恋せよ、傷ついたことがないように 「私の名前はキム・サムスン」

ルフレッド・D・スーザというオーストラリアの牧師さんの詩です。

 

 

       Happiness is a journey, not a destination.

  (幸福は旅の過程であり、目的地ではない)

  Dance, as though no one is watching you

  (踊れ、誰も見ていないかのように)

  Love, as though you have never been hurt before

  (恋せよ、傷ついたことがないように)

  Sing, as though no one can hear you

  (歌え、誰も聴いていないかのように)

  Work, as though you don't need the money

  (働け、金が必要でないかのように)

  Live, as though heaven is on earth

  (生きよ、今日が最後の日のように)

 

 

韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」の最終回に出てきます(ネタバレではないですよ)。和訳は字幕から引用しましたが、最後の一行の訳が素敵ですよね。「地上の楽園」と直訳してもいいと思うのですが、「最後の日」の方がこの詩全体の意訳として最高だと思ってました。

ですが、最近ドラマを見直してみると、英文は出てこず、韓国語が「今日が最後の日のように」となっていました。つまり、日本語字幕は韓国語の直訳。てことは、英文から韓国語に訳した方がセンスがあるってこと?と思って、いろいろ検索してみると、元の英文が as if it were your last となってるものもあるらしく、スーザ牧師のオリジナルではないという説もあり?

 

まあ、いいや。ということにしました。

キム・サムスンの最終回にふさわしい詩には違いない、という本筋に話を戻します。

このドラマは2005年放送、最高視聴率50.5%という大ヒット作なのですが、全編詩情にあふれているところが心に沁みるのです。韓国ドラマのいいところはたくさんあるのですが、詩的モノローグが結構多いのもそのひとつで、詩が好きなのは国民性かな?と思います。

 

日本では、詩というものをポエムと揶揄する風潮がなんとなく感じられて、私はちょっともやもやします。たぶん、詩を読んだり書いたりすることを尊重する環境が少ないのだと思います。

私は子供の頃から詩が好きで、田中冬二、山之口獏室生犀星が特に好きです。他にも韃靼海峡のてふてふとか、海にゐるのはあれは人魚ではないとか、今は二月たったそれだけとか、忘れえぬフレーズも多々胸に詰め込まれています。

詩を好きになって読み慣れるにはどうすればいいのかと思っているのなら、ただたくさん詩を読めばいいのですが、なんとなく伝わりにくさを感じます。スポーツ選手が毎日トレーニングをするように、ピアニストが毎日ピアノを弾くように、毎日詩を読むだけです。基礎努力の積み重ねが、応用力と遠い先へ飛ぶ跳躍力を培うという、どこでも誰でもが耳にするであろう普通の話です。

 

私の名前はキム・サムスン」はサントラも素敵です。クラジクワイ・プロジェクトという3人ユニットが手掛けています。それまでの韓国ドラマは泣きの入ったバラードか、もしくはトロット(日本の演歌)風の主題歌が定番だったのですが、キム・サムスンから新しいスタイルに変わったとも言われています。今でも泣きの入った主題歌は健在ですし、それはそれで韓国ドラマの魅力ではありますが、キム・サムスンはいろいろと変革を起こしたドラマなのです。