ナイチンゲール「看護覚え書」

今回はフローレンス・ナイチンゲールについて少しお話します。私は30代前半頃に伝記を読んで以来、ガチ&マジでナイチンゲールリスペクト人間なんです。

フローの考えで好きなところを著作「看護覚え書」から引用しますと

 

「責任者たちは往々にして、『自分がいなくなると皆が困る』ことに、つまり自分以外には仕事の予定や手順や帳簿や会計などがわかるひとも扱えるひともいないことに誇りを覚えたりするらしい。私に言わせれば、仕事の手順や備品や戸棚や帳簿や会計なども誰もが理解し扱いこなせるように──すなわち、自分が病気で休んだときなどにも、すべてを他人に譲り渡して、それですべてが平常どおりに行われ、自分がいなくて困るようなことが絶対にないように──方式を整えまた整理しておくことにこそ、誇りを覚えるべきである」

 

現代にも通じる考えであることに加えて、容赦のない物言いがとても好きです。頭がキレる人の話は読んでいてスカッとします。日本語訳も素晴らしいのだと思います。

もうひとつ、

 

「近頃は召使いの質が落ちてきたとよくいわれるが、私に言わせれば、近頃は女主人の質が落ちてきたのである。(中略)女主人たちは、指示の出し方も知らなければ、召使いたちに指示への従い方──すなわち、知恵を働かせて指示に従うこと、これがすべて修練という言葉の真の意味なのであるが──それを教える方法も知らない」

 

社畜」と自分のことを言う人々に読み砕いて飲み込んでほしい文章です。人の下で働く時期に自分を意志のない畜生と思うか、知恵を働かせて仕事人として力を蓄えるかで将来が変わると思います。指示をする立場の人は、自分を社畜などと言っている若造がいたらしっかり指導しろと言っているようにも聞こえます。

 

なんで今ナイチンゲールについて書くかというと、コロナになってからずっと、フローが今生きていたら英国の、世界の死者数は変わっただろうかと考えていたからです。

例えば換気については、部屋を閉め切るのではなく窓の上部を常に開けろと言います。

 

「窓が適切に設けられており、かつ暖炉に燃料が適切に供給されていさえすれば、ベッドの患者に常に新鮮な空気を確保することは比較的容易である」

「寝室や病室の換気とは、たんに窓を真上まで上げるとか、真下まで下げるとかいうことを意味するものではない。そんなことをすれば、患者を何回も温度の急激な変化という危険にさらすことになる。換気とは、要するに(部屋の)空気を清浄に保つこと、それだけを意味するのである」

 

コロナ対策でも換気は提唱されてきましたが、フローの言っていることと変わらないように思うんですよ。フローが21世紀の知識と技術をもってコロナ対策をしたら・・となぜか亡き偉人に夢を見てしまいます。コロナが3年目に入って疲れているせいでしょうか。

 

「あなたは、自分がした何か良い仕事について『女性にしては、おみごとです』などと言われることを望んでいないであろうし、また自分の仕事について『よくやったけれども、やるべきではなかった。なぜなら、それは女性に適(ふさ)わしい仕事ではないから』などと言われるからといって、良い仕事をすることにためらいを覚えたりすることもないであろう。そうではなく、あなたは『女性に適わしく』あろうとなかろうと、とにかく良い仕事をしたいと願っているのである」

 

括弧内はすべて「看護覚え書」からの引用ですが、ところどころに力強い言葉が刻まれていて、仕事で疲れて弱っている時の滋養になります。フローの偉業に比べると私にできる仕事は砂粒程度のものですが、心意気だけでも近づきたいといつも思っています。

 

最近ブログに連投しているのは連休でちょっと力が余っているからです。好きなことを書き散らかして気も晴れたのでまた明日から仕事に邁進しようと思います。

 

では、また。

 

 

