コーネリアス「Point」

コーネリアス「Point」の感想です。

このアルバムは聴いていて本当に気持ちがいいなと思いました。歌詞にストーリーもいわゆる「言いたいこと」もなく、言葉は完全に音として扱われている。音の形で語りかけてくるというか、何か音の話法?文法?文脈?があって、意味性から解放された言葉が音として踊っているというか躍動しているというか。

歌詞に意味性だけを求めるのはつまらないと私は思うので、小山田さんのように言葉を音として操る人は希少性が高く感じます。ただ、どのミュージシャンも言葉を音として捉えているとは思います。清志郎さんが「タ行の破裂音は歌っていて気持ちがいい」とおっしゃっていましたし。「WATTATA(河を渡った)」の話です(表記が「ワッタタ」なのはなんででしたっけ?)

私が言葉を音として楽しむ原点にセサミストリートがあります。小学生の頃、夏休みに教育テレビ(Eテレ)で見ていたのですが、日本語音声も字幕もありませんでした。子供だったのでよくわからないままなんですが、うちのテレビが古くて字幕機能がなかったのかなと思っています。

英語などまったく知らず、見ながらアルファベットと数字を理解していったくらいでしたが、自分にはわからない言葉を話す人たちを眺めるのがただ楽しかったです。

ポケモンのアニメを見た時にも似たようなことを思いました。ポケモンは独自の言語を話すので人間には理解ができない。人間の言葉を押し付けない設定がいいなと思いました。

ポケモンたちは自分の種族名で話す。人は発語された音を聴くしかないけれど、嬉しいとか怒っているとかの感情はなんとなくくみ取れる。

ペットも同じですよね。私はかつて猫と暮らして、必死で訴えてくる小さな命を理解しようと試みる日々は緊張感もあり、幸せでもありました。私も人間の言葉でいろいろ語り掛けましたが、自然とやさしい意味と話し方になりました。お互い音で会話するのも動物と暮らす醍醐味だなと思いました。

誰かを感じがいいなとか好きだなと思う場合、話す内容だけではなく、声や抑揚もいいなと感じているのではないかと思います。たぶん、自分の好みの音があって、話す声も歌声も意味だけを聞いているわけではないのだろうと考えます。

 

「Point」の中の「Tone Twilight Zone」に虫の音が入っていますが、たしか、西洋では虫の音を東洋人のように情趣とは聞かないと何かの本で読んだことがあります。世界中にいる小山田さんのファンがどう聞いてきたのか、地道に知っていこうと思っています。思いがけずファンになってまだ日が浅いので私の小山田さんを知る旅は始まったばかりですが、人生の楽しみがひとつ増えたと思っています。小山田さん、ありがとうございます。ご活躍を末席にて陰ながら応援していきます。

 

 

では、また。