モンゴメリの恋

こんにちは、今回はモンゴメリのお話です。

NHK総合で「アンという名の少女3」が放送中ですが、第7話でダイアナとジェリー(カスバード家の使用人の男の子。ふたりは周囲に内緒で親密になっている)が本の感想を話す場面があります。ジェリーはダイアナほどの教育を受けたことがなく、ダイアナが思っている「本の感想を話し合うこと」はジェリーとはできないと察して途中で止めてしまいます。

ジェリーはダイアナの反応を感じ取っていて、自分と釣り合わないとダイアナが思っているとアンに嘆きます。これは原作にはないエピソードです。

この格差恋愛は、モンゴメリ自身も経験しています。20代前半にハーマン・リアードという農夫に「大げさに言えば、命をかけた恋」をします。

その心情は「モンゴメリ書簡集Ⅰ G.B.マクミランへの手紙」(篠崎書林)で読むことができます。

「わたしはその方を尊敬していませんでした──賞賛の念なんて全然持ち合わせていなかったのです」

「でも、確かに愛したのです。どんなことがあっても、その人とは結婚しなかったでしょう。あらゆる点で私よりも劣っていたのです。決して私はうぬぼれているのではありません。要するに劣っていたのです」

「でも、ほかの男性を愛することができないほど、その人を愛したのです」

「この人は亡くなってしまい、わたしとしてはこの恋がそういう結末を迎えたことについて感謝しています。もし生きていたら、おそらく結婚しないではいられなかったでしょうし、そんなことになったらほとんどあらゆる点で悲惨きわまりないことになっていたでしょう。このことはきっと何から何まであなたには理解しがたいだろうと思います──あの経験をする以前には、わたしにとってもそうでしたから」

モンゴメリはハーマン・リアードに出会う前にはエドウィン・シンプソンという男性と婚約していたのですが、自分から破棄しています。

「B(エドウィン・シンプソンのこと)を好いていて、感嘆していたことを、恋愛と取り違えたのです。やがて彼と婚約しました──その途端、彼がすっかりきらいになったのです。ええ、笑って下さい。おそらくあなたはお笑いになるでしょう。でも、わたしにとっては笑いごとどころか──悲劇でした。その人からキスされたときにはゾッと寒気がしてしまったのです──Bとは決して結婚できないとわかっていたのです。一年間というもの、彼に対してうそ偽りのないように努めましたが、地獄でさえこの一年ほどひどくはないだろうと思いました。とうとう、本当の気持ちを打ち明けて、婚約は破棄しました。ところが、自由になるやいなや、あの恐ろしい瞬間以前と同じように、彼が好きになったのです」

この手紙の後半、モンゴメリはこう締めくくります。

「わたしたちは至高なるものを賞賛しなければなりません。でも、愛は全く別もので、それは最良のものを置き去りにして、最悪のものに走るということがいかにも起こり得るのです」

「わたし自身経験したことは、人生の奇妙で複雑な出来事の多くを理解する方法を教えてくれました」

この手紙が書かれたのは1907年、モンゴメリ33才、「赤毛のアン」を出版する前年のことです。後に夫となるユーアン・マクドナルド牧師とは1906年に婚約しています。

 

ここからは私の読書感想及び推測になるのですが、モンゴメリの短編「争いの果て」(新潮文庫「アンの友達」収録)、「父の娘」(新潮文庫「アンをめぐる人々」収録)、このふたつを読むと、ハーマン・リアードとの思い出をモンゴメリがどう昇華させたかがわかるような気がします。

「争いの果て」は、結婚するばかりになっていた男女がけんか別れをし、女性は故郷を離れて看護師として20年働いた後に戻ってきます。けんかの原因は、女性が男性の間違った言葉づかいを矯正しようとしたこと。

「ピーターはわたしに、わるい言葉づかいもなにもかもそっくりそのまま、あるがままの自分を選ぶか、または、自分なしにするかにしてほしいと言ったの。だからわたしピーターなしですますことにしたの──それ以来、わたしはほんとうに悔んでいるのか、それとも胸に残っている感傷的な後悔の気持を楽しんでいるのか、わからないのよ。きっと、その後のほうだと思うの」

この女性はこうも言います。

「私も世間で一つ二つちょっとしたことだけれど、貴重なことを学んできたの。一つはたとえその人の言葉づかいがまちがっていようと、こちらをののしらないかぎり、かまわないということなの」

最後には、言葉づかいを直そうとした「わたしはばかでしたのよ」と再会したピーターに告げます。

「父の娘」は、漁師と結婚した女性が、夫に農夫として生活して欲しいと願います。

「船乗りは社会的階級からいって『賤しい』──この世になくてはならない放浪者の一種だという、生来の信念を抱いていた。そのような職業は恥辱だとイザベラには思われた。デイヴィッドを家にいつかせ、広い土地の尊敬に値する農夫にしなければならない」

結婚して5年は農業をしていたのですが、旧友から航海に誘われた夫は海への熱望を抑えることができずに出ていきます。戻ってきたときには「放浪癖もおさまって、野良仕事や家畜などにもなにか心からの愛情のようなものを覚え」ていたのですが、妻は受け入れず、実は娘を身ごもっていることも告げずに夫婦は断絶してしまいます。

その娘が成長し結婚することになり、離れて暮らす父親を式に招待したいと母親に言うのですが、拒まれた挙句に式当日花嫁姿のまま父の家に行き、そこで結婚式を強行します。母は仕方なくやってきて、夫と再会し、こう言います。

「おお──デイヴィッド──みんな──わたしが──悪かったんです」

 

私は、モンゴメリは自分の賢しさをちょっと後悔していたのではないかなと思います。マクドナルド牧師と結婚し、子供にも恵まれ、作家として成功したものの、若い日の自分は賢くて愚かだった。あの恋に身を投じても、例え不幸になったとしても、自分は自分の人生を生きることができただろうに。

その気持ちから、このふたつの短編の中で、自分の価値観の方が勝っていると思っていた女性が謝る場面を書いたのではないかと思います。

モンゴメリの人生は良い事ばかりではありませんでした。母親は2才の時に死去、祖父母に育てられます。父親の再婚時に引き取られるも継母と上手くいかず祖父母の家に戻ります。マクドナルド牧師との結婚も遅く、37才。出典を忘れてしまったので私の記憶に間違いがなければ、病気だった祖母が、自分が死ぬまで結婚してくれるなと言った言葉に従ったとか。

この書簡集の最後の手紙(1941年)にも苦悩がつづられています。

「この一年は絶え間にない打撃の連続でした。長男は生活をめちゃくちゃにし、その上、妻は彼のもとを去りました。夫の神経の状態は、わたしよりももっとひどいのです。わたしは夫の発作がどういう性質のものか、二十年以上もあなたに知らせないできました。でも、とうとうわたしは押しつぶされてしまいました」

「戦況がこうでは、命が縮んでしまいます。もうすぐ次男は兵隊にとられるでしょう。ですから、わたしは元気になろうという努力をいっさいあきらめました。生きる目的が全くなくなるのですから」

「かつてのわたしを覚えていて下さい。そして、今のわたしは忘れて下さい」

4か月後にモンゴメリは亡くなります。1942年4月24日。享年67才。

 

この書簡集は、たしか30才前後に本屋さんで見つけて購入したのですが、たまに読んではモンゴメリの人生に思いを馳せています。作品だけでなく手紙もみっしり書いていて、書くことが本当に好きな人、書かずにはいられなかったんだろうなと思います。

私の精神世界の礎となっているモンゴメリをもって2022年の書き初めとしました。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

では、また。

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