宮本浩次「十六夜の月」

アルバム「縦横無尽」から「十六夜の月」の感想をやっぱり書いておこうと思います。

この歌は宮本くんの「今」なんだなと最初に聴いて思いました。歌詞に「ヤバイくらいに恋こがれ」というフレーズがありますが、「ヤバイ」という現代語が画期的なんですよ。今までに現代語を使った歌詞はほとんど無いのではないでしょうか。この言葉の選択によって過去を過去のものとして大事にしつつも過去に捕らわれず今を生きている歌になっていると思います。

 

流れ流れて漂う今も捨てたもんじゃねえ
ヤバイくらいに恋こがれ
愛し愛されたあの美しい思い出
十六夜の月輝く空に 俺のheartは
意外なくらい 静かに そして乾いたまま
揺れる波を見ていた
月の光揺れる

 

「愛し愛されたあの美しい思い出」を「意外なくらい 静かに」受け止めていて、この恋は終わったんだなと感じます。

そこになぜ引っかかるかというと、宮本さんにはファンの間では有名な大失恋エピソードがあって、インタビューなどで何度か触れられるので、まだ心残りがあるのかな?と思わなくもなかったんですよ。今からでも寄りを戻そうとは思わないのかなと私は思ってました。非現実的だと思いますか?でもマクロン大統領は中学時代の教師であり夫も子供もいた現夫人を、それでも自分と結婚して欲しいと長年求めて現実のものとしたわけですよね。事例として少ないとしても非現実的とは言い切れない感情はあると思うんです。宮本くんが幸せになれるならそうしたらどうなのかなと敵塩なことを思っていました(血の涙を流しながらですけどね)

が、この歌を聴いて、あっ、ちゃんと今を生きているんだなと思いました。本人と作品を混同はしてないですよ。宮本さん本人はとっくに今を生きていたのでしょうけれど、歌詞にようやく「今」が現れたということです。つまり、今の自分をてらいなく歌えるようになった。「流れ流れて漂う今も 捨てたもんじゃねえ」と思える人生でよかったなとファンとしても感慨深いです。

 

縦横無尽ツアーもあとわずかになってきましたね。宮本くんのお誕生日の6月12日「完結編」まで完走できますようにと祈る日々です。「完結」するんですね。ファイナルとかゴールとかよりも、しっかり区切りをつけるニュアンスを感じるのですが、この言葉にどういう気持ちが込められているのかなと思います。宮本くんが歌いたいように歌って、生きたいように生きてほしいと願うファンとしては完結のその先も追いかけていきたいと思っています。

 

 

では、また。

 

 

映画館で映画を見るということ

今回はちょっと厳しい話です。映画関係者による性暴力が問題化されて改善に向けての努力も報じられていますが、映画館での痴漢撲滅も合わせて考えてもらえないかと思います。

私は20代前半に映画館で痴漢にたびたび遭遇したため、以降、映画館に行くのはやめました。例外的に行ったのは友人と一緒だった時に2回、どうしても見たかった映画2本、数十年間でこれだけです。DVDや配信サービスでは見ますが、映画館は私の人生とは縁のない場所となっています。

特に困りはしませんし、悲壮な決意の元での話でもなく、身の安全を優先しただけのことではありますが、痴漢被害によって選ぶ道が変わったとは思います。

太ももを触るんですよ。映画を見ていると、さわっとわからないくらいの触れ方で、でも触っている。

まず、体が硬直します。のどが詰まって声が出せません。怖くて、死の恐怖も感じるのですが、自分の置かれた状態がわからないというか、判断を奪われる感じです。

が、私はその無のような状態からだんだんと怒りが腹の底から湧き上がってきて、なんでこんなことをされないといけないの、と考えられるところまで来ると、弱弱しい力で自分のバッグを相手の手の上に乗せて、「あの!」とか「ちょっと!」とか、これまた悔しいくらい力の無い声で抵抗します。とにかく力が出ません。でも腹の中は怒りのマグマがたぎっています。

