宮本浩次「十六夜の月」

アルバム「縦横無尽」から「十六夜の月」の感想をやっぱり書いておこうと思います。

この歌は宮本くんの「今」なんだなと最初に聴いて思いました。歌詞に「ヤバイくらいに恋こがれ」というフレーズがありますが、「ヤバイ」という現代語が画期的なんですよ。今までに現代語を使った歌詞はほとんど無いのではないでしょうか。この言葉の選択によって過去を過去のものとして大事にしつつも過去に捕らわれず今を生きている歌になっていると思います。

 

流れ流れて漂う今も捨てたもんじゃねえ
ヤバイくらいに恋こがれ
愛し愛されたあの美しい思い出
十六夜の月輝く空に 俺のheartは
意外なくらい 静かに そして乾いたまま
揺れる波を見ていた
月の光揺れる

 

「愛し愛されたあの美しい思い出」を「意外なくらい 静かに」受け止めていて、この恋は終わったんだなと感じます。

そこになぜ引っかかるかというと、宮本さんにはファンの間では有名な大失恋エピソードがあって、インタビューなどで何度か触れられるので、まだ心残りがあるのかな?と思わなくもなかったんですよ。今からでも寄りを戻そうとは思わないのかなと私は思ってました。非現実的だと思いますか?でもマクロン大統領は中学時代の教師であり夫も子供もいた現夫人を、それでも自分と結婚して欲しいと長年求めて現実のものとしたわけですよね。事例として少ないとしても非現実的とは言い切れない感情はあると思うんです。宮本くんが幸せになれるならそうしたらどうなのかなと敵塩なことを思っていました(血の涙を流しながらですけどね)

が、この歌を聴いて、あっ、ちゃんと今を生きているんだなと思いました。本人と作品を混同はしてないですよ。宮本さん本人はとっくに今を生きていたのでしょうけれど、歌詞にようやく「今」が現れたということです。つまり、今の自分をてらいなく歌えるようになった。「流れ流れて漂う今も 捨てたもんじゃねえ」と思える人生でよかったなとファンとしても感慨深いです。

 

縦横無尽ツアーもあとわずかになってきましたね。宮本くんのお誕生日の6月12日「完結編」まで完走できますようにと祈る日々です。「完結」するんですね。ファイナルとかゴールとかよりも、しっかり区切りをつけるニュアンスを感じるのですが、この言葉にどういう気持ちが込められているのかなと思います。宮本くんが歌いたいように歌って、生きたいように生きてほしいと願うファンとしては完結のその先も追いかけていきたいと思っています。

 

 

では、また。