少女漫画読みが聴く米津玄師

ナンバーナイン」を最初に聞いた時に「あ、田村由美の『BASARA』だ」と思いました。

 

 

歩いていたのは砂漠の中 遠くに見えた東京タワー

君の抱いていたボロいテディベア笑ってみえた どこへ行こうか

 

海みたいに砂は燃えた かつてはここで人が生きた

先を急いだ英智の群れが壊したものに僕らは続いた

 

 

 

文明が滅んだ後の砂漠を歩いているのは、私の中では「BASARA」の朱理と更紗です。ようやく穏やかに暮らしている時期かな。

 

 

 

恥ずかしいくらい生きていた僕らの声が遠く遠くまで届いたらいいな

誰もいない未来で起きた呼吸が僕らを覚えていますように

 

砂に落ちた思い出が息をしていた 遠く遠くから届いていたんだ

誰もいない未来の僕らの声が美しくあれるように

 

 

 

過去から届いたものを受け取って、未来へとバトンをつなぐ。時間の射程距離が遠く長いところが好きです。田村由美の作品世界とも共通していると思います。

 

 

次は「砂の惑星」ですが、これは歌詞というより音とリズムと全体の雰囲気が、佐藤史生のSF作品のイメージで、特に「ワンゼロ」のトキとアキラとエミーとミノルが新宿で遊んでる時のBGMはこれなんじゃないかと思いました。

佐藤史生のSFにはよく猥雑な繁華街が出てきますよね。雑多で混沌としていて楽しい世界。それにぴったりな曲だと思います。

砂の惑星」はとにかく音が好きなんですけど、最初に聞いた時は後ろでキャー?とかニャー?とか騒いでる人?たちがセサミストリートのパペットがはしゃいでる感じで、しばらくは聴くたびにエルモが頭の中を駆け回ってました。が、何度も何度も聴いてるうちに佐藤史生のイメージに辿りつきました。

佐藤史生の描線は、決して華やかではなく、素っ気なくてあっさりして見えるのですが、枯れ過ぎない線から立ち上る独特の色気があって、そこも米津さん本人の色気と共通していると思います。米津さんは体型がDaddy Long Legs ですよね(「あしながおじさん」の原題)。背高さんで手足が細くて長い。これは女の子から見ると「怖いけど魅かれる」体型です。この意図せぬ良質の素材が、見る者を翻弄するそこはかとない色気を生むんですよ。

ええと、それで、歌詞からひとつピックアップすると

 

もう少しだけ友達でいようぜ今回は

 

というフレーズがあるのですが、これ、「夢みる惑星」の舞姫シリンが言うとカッコよさそう。気に入らない客に言い寄られて「もう少しだけお友達でいましょう?私たち」とか言うと迫力あっていいですよね。

 

 

最後は「クランベリーとパンケーキ」ですけど、このド少女漫画なタイトルはなんでしょうか。私、つい、萩尾望都の「キャベツ畑の遺産相続人」を思い浮かべてしまいました。作風はまったく違いますよ。「キャベツ畑」にクランベリージャムは出てきてないですし。でも、この漫画の中で紅茶の葉をブレンドしてジャムもいっぱい入れるシーンがありますよね。あれが想起されるんです。くどいようですが、それぞれの作品はまったくテイストは違います。

「メランコリーキッチン」でもチェリーボンボンとかタルトタタンとか言ってるし、米津さん甘党でしょうか。それとも、少女漫画的な言葉の甘さが好きなのでしょうか。

 

 

 

少女漫画に私が何を見ているかというと、詩情と言葉の膨らみです。漫画以外のジャンル、小説、絵画、音楽、映像などに触れたときにも私が一番引っかかるのがこの少女漫画的詩的世界なのですが、米津さんの歌詞にはそれが散見されて、そこに私の少女漫画読みとしての読書履歴が結びついていく感じです。

でも、「砂の惑星」に関しては、歌詞ももちろん大好きですが、音がイメージにつながっていて、たぶんピアノの音が少女漫画世界につながったのかな?と思ってます。

 

 

米津さんの歌を聴くと、私はいつも私の中の何かがぐっと引っ張られるような感じになります。その引き出されたものが持つイメージを過不足なく書いてみようと思って、それはとても楽しくて、2018年の後半はあっと言う間に過ぎていきました。

米津作品に限らず、歌を聞くときはだいたいぼんやり聞いてます。意図的に狙って聞くことはまずないです。狙って得られるものなどないと思っています。

掃除や水仕事をしながらだったり、外を歩くときと寝るときに聞くことが多いのですが、そういうときには「あー、米っちマジ尊い」くらいにしか思いません。

でも、そのぼんやりした中で、例えば「背丈」という言葉がぐっと私を引っ張ったんですよね。一度引っ張られると、そこからなだれを打ってイメージの連想が始まるといいますか、その連想の量がたまり過ぎると苦しくてどこかに放出したくなって、それで文章を書いているのですが・・・。

ちょっとだけ、私事で恐縮ですが、私は長年、広義のサービス業に従事しておりまして、日々考えるのは「お客様」のことです。お客様に満足してもらいたいな、喜んでもらえるといいな、と思っています。

このブログでも、下書きをした後、見直して余分なところはガサガサ削るのですが、その削るか残すかの選択の時に、読んでくださる方が私という素材を面白がってもらえるかどうか、が判断基準になっています。そう考えると、妄想に歯止めをかけずに書ききった方が面白がってもらえるかな・・と思うので、やっぱりもう少し米津愛を語ってみようかなと思うのですが、これでもまだ語り足りないとか言ったらさすがに重いかなって、なぜかココロが弱る昨今なのですが、誰に迷惑かけるわけでもないし、まあいいかな、と思ってはいます。迷い迷い続けてみます。

ともあれ、私が書いた文章を読んでくださる方は、私の大切なお客様です。

仮に名のある方であっても、15才の中学生でも、どちらも私には等しく大事なお客様です。人の魂に貴賤はありません。ここに来たり来なかったり、読んだり読まなかったり、自由に過ごしていただいて、少しでも楽しんでいただければ幸いです。