この弱弱しい抵抗でも抵抗には違いなく、ここでほぼ痴漢はバタバタと去っていきます。1人だけふっと笑った痴漢がいて、あたかも「やれやれバレたか」とでも言いたげな反応に犯罪の自覚が無いと感じ、私の方が席を立ちました。

映画館だけでなく、普通に道を歩いていても痴漢に遭遇しました。

後ろから自転車で来て通りすがりに胸をさわる、やはり後ろから忍び寄ってお尻を触る、電車の中では隣に座った男性に太ももを触られる、本屋さんで後ろから体を摺り寄せてくる。

こういう犯罪が普通の道で、街中で行われています。被害経験のある人は外出時には常に緊張を伴う防衛体制下にあるということです。

私は心情的には痴漢はその場で有志によって撲殺してよいという法律があっても納得いきますが、そんな野蛮な世の中でも困りますので、今回、映画関係者が改善のメッセージを打ち出したように、映画館や電車の中などいつでもどこでも痴漢は絶対に許されない犯罪だというメッセージを関係各所が出し続けてくれることを望みます。

韓国芸能界で、kpopスター数人が性加害動画を共有したことで事務所から契約解除になった事件がありました。直接女性の体に被害を与えるだけが加害ではないということも周知される必要はあります。写真や動画を拡散することも非人道的な性加害であるので、そういうものの共有に誘われた人が頑として拒絶することも加害防止の一助になります。できれば通報してください。

被害者は被害を受けたショックや苦しみの次に、「誰も助けてはくれなかった」「正義の味方などいなかった」という絶望とも戦わないといけないので、犯罪の共有を拒絶する人、通報する人がいると知るだけでも若干救いになります。

最後に、こういう話題ほど声高にならないように意図して書いています。怒りの感情を言葉に乗せてしまうと人は耳を塞いでしまい、伝えたいことが伝わらないと考えるからです。感情に流されず、被害者意識に陥らず、煽ることもせず、忍耐をもって自分の考えを伝える努力を続けたいと思っています。

 

記憶を遡る

前回、音楽雑誌を読んでいた頃を思い出したので、思い出しついでにミュージシャンの発言で記憶に残っているものを書いておきます。文言は発言そのままではなく要旨としてまとめたものです。

 

「ファンは歌詞に感動しましたとは言うが、自分の音を聴いてくれない」

この考え方は大変腑に落ちたのでとてもよく覚えています。ミュージシャンはこう思うだろうなと納得し、私のように歌詞カードを先に読むような人間は嫌だろうなと思いました。でも、ファンは音を聴いていないわけではなく、音を聴いた感想をどう伝えたらよいのかに慣れていないだけだとも思いました。

ネットの時代になって、この点は少しは解消されているのではないでしょうか。音だけでなく歌唱法や作曲法についての感想ブログも多々あるので、ファンからミュージシャンの皆様方へ伝わることは増えていると思いたいです。

 

「洋楽の過去の名曲は歌詞がシンプルなものが多いから、歌詞にはそんなに重きを置かなくてもよいのではないか」

プロでもこう思うのか、こういう考えでもプロになれるのか、とちょっとびっくりしました。シンプルをどう捉えるかという点については、子供の落書きとピカソの抽象画の比較で説明はつくと思ったものの、インタビュアーさんはこの問いに返答していませんでした。

無作為な単純な言葉と複雑な思考を経て枝葉をそぎ落としたエッセンスのような短い言葉の違いをプロのミュージシャンも音楽ジャーナリストも自覚できていないのだろうか、皆が皆そうではないだろうけれど、と私の中に疑問を残した発言でした。

歌詞について考察するのは音楽ジャーナリズムの仕事だと私は思っていたのですが、当時ほとんど論じられることがないように思えて、たぶん、日本の学校教育で詩の学習が希薄であるために広く一般に詩の読解の素地が形成されていないことと、音楽の仕事をしている人は言葉について論じたくて音楽業界に身を置こうと思ったわけではないだろうことが理由だろうなと思っていました。

