宮本浩次「rain -愛だけを信じて-」

「rain -愛だけを信じて-」の感想を改めてちょっとだけ書いておこうと思います。

そもそもエレファントカシマシの歌は「男男俺俺行け行け」が主流に聞こえると思います。決して高圧的ではないのは、独白というか自分に対する叱咤激励のニュアンスが強くて、男性性をもって他者を攻撃するものではないからだと思います。このあたりの説明はもうちょっと考察を重ねたいところですが。

時流という点で、この男男俺俺はちょっと不利ではないかなと思っていました。世の中はme too運動とか「有害な男らしさ」の問題とか、今まで黙って我慢していた人々が声を上げ始めていて、男性性や家父長制について考え直さざるをえない潮流は止まらないだろうと思います。この流れの中でエレカシはどういう歌をうたっていくのだろうかと見つめていました。

が、そんな私ごときの賢しい考えなどすべて杞憂でした。「rain」であっさり時流程度の波は超えたと思います。

この歌は女性になりきって歌うともおっしゃっていましたし、カバーアルバムで女性の歌を選んだことも何か宮本さんの嗅覚が働いたのかもしれません。テレビ出演で膝をきちっとくっつけてお行儀よく座っていたのも天然の戦略なのかもしれません。

男女平等の思想的な主張をするわけでもなく、男性として女性に寄り添った歌でもなく、女性になって歌い始めたところ、男男俺俺が愛愛愛愛にがらっと変わったのも正直驚きでした。

「rain」の歌詞が描く世界は私がこよなく愛する少女小説と同じで、女性の人生に潜むユーモアと哀しみ、愛を求める気持ちが切々と歌われています。宮本くんは若草物語を読んだことがあるでしょうか。どうかな。若草物語は四部から成りますが、第二部のクライマックス、ジョーとベア先生のシーンは雨降りです。

「そのうちに雨がひとしずく、ぽつんと頬にあたったので、くじかれた希望をさまよっていたジョーの心は、急にリボンのぬれることを思い出した。しずくはやみそうにもなかった。恋をしている人間であると同時にひとりの女でもあったから、彼女は自分の心を救うにはおそすぎても、せめてボンネットだけでも助けたいと思った。ここで彼女は出がけにあまり急いで雨傘を忘れてきたことを思い出した」

「かかとのあたりはますますぬれ、頭の上にはたくさんの雨傘のかち合う音がした。そのうちに彼女は何もおおうものがないはずの自分のボンネットの上に、少し裂けたような青い傘がいつまでもさしかけられているのに気がついた。顔を上げてみると、ベア氏が見下している」

「幸いなことに、ベア氏は彼女を世界中でいちばん美しい女性だと思い、ジョーにはまた、このときほど彼が『ジュピターのように』見えたことはなかったのだ。帽子の縁はぬれてぐにゃぐにゃになり、そこから流れる小川のようなしずくは両肩をぬらし(ジョーにだけ傘をさしかけたので)、手袋の指はみんな穴だらけだったのだけれども」(「続 若草物語」角川文庫より)

とても幸せな雨のシーンです。貧しくて愛以外に持っているものがない二人。愛だけを信じている二人。ここで「rain」を流したらぴったりですよ。男男俺俺のエレファントカシマシをずっと追いかけてきてジョゼフィン・マーチに辿りつくとは本当に夢にも思っていませんでした。

 

 

縦横無尽ツアーの完結編とエレカシ2022新春コンサートもようやく見ました。

完結編はただただ胸がいっぱいになりました。映像だけでもとても幸せな空間だと感じられました。最後の笑顔を見て、こんな顔をする人だったんだなと感慨深かったです。

でも、あの、正直に告白しますと、「P.S. I love you」の前に「今日だけでも言わせてくれ。ベイビー愛してるぜ」と優しくおっしゃいましたよね。「はっ??」と思いました。飲んでるお茶をがふっと噴くというか。宮本おまえそんなやつじゃなかっただろう??どうした??という思いを禁じ得ない自分がいたことをここにこっそり記しておきます。いやいいんだけど。私も愛してるけど。

エレカシ2022新春ですが、ガコッと恋に落ちました。ええ、なんかもう有無も言わさずガコッと。エレカシに恋に落ちるのは何度目でしょうか。この宮本くんはとても状態がいいというか、大人でプリンスでハンサム。この恋に身をゆだねてもいいですか、宮本さん。とお慕いしたくなるようなエレカシでした。

 

 

9月25日は野音ですね。チケット当たらなくても配信で見ます。4人とも、新春を更に超えてね(鬼のようなことを言うファン)。もっと私に恋させてね。期待してるよ。それじゃまた!