モトちゃんと私

「一度きりの大泉の話」萩尾望都著を読みました。この本がどういう内容かという説明は省きます。今回は、少女漫画をあまり知らない方にはいろいろな前提を素っ飛ばした話になります。古いファンとしては今まで沈黙してきたことなので、そのスタンスを変えるつもりはないからです。古いといっても「ポーの一族」も「トーマの心臓」も連載終了していて単行本で読み始めた世代です。

萩尾先生の漫画、エッセイ、インタビューを読んできた中で、語られないゆえに察していたことがこの本では具体的に書かれていて、そうか、なるほど、と私は冷静に読めました。沈黙を守るのであれば感想を書く必要もなかったのですが、感想とは違ってひとつだけ伝えたかったのは、モトちゃんをなぐさめたいということ。今現在の世界の萩尾望都ではなく、二十歳そこそこのモトちゃんを。「だって泣いてるもの」。(という台詞は萩尾作品ですよね?どれだったか思い出せないのですが。まさか違っていたらごめんなさい)

モトちゃんさあ、みんな二十歳ちょっとなんだから人間関係なんて上手くやれるわけないよ。若い女子にはよくあるお別れだと思う。ふたりともやがて日本を代表する作家になるような才能を持っていたからちょっとややこしくはあったかなと思うけど。ふたりともずっとトップを走っているから口を出す人も多いのだろうけど。

この集団の中に年長者が1人いたら違ったかもしれないと思う。20代はどんなに賢い人でも人生経験の時間が足りなくて先を見ることができないと思うので、つい白黒つけてしまったりする。誰にも対処ができなかったと思うし、この年頃ではできなくてしょうがなかったと思う。

若いモトちゃんに、モトちゃんの描くものはどれも素敵だよって感想言えたらよかったな。当時の私は自分の記憶も薄っすらとしかないほどチビだったから、それもしょうがないんだけど。

でも先生も書かれていたようにファンも年を重ねたから今は強いよ。モトちゃんは私が12才の時からずっと一緒にいてくれたから、今度は私がそばにいるよ。モトちゃんがつらい時には私のようなファンが世界中にいることを思い出してほしい。見えなくてもファンもずっとそばにいるから、ファンの愛を受け取ってください。

おまえは何様だと思われるかなと思いつつ、少女漫画が心身にしみ込んでいる自分というフィルターを通して、一番大事だと思うことを書きました。

この本の中に出てくる漫画家さんはみんな好きです。特に佐藤史生さんがこんな辛辣な人だったのかと大喜びしました。どの方の言動も作品から感じたことそのままで、こんなに人格が反映されるものなんだなあと答え合わせのような気分にもなりました。

また、「史生さんが大好きだった花郁悠紀子さん」このフレーズを何度もなぞるように読みました。どちらも私が高校生の頃から大好きな漫画家さんで、どちらも旅立たれてしまっていて、それを萩尾望都が書くという構図は、もう涙を誘うこともない遠い昔の思い出を改めて美しい形で静かに提示されたかのようでした。

最後に、私は先生と同じ福岡県の出身なので、トーマが落ちたのは鹿児島本線だと知ったときは高校の友人たちと盛り上がりました。えへへ。文庫版のあとがきです。

フラワーズは電子版をスマホに入れて読んでいるのですが、そうすると「ポーの一族」をどこでも読めて、いつもポケットにエドガー状態なのが幸せ・・と思っている昨今です。

 

 

では、また、漫画家のみなさまが健康で幸せでありますように。