また、自分が長い年月仕事を積み重ねて思うのは、「この仕事は自分がやる」という意志を持った人材が開拓をなし得るのだということです。歌詞について考察するのは音楽ジャーナリストである自分の仕事だという信念を持ち行動する人材が現れるのを待つしかないのかもしれないと思います。

 

私にとっては雑誌購入の強い動機になっていた宮本浩次さんですが、覚えているのは2つだけです。

ひとつは、以前ブログにも書いた、ただ歩くだけのデート話。

もうひとつは、ご家族との話ですが、エレカシがデビューして数年くらい、ヒット曲が出ずセールス的に苦戦し苦悩していた頃です。

ある日、宮本くんちの近くで踏切事故があった。その日、宮本くんのお兄さんは家に帰るなり第一声が「浩次は?」

この短いエピソードから、宮本くんが家族に普段どういう表情を見せていたのか、それを見たご家族がどういう思いでいたのかが容易に推測されて、胸が痛くて痛くてただ痛かった。売れないミュージシャンの家族は大なり小なりこういう感じなんだろうなとも思った。

ただし、宮本くんはこのエピソードを深刻に語っていたわけではなく、「なんか家族がそんなこと言うんですよやだなあ僕そんなことしませんよははは」的な笑い話のように読めて「兄弟の下の子め!」とも思ったのでよく覚えているんですよ(私は兄弟の上の子)。後から考えると、家族にそんな心配までされる自分の境遇を笑い話にするしかなかったのかもなとも思います。

こうやって書き出すとよくわかるのですが、宮本くんに関しては音楽の話をまったく覚えていません。宮本くん、音楽についても話していましたよね??なんで記憶にないのでしょう??

ついでに書いておくと、エレカシのライブはデビュー当時たしか3、4回くらいしか行ってなくて、いつどこに行ったかきれいに忘れてしまったのですが、初めて行った新宿のパワーステーションだけはぼんやりと覚えていて、宮本くんが「こんなに来てくれるとは思わなかった」と言っていたと思います。やっぱりそういうことを考えるんだなと自分の心が反応したので覚えているのだと思います。これは2019年新宿リキッドでのバースデイライブでも同じことを言っていて面白かったです。

薄暗い空間で目の前2メートルくらいのところにまだ何者でもない4人がいて、なんとなく好きだなあと思いつつ、あまりしゃべらなかったのでこの人たちこれで食っていけるのかしらと思ったことも覚えています。食ってこれてよかったです。

宮本くんは雑誌で見るたびに美人だなあと思ってました。匂うような美人ってこういう人のことをいうんだろうなと惚れ惚れしていました。

当時の音も声も覚えていないけれど、私の網膜には4人の姿が刻まれていて、三半規管の中では若い日の音が今でも鳴っているのだと思います。

 

 

昔話を書いてきましたが、歌詞については私は素人ながら自分の考えは綴っていこうと思います。お金にもならないことに労力を費やす理由は、私がやると決めたからです。自分に力があると思っているのではなく、ただ、やると決めただけです。今後もおつきあいくだされば幸いです。

 

 

では、また

 

 

インタビューを読むということ

インタビュー記事を私がどう読んでいるか、備忘録的な話です。整理しようと思ったのは小山田圭吾さんの件をずっと考えているからです。件のインタビュー(ネットで読めるだけですが)とそれを受けてのネットの言説を読んでも小山田さんに悪い印象はまったく持ちませんでした。話題の中に自分の属性が無かったこと、もともと活字は疑ってかかる方であること、若い頃に2年弱くらいだったかインタビュー掲載のRO社の雑誌を読んでいた時の読み方が関係しているかなと思います。

インタビューを読む時は、話した音声を読む活字に変えているという前提で読みます。誰であれ話したことをそのまま活字にしたら読みにくいと思うので、読みやすい範疇で若干の言葉の調整はあり得ると思っています。

