高名の木登りの話

困難がやってきた時の私の対処法は2つあります。

ひとつは「高名の木登り」(徒然草)。

木登り名人と呼ばれた人が、木に登った人に、高くて危ない所にいる時は特に何も言わず、あと少しで着地できるというところまで下りてきた時に「気をつけろ」と言う。

なぜかと聞かれた木登り名人は「危険なところは自分で気をつけるが、もう大丈夫となったところで間違いは起きるから」と答えます。

新型コロナは、今はまだ危機的状況だと思うので心身ともに緊張しているけれど、収束し始めた時に気を緩めないようにしなければ、と思うのですが、東京に住んでいて目にするのは、昼時に飲食店に並ぶ列、コーヒー屋で(オープンテラスとはいえ)対面で会話する人々、スーパーのレジで2メートル間隔でテープが床に貼ってあるにも関わらず接近して並ぶ人々。

311で大地震があっても津波を予想できなかったこと、予想を超えた事象が起こり得ると学んだ後悔が繰り返されているように見えているのは考え過ぎでしょうか。

まだ木の高いところにいるのに、すでに「気をつけろ」と医療関係者や専門家の声が上がっている。今、行動変容しなければ無事に木から下りることはできなくなるのではないかという不安がぬぐい切れません。

 

もうひとつの対処法は、上皇后美智子さまの「橋をかける」。

「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」

この一節はいつも私の頭にあります。特に「複雑さに耐えて生きていかなければならない」のところ。仕事でも人間関係でも「うまくいかないなあ」と思ったときに「そうか、これは複雑なことなんだ」と状況を整理することで、耐えていくことの腹が決まるのです。

今回、私が耐えて立ち向かう項目は、パンデミックを生き延びること、収束後に会社の仕事を回復させることの2つです。今は厚生労働省のサイトを読んで、どう行動するべきかと雇用調整助成金などの仕組みを咀嚼しているところです。

 

私の対処法は2つと書きましたが、結局はひとつなのかもなと気がつきました。文章を読むこと。このひとつに集約されますね。

世の中がどうなろうともくじけない勇気を、良心に恥じない行動を取れますように、善なる選択ができますようにと祈る日々です。