米津ワールドの女の子 その3

米津玄師「でしょましょ」の感想です。

久しぶりに歌詞の中に女の子がいる!と思って小躍りしました。

 

 

 

如何でしょ あたしのダンスダンスダンス

ねえどうでしょ? それなりでしょ?

一人きり 見よう見まねで憶えたよ 凄いでしょ?

 

異常な世界で凡に生きるのがとても難しい

令月にして風和らぎ まあまあ踊りましょ

るるらったったったった

 

獣道 ボロ車でゴーゴーゴー ねえどうしよ? ここどこでしょ?

ハンドルを手放してもういっちょ アクセルを踏み込もう

 

 

 

「異常な世界で凡に生きるのがとても難しい」、このフレーズから萩尾望都の「あそび玉」を思い出しました。超能力者が排除される管理社会、能力に目覚めた主人公の男の子がひとりの若い女性と出会います。同じ能力者のその女性は、自分の力を隠して「異常な世界で凡に生き」ているのです。

 

この歌は、擬音語が多くて肩の力が抜けた感がありますが、この一行が入ることで世界の複雑さが加わって、歌に奥行が出るんですね。

そして、「ハンドルを手放して」「アクセルを踏み込もう」と言うくらいには、この女の子は元気で強い。世界がおかしくったって、あたしは生きていくの。生きてると嫌なことだってたくさんあるけど、そんなこと死ぬ理由にはならない。ここがどこだかわからないときもあるけど、どこだっていいの、どこでもあたしは踊って歌って、ここをあたしの生きる場所に変えるだけ。

米津さんの描く女の子はとても魅力的で、やっぱり友達になりたいなと思います。

 

それから、「凡に生きる」という表現も効いていますね。意味だけなら「平凡に生きる」でいいところだと思いますが、「凡」の方がリズムに乗る。やっぱり米津は手練れだなと思います。

 

「海の幽霊」の歌詞には「離れ離れても」とありますが、「はなれ『ば』なれても」と歌ってますよね。これ、ネットで歌詞を検索すると、「はなれはなれても」とか「はなればなれでも」と表記しているサイトもあって、情報にゆらぎがあるのも面白いなと思ってます。

普通は「はなれ、はなれても」と繰り返しているのだと思いますよね。でも、ここでは「はなればなれる」と動詞化してるのだと思います。

こういうことをしれっとするセンスの高さは米津さんの資質だと思いますが、センスの由来は、漫画のネイティブだからかなと考えています。コミック・ネイティブ。漫画を読むのも描くのも普通の世代。

漫画での言語表現の特徴は、「字も絵」「活字と手書きの組み合わせ」「品詞や語形変化の自由さ」というところかなと思っています。米津さんは、漫画を読む中で身につけてきた感覚を元に、「このくらいはやってもいい」という新しい基準を思い切りよく実行しているのではないでしょうか。

 

 

米津さんの曲は全部追いかけてますよ。「馬と鹿」もいいですね。「これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった」という感情を振り切ったフレーズがとてもいい。曲調が凱旋のパレードという感じで、華やかな大舞台のイメージ。やっぱり「グランドロマン」という言葉が似合うなと思います。

 

 

では、またね。