インタビューで話したことがすべて本心とも思っていません。その時の気持ちや状況でうまく話せたり話せなかったりするであろうことと、インタビューの仕方によっても大なり小なり影響を受けると推測します。

過去に話したことを今も同じように考えているとも思いません。人は変わる。どういう方向であれ変わると思っているからです。

かように鵜呑みにせず当てにもせず期待もせずに読んでいるのですが、これだけ淡々と読んでいても、これはこの人の真実なんだなとか、こういうことを大事に思っているんだなと感じざるを得ない話は胸に響くので、インタビュー記事は自筆の文章とは違う面白さがあると思っています。

小山田さんのインタビュー掲載のRO社の雑誌を20代の私がどう読んでいたかというと、そもそも10代の私は音楽に傾倒していなかったので音楽雑誌を読んだこともありませんでした。20代になって読もうと思ったのは、バンドブームで同世代の人たちの考えを知りたいと思ったからです。いろんな雑誌を読んでみましたが、全体的に文章の質が粗いと思いました。この雑な文章のまま本屋に並べて平気なのかというのが正直な感想でした。その中でも、何かを論じようとしているのはRO社の雑誌だなと思いました。写真は「アリーナ37℃」という雑誌が一番好きでしたが。華やかな写真が多くて好みだったので時々買ってました。

RO社のインタビューで覚えているのは、新人バンドが「そちらのストーリーに沿って答えないといけないってことですよね」と意見したことに対しての返事が「おいおい」という突っ込みだったこと、キャリアの長いゲストが何かの質問に答えたら「そんなはずはない」とインタビュアーが言ったこと。この後、「そんなはずはない」「いいえ、(あなたの言っていることは)違いますよ」と数回押し問答になっていました。

新人だからなのか、インタビューを受けている側に何の敬意も払っていないと思わせる返答、誰であろうと誰かのはずで生きているわけもないのに、自分の予測と違う返事に対して「そんなはずはない」と自分の基準から抜け出せず対話として止揚していかないインタビュー。これをこのまま読者に提供している意図はわかりません。正直ではあるのかもしれないなと思いました。

小山田さんのインタビューは私が読んでいた頃から数年後のようですが、この雑誌独特のインタビューのノリの中での話に過ぎないと冷静に受け止めました。

事実と異なる内容になっていた件も含めて、このインタビューは単なる仕事の失敗だと私は考えます。ちょっとドライでしょうか。RO社も小山田さんも仕事で失敗しただけです。間違いは訂正し、謝罪することがあれば謝罪をし、責任者は考えなり反省なり必要なことを述べて責任を取る。その後、関係各所は挽回を図る。これでよいと思ったのですが、RO社は社長の言が出なかったのが残念です。論じることに長けているように思っていたので、ここでお考えを公表して広く世間一般で議論することは、音楽は不要不急のものではないことを証明する良い機会にもなったのにと思います。例えば、銀行のシステム障害が起こると世間も政府も黙っていないですよね。銀行は不要不急のものではないという共通認識があるからだと思います。音楽雑誌のインタビューが原因で音楽家が失職して世の中で騒ぎが起きても社長は表に出てこない上にその態度を業界内でも問題視しないということは、音楽業界には自浄作用がなく、社会で議論する価値もなく、やはり不要不急のものだという誤った認識を自ら肯定してしまったように思います。私は一会社員で音楽業界とは何の関係もないのですが、音楽ファンとしてとても残念でした。

今回の出来事の中で胸が痛かったのは、小山田さんのファンの方の「私たちの小山田圭吾を返して」という悲鳴にも似たつぶやきです。音楽業界にも真っ当な職業倫理はあると思っていますので、こういうファンの嘆きを二度と生まないお仕事をなさってください。

 

 

