記憶を遡る

前回、音楽雑誌を読んでいた頃を思い出したので、思い出しついでにミュージシャンの発言で記憶に残っているものを書いておきます。文言は発言そのままではなく要旨としてまとめたものです。

 

「ファンは歌詞に感動しましたとは言うが、自分の音を聴いてくれない」

この考え方は大変腑に落ちたのでとてもよく覚えています。ミュージシャンはこう思うだろうなと納得し、私のように歌詞カードを先に読むような人間は嫌だろうなと思いました。でも、ファンは音を聴いていないわけではなく、音を聴いた感想をどう伝えたらよいのかに慣れていないだけだとも思いました。

ネットの時代になって、この点は少しは解消されているのではないでしょうか。音だけでなく歌唱法や作曲法についての感想ブログも多々あるので、ファンからミュージシャンの皆様方へ伝わることは増えていると思いたいです。

 

「洋楽の過去の名曲は歌詞がシンプルなものが多いから、歌詞にはそんなに重きを置かなくてもよいのではないか」

プロでもこう思うのか、こういう考えでもプロになれるのか、とちょっとびっくりしました。シンプルをどう捉えるかという点については、子供の落書きとピカソの抽象画の比較で説明はつくと思ったものの、インタビュアーさんはこの問いに返答していませんでした。

無作為な単純な言葉と複雑な思考を経て枝葉をそぎ落としたエッセンスのような短い言葉の違いをプロのミュージシャンも音楽ジャーナリストも自覚できていないのだろうか、皆が皆そうではないだろうけれど、と私の中に疑問を残した発言でした。

歌詞について考察するのは音楽ジャーナリズムの仕事だと私は思っていたのですが、当時ほとんど論じられることがないように思えて、たぶん、日本の学校教育で詩の学習が希薄であるために広く一般に詩の読解の素地が形成されていないことと、音楽の仕事をしている人は言葉について論じたくて音楽業界に身を置こうと思ったわけではないだろうことが理由だろうなと思っていました。

また、自分が長い年月仕事を積み重ねて思うのは、「この仕事は自分がやる」という意志を持った人材が開拓をなし得るのだということです。歌詞について考察するのは音楽ジャーナリストである自分の仕事だという信念を持ち行動する人材が現れるのを待つしかないのかもしれないと思います。

 

私にとっては雑誌購入の強い動機になっていた宮本浩次さんですが、覚えているのは2つだけです。

ひとつは、以前ブログにも書いた、ただ歩くだけのデート話。

もうひとつは、ご家族との話ですが、エレカシがデビューして数年くらい、ヒット曲が出ずセールス的に苦戦し苦悩していた頃です。

ある日、宮本くんちの近くで踏切事故があった。その日、宮本くんのお兄さんは家に帰るなり第一声が「浩次は?」

この短いエピソードから、宮本くんが家族に普段どういう表情を見せていたのか、それを見たご家族がどういう思いでいたのかが容易に推測されて、胸が痛くて痛くてただ痛かった。売れないミュージシャンの家族は大なり小なりこういう感じなんだろうなとも思った。

ただし、宮本くんはこのエピソードを深刻に語っていたわけではなく、「なんか家族がそんなこと言うんですよやだなあ僕そんなことしませんよははは」的な笑い話のように読めて「兄弟の下の子め!」とも思ったのでよく覚えているんですよ(私は兄弟の上の子)。後から考えると、家族にそんな心配までされる自分の境遇を笑い話にするしかなかったのかもなとも思います。

こうやって書き出すとよくわかるのですが、宮本くんに関しては音楽の話をまったく覚えていません。宮本くん、音楽についても話していましたよね??なんで記憶にないのでしょう??

ついでに書いておくと、エレカシのライブはデビュー当時たしか3、4回くらいしか行ってなくて、いつどこに行ったかきれいに忘れてしまったのですが、初めて行った新宿のパワーステーションだけはぼんやりと覚えていて、宮本くんが「こんなに来てくれるとは思わなかった」と言っていたと思います。やっぱりそういうことを考えるんだなと自分の心が反応したので覚えているのだと思います。これは2019年新宿リキッドでのバースデイライブでも同じことを言っていて面白かったです。

薄暗い空間で目の前2メートルくらいのところにまだ何者でもない4人がいて、なんとなく好きだなあと思いつつ、あまりしゃべらなかったのでこの人たちこれで食っていけるのかしらと思ったことも覚えています。食ってこれてよかったです。

宮本くんは雑誌で見るたびに美人だなあと思ってました。匂うような美人ってこういう人のことをいうんだろうなと惚れ惚れしていました。

当時の音も声も覚えていないけれど、私の網膜には4人の姿が刻まれていて、三半規管の中では若い日の音が今でも鳴っているのだと思います。

 

 

昔話を書いてきましたが、歌詞については私は素人ながら自分の考えは綴っていこうと思います。お金にもならないことに労力を費やす理由は、私がやると決めたからです。自分に力があると思っているのではなく、ただ、やると決めただけです。今後もおつきあいくだされば幸いです。

 

 

では、また