月は輝き続ける

今回は宮本さんのソロ活動についてと、少々私の自分語りになります。

 

宮本さんがソロ活動をすると知った時、私の感想は「ああ、そうなんだ」だけでした。エレファントカシマシのことはエレファントカシマシが決めることだし、一介のファンである私は見せられたものを100%受け入れるだけです。

インタビューを読んでいて、「なぜソロ活動をしようと思ったのですか」という質問を目にした時にようやく、そうか、ソロ活動の理由は聞かれるよなあ、と呑気なことを思いました。

宮本くんの返答を読んで、私に宮本くんの考えが理解できているとは思っていないのですが、エレカシが友人同士で40年やってきたことについて、ごく個人的な視点で思うところがあります。

 

うちは転勤族だったので、小学校4つ、中学は2つ通いました。高校でようやくひとつ。つまり、私を子供の頃からずっと知っている他人はいません。私には厳密にはホームと呼べる土地はないと思っています。ただ、ほぼ九州内だったので、九州は自分の「藩(クラン)」だとは思っています。両親は転勤を楽しむタイプだったので、自分の育ちを否定するものでもないです。転勤族という名称があるくらいなので、特殊なことでもないと思っています。

いろんな土地で暮らして面白かったのは、どこも「自分たちの言葉は標準語に近い」と思っていることです。全然違うし違っているからいいのになあ、と内心思いましたが口には出しませんでした。その土地しか知らない人々に言っても伝わりにくいと思ったからです。

一定のルールが浸透している場所に、違う場所のルールを背負って入っていく転校生の目には「それがすべてじゃないんだけどな」と思うことも多々ありましたが、あまり自己主張しないでおとなしくしていました。そのうち仲良しもできるだろうし、とひかえめに対処していました。

引越や転校は、「アウェイに置かれた場合の訓練」だと思いました。だんだんなじんで仲良しを作ることは「アウェイをホームに変える訓練」とも言えると思います。

 

エレカシの話に戻りますが、私には4人が長い年月一緒にやってきた気持ちを本当にわかることはないのだろうなと思っています。特に羨ましいとか憧れるといったウエットな感情はないですが、ソロをやりたいならやればいいのではというあっさりした考え方は、地縁を考慮しないドライな発想なんだな、と自覚できるようにはなりました。

まあ、やりたいならやればいいという考えも、もう少し正確に言うと、私は白木葉子型なので、「そこにリングがあるならさっさと上がって戦ってこいや」と背中を蹴飛ばす感じですかね。(葉子さんはもっとお上品)(出典「あしたのジョー」って言っといた方がいいですか・・?)

 

ホームの話ついでに、赤羽駅の発車メロディについて、もう少し語っておくと、これは地元があるバンドじゃないと成立しない。地元に愛されていることも必須条件。私のようにホームを持たないと思っている人間には、とてもとてもすごいことに見えているのが少しは伝わるでしょうか。

それに、これから先、「今宵の月のように」を発車メロディで先に聞く子供たちが出てくると思います。例えば、お母さんに連れられてスイミングに行く時に赤羽駅でいつもこのメロディを聞いていた小学生男子が、中学生になってテレビやラジオやネットとかで、初めてフルで聴く。「ああ、これ、電車に乗る時に聞いてたこれ、こんなにいい歌だったんだ」と開眼してエレカシにハマっていったりするんですよ。日常生活にエレファントカシマシが流れることは、現在の名誉だけではなく、遠い未来へ歌い継がれていく種まきにもなっているのだと思います。ほんとにほんとに素晴らしいことだと思います。

 

 

では、また。