最後に蛇足ですが、音楽雑誌を継続して読まなかったのは、ごく個人的感覚で言葉の粗さに目を瞑れなかったのと、どの音楽雑誌も歌詞についてあまり論じることがなかったので私が求めているものはここでは得られないと思ったからです。30年近い時間が経っているので今は昔とは変わっているかもしれません。また、ネットが普及して、歌詞を詩の観点から論じている人は大学の先生や院生が多いことに気付いて、自分が求めていたのは学究的なものだったのだなと自覚できました。ただ、希望を述べると、音楽雑誌で作詞者本人へのインタビューを残すことは将来の日本語歌詞の豊穣につながると思います。現代の人々が古今和歌集梁塵秘抄を研究するように、遠い未来の人々が昭和・平成・令和に歌われていた歌詞についてきっと論考すると思います。その文献になり得るという観点から、インタビューには未来への橋渡しという役割も期待しています。

 

 

では、また。

 

 

モンゴメリの恋

こんにちは、今回はモンゴメリのお話です。

NHK総合で「アンという名の少女3」が放送中ですが、第7話でダイアナとジェリー(カスバード家の使用人の男の子。ふたりは周囲に内緒で親密になっている)が本の感想を話す場面があります。ジェリーはダイアナほどの教育を受けたことがなく、ダイアナが思っている「本の感想を話し合うこと」はジェリーとはできないと察して途中で止めてしまいます。

ジェリーはダイアナの反応を感じ取っていて、自分と釣り合わないとダイアナが思っているとアンに嘆きます。これは原作にはないエピソードです。

この格差恋愛は、モンゴメリ自身も経験しています。20代前半にハーマン・リアードという農夫に「大げさに言えば、命をかけた恋」をします。

その心情は「モンゴメリ書簡集Ⅰ G.B.マクミランへの手紙」(篠崎書林)で読むことができます。

「わたしはその方を尊敬していませんでした──賞賛の念なんて全然持ち合わせていなかったのです」

「でも、確かに愛したのです。どんなことがあっても、その人とは結婚しなかったでしょう。あらゆる点で私よりも劣っていたのです。決して私はうぬぼれているのではありません。要するに劣っていたのです」

「でも、ほかの男性を愛することができないほど、その人を愛したのです」

「この人は亡くなってしまい、わたしとしてはこの恋がそういう結末を迎えたことについて感謝しています。もし生きていたら、おそらく結婚しないではいられなかったでしょうし、そんなことになったらほとんどあらゆる点で悲惨きわまりないことになっていたでしょう。このことはきっと何から何まであなたには理解しがたいだろうと思います──あの経験をする以前には、わたしにとってもそうでしたから」

モンゴメリはハーマン・リアードに出会う前にはエドウィン・シンプソンという男性と婚約していたのですが、自分から破棄しています。

「B(エドウィン・シンプソンのこと)を好いていて、感嘆していたことを、恋愛と取り違えたのです。やがて彼と婚約しました──その途端、彼がすっかりきらいになったのです。ええ、笑って下さい。おそらくあなたはお笑いになるでしょう。でも、わたしにとっては笑いごとどころか──悲劇でした。その人からキスされたときにはゾッと寒気がしてしまったのです──Bとは決して結婚できないとわかっていたのです。一年間というもの、彼に対してうそ偽りのないように努めましたが、地獄でさえこの一年ほどひどくはないだろうと思いました。とうとう、本当の気持ちを打ち明けて、婚約は破棄しました。ところが、自由になるやいなや、あの恐ろしい瞬間以前と同じように、彼が好きになったのです」

この手紙の後半、モンゴメリはこう締めくくります。

「わたしたちは至高なるものを賞賛しなければなりません。でも、愛は全く別もので、それは最良のものを置き去りにして、最悪のものに走るということがいかにも起こり得るのです」

