インタビューを読むということ

インタビュー記事を私がどう読んでいるか、備忘録的な話です。整理しようと思ったのは小山田圭吾さんの件をずっと考えているからです。件のインタビュー(ネットで読めるだけですが)とそれを受けてのネットの言説を読んでも小山田さんに悪い印象はまったく持ちませんでした。話題の中に自分の属性が無かったこと、もともと活字は疑ってかかる方であること、若い頃に2年弱くらいだったかインタビュー掲載のRO社の雑誌を読んでいた時の読み方が関係しているかなと思います。

インタビューを読む時は、話した音声を読む活字に変えているという前提で読みます。誰であれ話したことをそのまま活字にしたら読みにくいと思うので、読みやすい範疇で若干の言葉の調整はあり得ると思っています。

インタビューで話したことがすべて本心とも思っていません。その時の気持ちや状況でうまく話せたり話せなかったりするであろうことと、インタビューの仕方によっても大なり小なり影響を受けると推測します。

過去に話したことを今も同じように考えているとも思いません。人は変わる。どういう方向であれ変わると思っているからです。

かように鵜呑みにせず当てにもせず期待もせずに読んでいるのですが、これだけ淡々と読んでいても、これはこの人の真実なんだなとか、こういうことを大事に思っているんだなと感じざるを得ない話は胸に響くので、インタビュー記事は自筆の文章とは違う面白さがあると思っています。

小山田さんのインタビュー掲載のRO社の雑誌を20代の私がどう読んでいたかというと、そもそも10代の私は音楽に傾倒していなかったので音楽雑誌を読んだこともありませんでした。20代になって読もうと思ったのは、バンドブームで同世代の人たちの考えを知りたいと思ったからです。いろんな雑誌を読んでみましたが、全体的に文章の質が粗いと思いました。この雑な文章のまま本屋に並べて平気なのかというのが正直な感想でした。その中でも、何かを論じようとしているのはRO社の雑誌だなと思いました。写真は「アリーナ37℃」という雑誌が一番好きでしたが。華やかな写真が多くて好みだったので時々買ってました。

RO社のインタビューで覚えているのは、新人バンドが「そちらのストーリーに沿って答えないといけないってことですよね」と意見したことに対しての返事が「おいおい」という突っ込みだったこと、キャリアの長いゲストが何かの質問に答えたら「そんなはずはない」とインタビュアーが言ったこと。この後、「そんなはずはない」「いいえ、(あなたの言っていることは)違いますよ」と数回押し問答になっていました。

新人だからなのか、インタビューを受けている側に何の敬意も払っていないと思わせる返答、誰であろうと誰かのはずで生きているわけもないのに、自分の予測と違う返事に対して「そんなはずはない」と自分の基準から抜け出せず対話として止揚していかないインタビュー。これをこのまま読者に提供している意図はわかりません。正直ではあるのかもしれないなと思いました。

小山田さんのインタビューは私が読んでいた頃から数年後のようですが、この雑誌独特のインタビューのノリの中での話に過ぎないと冷静に受け止めました。

事実と異なる内容になっていた件も含めて、このインタビューは単なる仕事の失敗だと私は考えます。ちょっとドライでしょうか。RO社も小山田さんも仕事で失敗しただけです。間違いは訂正し、謝罪することがあれば謝罪をし、責任者は考えなり反省なり必要なことを述べて責任を取る。その後、関係各所は挽回を図る。これでよいと思ったのですが、RO社は社長の言が出なかったのが残念です。論じることに長けているように思っていたので、ここでお考えを公表して広く世間一般で議論することは、音楽は不要不急のものではないことを証明する良い機会にもなったのにと思います。例えば、銀行のシステム障害が起こると世間も政府も黙っていないですよね。銀行は不要不急のものではないという共通認識があるからだと思います。音楽雑誌のインタビューが原因で音楽家が失職して世の中で騒ぎが起きても社長は表に出てこない上にその態度を業界内でも問題視しないということは、音楽業界には自浄作用がなく、社会で議論する価値もなく、やはり不要不急のものだという誤った認識を自ら肯定してしまったように思います。私は一会社員で音楽業界とは何の関係もないのですが、音楽ファンとしてとても残念でした。

今回の出来事の中で胸が痛かったのは、小山田さんのファンの方の「私たちの小山田圭吾を返して」という悲鳴にも似たつぶやきです。音楽業界にも真っ当な職業倫理はあると思っていますので、こういうファンの嘆きを二度と生まないお仕事をなさってください。

 

 

最後に蛇足ですが、音楽雑誌を継続して読まなかったのは、ごく個人的感覚で言葉の粗さに目を瞑れなかったのと、どの音楽雑誌も歌詞についてあまり論じることがなかったので私が求めているものはここでは得られないと思ったからです。30年近い時間が経っているので今は昔とは変わっているかもしれません。また、ネットが普及して、歌詞を詩の観点から論じている人は大学の先生や院生が多いことに気付いて、自分が求めていたのは学究的なものだったのだなと自覚できました。ただ、希望を述べると、音楽雑誌で作詞者本人へのインタビューを残すことは将来の日本語歌詞の豊穣につながると思います。現代の人々が古今和歌集梁塵秘抄を研究するように、遠い未来の人々が昭和・平成・令和に歌われていた歌詞についてきっと論考すると思います。その文献になり得るという観点から、インタビューには未来への橋渡しという役割も期待しています。

 

 

では、また。