女の子は女の子の仮面をつけない

米津さんのアルバム「STRAY SHEEP」の中から「Décolleté」の話です。

 

歌詞のところどころに荒んだ心情を表す語句が挟み込まれているのが気になっていました。

 

あなたは間違えた 選んだのは見事ヘタレたハズレくじ

祭りはおしまいさ 今更水を差さないで

 

荒れ果てていくユーモア あなたのパパとママは何をしていたの

兎角疲れました 数えるから直ぐに消えて

 

今は らんらんらん 深く眠りにつきたい

月が らんらんらん デコルテを撫でていく

 

名のついた昨日は くれてやるから静かな明日をよこせ

卑劣な隣人を お許しくださいエイメン

 

泣き出すのはノーモア あなたのパパとママはどこへ消えたの

易々と述べんな 他をあたっておくれダーリン

 

 

下線部のところが、けっこうな悪態をついているというか、曲はピアソラ風で哀愁が漂っていて、なぜかおねえちゃんの吐息混じり。歌詞だけを見ると男女どちらの言葉とも取れますが、歌を聴くと女性が主人公のように聞こえます。

 

以前のアルバム「Bremen」に「シンデレラグレイ」という曲があります。

 

 

ねえどうして、そうやってあたしのこと馬鹿にして

優しさとか慰めとか与えようとするの?

その度々に惨めな思いが湧いてきて

どうしようもない気持ちになるってわかってないの?

 

 

このイントロからぐずぐずと相手をなじっていて、

 

思い出したくもないようなことがいつまでも消えないな

ぐしゃぐしゃの頭の中 一つも整理がつかずに

また思い出した

 

怖かったのに 辛かったのに 誰も信じてくれなかったのに

あなただけが その声だけが いつでも笑いかけてくれたのに

 

 

と、全編こんな感じで泣き言を言い通しの歌です。これを聴いた時、シンデレラグレイちゃんは男の子だな、と思いました。男の子が男の子のままでは言えないようなことを女の子の仮面を被って言っている、と感じました。女の子の愚痴の言い方はこんなにグズグズしていなくて、もっと切れがいいというか、覚悟がどこかに見え隠れすると個人的に思うんです。

「女の子の仮面を被る」は、佐藤史生の漫画「バナナトリップに最良の日」に授けられた発想です。米津さんの歌はなぜか佐藤史生のイメージとかぶることが多いんですよねえ。

男の子が男の子のままでは弱音が吐けない、男は強くあらねばならないという世の中は人によっては息苦しいだろうなと思います。

で、「Décolleté」ですが、言ってることは「明日をよこせ」とか「易々と述べんな」とか、いわゆる男言葉ですよね。そこにデコルテという女性の体の美しい部位をイメージさせて、やっぱり女性に擬態しているように思うんですよ。

これは作品世界なので、米津さんがこのままの人だというのではなく、強くたくましい男性像を当然とするのはやめてくださいという秘かな男性の主張を感じるというか、男性が女性性を素直に表に出せない世の中が少しずつ変化していく兆しのようにも思えるんです。米津さん以外の20代男子の歌を聴き込んでないのですが、もしかするとこういう歌詞が増えているのでしょうか、どうなんでしょうか。

 

「STRAY SHEEP」はずっと聴いてます。「迷える羊」の建設現場みたいな音が面白いなあと思っていたら、インダストリアル・ミュージックというカテゴリーがあるのですね。へえー(よくわかってない)。

米津さんの歌詞は、言葉数が多いものと、シンプルであっさりしたものとがありますが、本来は私の好みではない饒舌な歌詞も米津さんのは好きなんですよね。なんでだろうと考えてきたのですが、書き言葉が多いからかなと仮説を立ててみています。ここはもう少し掘り下げたいので来年に持ち越しますね。

 

 

では、また。