「わたし自身経験したことは、人生の奇妙で複雑な出来事の多くを理解する方法を教えてくれました」

この手紙が書かれたのは1907年、モンゴメリ33才、「赤毛のアン」を出版する前年のことです。後に夫となるユーアン・マクドナルド牧師とは1906年に婚約しています。

 

ここからは私の読書感想及び推測になるのですが、モンゴメリの短編「争いの果て」(新潮文庫「アンの友達」収録)、「父の娘」(新潮文庫「アンをめぐる人々」収録)、このふたつを読むと、ハーマン・リアードとの思い出をモンゴメリがどう昇華させたかがわかるような気がします。

「争いの果て」は、結婚するばかりになっていた男女がけんか別れをし、女性は故郷を離れて看護師として20年働いた後に戻ってきます。けんかの原因は、女性が男性の間違った言葉づかいを矯正しようとしたこと。

「ピーターはわたしに、わるい言葉づかいもなにもかもそっくりそのまま、あるがままの自分を選ぶか、または、自分なしにするかにしてほしいと言ったの。だからわたしピーターなしですますことにしたの──それ以来、わたしはほんとうに悔んでいるのか、それとも胸に残っている感傷的な後悔の気持を楽しんでいるのか、わからないのよ。きっと、その後のほうだと思うの」

この女性はこうも言います。

「私も世間で一つ二つちょっとしたことだけれど、貴重なことを学んできたの。一つはたとえその人の言葉づかいがまちがっていようと、こちらをののしらないかぎり、かまわないということなの」

最後には、言葉づかいを直そうとした「わたしはばかでしたのよ」と再会したピーターに告げます。

「父の娘」は、漁師と結婚した女性が、夫に農夫として生活して欲しいと願います。

「船乗りは社会的階級からいって『賤しい』──この世になくてはならない放浪者の一種だという、生来の信念を抱いていた。そのような職業は恥辱だとイザベラには思われた。デイヴィッドを家にいつかせ、広い土地の尊敬に値する農夫にしなければならない」

結婚して5年は農業をしていたのですが、旧友から航海に誘われた夫は海への熱望を抑えることができずに出ていきます。戻ってきたときには「放浪癖もおさまって、野良仕事や家畜などにもなにか心からの愛情のようなものを覚え」ていたのですが、妻は受け入れず、実は娘を身ごもっていることも告げずに夫婦は断絶してしまいます。

その娘が成長し結婚することになり、離れて暮らす父親を式に招待したいと母親に言うのですが、拒まれた挙句に式当日花嫁姿のまま父の家に行き、そこで結婚式を強行します。母は仕方なくやってきて、夫と再会し、こう言います。

「おお──デイヴィッド──みんな──わたしが──悪かったんです」

 

私は、モンゴメリは自分の賢しさをちょっと後悔していたのではないかなと思います。マクドナルド牧師と結婚し、子供にも恵まれ、作家として成功したものの、若い日の自分は賢くて愚かだった。あの恋に身を投じても、例え不幸になったとしても、自分は自分の人生を生きることができただろうに。

その気持ちから、このふたつの短編の中で、自分の価値観の方が勝っていると思っていた女性が謝る場面を書いたのではないかと思います。

モンゴメリの人生は良い事ばかりではありませんでした。母親は2才の時に死去、祖父母に育てられます。父親の再婚時に引き取られるも継母と上手くいかず祖父母の家に戻ります。マクドナルド牧師との結婚も遅く、37才。出典を忘れてしまったので私の記憶に間違いがなければ、病気だった祖母が、自分が死ぬまで結婚してくれるなと言った言葉に従ったとか。

この書簡集の最後の手紙(1941年)にも苦悩がつづられています。

「この一年は絶え間にない打撃の連続でした。長男は生活をめちゃくちゃにし、その上、妻は彼のもとを去りました。夫の神経の状態は、わたしよりももっとひどいのです。わたしは夫の発作がどういう性質のものか、二十年以上もあなたに知らせないできました。でも、とうとうわたしは押しつぶされてしまいました」

