんでしょ?」

「そうなのよ。日が暮れたら危ないって何度も言ってるのに」

「あー、やっぱりケンちゃんは口が堅いか」

「?なあに?」

「公園のすべり台あるでしょ。あそこに上ると駅の改札が見えるんだって」

「改札?」

「うん。マサキが言うにはおかあさんたちが帰ってくるのを見守ってるんだって」

「え・・ええー!?なにそれ??」

「私たち、見守られてるらしいよ」

マサキくんのおかあさんはくすくす笑ったが、私は、なんというか、自分でもわからないくらいショックを受けてしまってうまく言葉が出てこなかった。

「で、でも、それは私たちがちゃんと帰ってくるか不安ってことじゃ」

「それもあると思う。地震も豪雨も多いしね。電車も遅れるし。でもいいじゃない。本人たちは楽しそうよ。老いては子に従っとけ、って感じ?ちょっとまだ老いるには早いけど」

「う・・・うん」

そうかあ、そんなこと考えてたのか。どっちかというとぼんやりした子だと思ってたけど、子供ってほんとに成長するんだなあ。なんだ。そうか。

少しだけ肩の力が抜けた私を、息子たちは高校生になるまで公園で見守ってくれた。さすがにもう連れて帰ることはない。

「適当に帰ってきなさいね」

ふたりに声をかけて歩き出すと、ケンはバイトだからと駅へ向かった。マサキくんは

「家まで送るよ」

と隣に並んだ。

「そんなことは彼女だけに言いなよ。おばちゃんは一人で帰れますー」

「おばちゃんのご飯が食べたいんだよー」

「あー、わかったわかった。今日はお肉焼くからたくさん食べてね」

 

私の人生から喪失の影が消えることはないだろう。でも、もっと年を取ったら、この道を私も思い出すのかもしれない。寂しさと苦しさを足元に纏いながら歩いたこの道を、懐かしくすら思える日が来るのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ええと、妄想の極北を少しでもお楽しみいただけましたでしょうか・・・?

おかあさんモードから米津菅田を小5設定にして、「灰色と青」の夜の空気を混ぜてこねて、ぽんっと錬成してみました。おかあさんずには当てている女優さんずがいるのですが、内緒。おのおのお好きな役者さんでどうぞ。

ていうかさ、MVみたいに夜中に公園でブランコ漕いでる20代男子なんて速攻通報されるから、やっぱりさっさとおうちに帰ってね。