「戦況がこうでは、命が縮んでしまいます。もうすぐ次男は兵隊にとられるでしょう。ですから、わたしは元気になろうという努力をいっさいあきらめました。生きる目的が全くなくなるのですから」

「かつてのわたしを覚えていて下さい。そして、今のわたしは忘れて下さい」

4か月後にモンゴメリは亡くなります。1942年4月24日。享年67才。

 

この書簡集は、たしか30才前後に本屋さんで見つけて購入したのですが、たまに読んではモンゴメリの人生に思いを馳せています。作品だけでなく手紙もみっしり書いていて、書くことが本当に好きな人、書かずにはいられなかったんだろうなと思います。

私の精神世界の礎となっているモンゴメリをもって2022年の書き初めとしました。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

では、また。

括弧内はすべて引用です。

 

 

君が咲かせた花は

君のいない東京は

今日も快晴で僕は少し寂しい

幸い仕事は忙しくて

一日中君のことを考えずにすむ

一時の不在だとわかっているのに

それでも僕は寂しい

君の歌は人々を幸せにする

君の声は心の奥に届く

君が咲かせた美しい花は

今 世界を輝かせる

僕は僕の場所で待っているよ

舞台を降りていつもの帰り道に

君の弾むような足音が聞こえたら

ドアを開けて迎えるよ 抱きしめるよ

君は世界の歌姫

ときどき僕だけの愛しいひと

 

 

 

 

こんにちは。そろそろ今年最後の更新になりそうなので、締めくくりとしてこの1年も宮本浩次を愛し抜いたなという詩を書きました。宮本さんがソロツアー中に全国各地から発信されるインスタ「旅日記」を見ているとどうにもこうにも可愛くて、女子にしちゃえ&サラリーマンの彼氏も設定しちゃえ、とさくさく筆が進みました。宮本さん、インスピレーションをありがとうございます。

今年は宮本さんが写真週刊誌に捕獲されて乙女ゴコロは千々に乱れました。メディアを鵜呑みにしているわけではないですが、ああいう話題自体がファンの心を重くするのですよ。誰のファンも自分がその人と恋愛や結婚をできるなどとはまったく思っておらず、ひとりの人として幸せになって欲しいと願っているものなんですが、歌なりお芝居なりの表現活動に触れることは、自分の中にその人の人格が入り込んでくることだと思うんです。受け手の心の中の現象なので、相手と自分の1対1の関係性がイメージとして生まれる。そこに現実の情報が入ってくると、自分の目の前にいると感じている相手のイメージをいきなり消されたような喪失感に襲われる。自分でこれは虚像だとわかっていることと、他者から自分の中のイメージを崩されることは別のことで、恋愛や結婚報道にショックを受けるのは、情報という他者が自分のイメージの中に土足で踏み込んで暴力を振るうに等しいからです。

ツイッターなどで見られる「○○さんの結婚報道にショックを受けてつらくて夫になぐさめてもらった」という言葉にも納得がいきます。夫という現実に自分の内的世界の崩壊を分かちあってもらって心を落ち着かせようとしている。妥当な対処法で良い夫さんたちだと思います。私にも良い夫が欲しいところです。が、仕方がないのでこうやってブログに縷々気持ちをつづっては乙女ゴコロの回復を図っております。

そんなこんなを乗り越えて、来年も宮本浩次を愛していきますよ。何があろうと私の愛は変わりません。真心を込めて宮本好き好き書いていきますとも。

何かのご縁でこのブログをお読みくださった方には御礼と感謝を申し上げます。おひとりおひとりが大事なお客様だと思っております。よろしければまた足をお運びくださいませ。

宮本くんはこれからCDJ、紅白、エレカシ新春と頑張ってね。ツアー後半戦の旅日記も楽しみにしてます。完走を祈ってますね。心からの愛を込めて!

 

 

 

それでは、また来年!よいお年を!