自由、とは

今年の書き始めはエレカシの「自由」(2018年)です。

 

 

外に出りゃあビルの合間に月浮かび

気にかかる仕事を終えた帰り道

電灯に照らされ若葉おもたげ宵の公園

初夏の風を吸い込む

 

 

空いている真夜中の首都高

明日が休みだって日の前日の夜

電話に久しぶり思いもよらぬ友から気分の良さげな便り

長くかかって1冊の本を読み終えた時

 

 

 

「自由」というタイトルでこの歌詞、おそらく多くの方が「枕草子だ」と気がつくと思います。宮本さんご自身もインタビューでそう意図したとおっしゃっています。

私は「若葉おもたげ」がすごく面白いと思ったというか、この言葉に捕まったという感じです。若葉であれば、明るい緑だったり、昼間の輝きだったりするのが一般的に採用されるイメージだと思うのですが、初夏の月夜の公園でおもたげに揺れる若葉は、仕事で疲れた人の気持ちに寄り添っているのかなと思います。さりげなく歌っているけれど、成熟した視点・感性ですよね。

 

清少納言は、仕事が終わって明るい気分になることや、友からの良い便り、本を読み終える喜びは知っていたと思います。

でも、これらの感情に「自由」という名前があることは知らなかったと思う。千年前の女性の生活は今よりもはるかに制約が多く、それを疑問視すらしにくい社会制度だったと推測できます。漢詩の知識を持った女性が十分に力を発揮するのは難しかっただろうし、一方で和歌の名家に生まれてプレッシャーを感じていた清少納言は「和歌なんて詠みたくない」と思っても、貴族社会の常識として詠まないわけにはいかなかった。サビついたネジがいつも体のどこかにはめ込まれているような気持ちを抱えていたのではないかと思います。

清少納言の生年は966年頃と言われているそうですが、千年後の1966年に生まれた宮本くんが、枕草子に「自由、とは」という項目を書き継いだことで、不自由だと自覚することもままならなかった日常の中にも自由を感じる瞬間は実はあったのだな、と、ちょっとだけ心のなぐさめになったかもしれません。清少納言や当時の女性たちの。

きっと、清少納言はどこからか見ていて、「首都高って何かしら?」と思っていると思いますよ。「千年たっても月は綺麗なのね、よかったわ」とかね。

 

 

 

 

では、また、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

a whole new world

今年はエレカシのことをずっと考えていました。

やっぱり宮本いいヤツだな、好きだな、エレカシの音も好きだな、と思うと同時に、私の人生なぜ今ここで宮本浩次に恋に落ちた??とちょっと気が遠くなりかけてます。なんで私こんなに宮本好き好き状態になったのか、誰か説明してほしい・・・。

ま、それはそれとして、エレカシの音は強いですよね。強くてたくましい。例えて言うなら「なにがなんでも家族の食い扶持を稼いで帰ってくるおとうさん」って感じ。

野音で聴いた30年目のファイティングマンも強くて明るくて、30年演奏し続けるってすごいなあと敬意も自然と湧いてきます。

 

それで、エレカシ三大好きな楽曲のひとつ、ガストロンジャーについて、まだ語っていなかったなと思ったので、今年の締めに書いておきます。

最初に聴いた時、「宮本かっこええー!!」と歌い語る声に痺れました。そして、「これ『港のヨーコ』だな」と思った。「港のヨーコヨコハマヨコスカ」(お若い方は検索してね)。語るんですよね、メロディではなく。

それで、「日本語のラップはこの抑揚の方がいいのでは?」と思ったんですよ。日本語のラップについて考え始めたきっかけがガストロンジャーでした。

そもそも、ラップについて、日本語で歌ってるのになぜ英語の抑揚なの?という純粋な疑問があり、でもこれは私がラップを聴き倒していないので気がついてないことがあるんだろうなあと思ってもいるので、反語的否定的な疑問ではありません。

私は歌舞伎がラップだとも思うんです。日本語の抑揚とリズムで、時事を取り入れるところとか。それから、南京玉すだれとか、寅さんの口上とかも大きくラップにくくってよいのでは、とかつらつら考えてきました。

日本語のラップについては、今のところは箇条書きのようなアイディアの羅列しかできません。が、エレカシの話に戻すと、ガストロンジャーが世に出た時、なんか世間は評価し切れてないよなあ、とファンとしては不満が残ったんですよ。

でも、音楽を仕事にしている方たちは、きっと私よりもいろんなことがわかっているだろうから、私は黙って見守っていればいいよな・・・とも思っていました。

しかしですね、同じ話を繰り返しますが、ボブ・ディランノーベル文学賞を貰った時に「歌詞は文学なのか?」という疑問が世の中にあることを目の当たりにして、これはもう黙っていられんわ!と思いました。そこから?そこから言わないといけないの?エレカシのみならず、ミュージシャンの皆様は本気で歌詞書いてるよね?本気で書いているものを本気で評価するのは当たり前なのではないの?

私は自分の考えが正しいと言いたいのではないです。考えを表明することでささやかでも変化を起こしたいというか(英語でいう make a difference というやつ)。このブログを読んだ方が「こういう歌詞の聴き方もあるんだな」とでも感じてくれたら御の字です。

 

 

 

I can show you the world

一緒に世界を見に行きましょう

Shining, shimmering, splendid

きらきら光る素晴らしい世界

Tell me, PRINCE, now when did

男の子だって

You last let your heart decide?

思い通りにならないことなんていっぱいあるよね

 

 

I can open your eyes

視点を変えればいいの

Take you wonder by wonder

次々に起こる不思議

Over, sideways and under

上下左右もひっくり返って

On a magic carpet ride

まるで魔法のじゅうたんに乗ってるみたいよ

 

 

A whole new world

まったき新しい世界

A new fantastic point of view

こういう見方もあるんだってこと

No one to tell us no or where to go

誰にも否定させない 指図されることもない

Or say we're only dreaming

夢見がちだって言うなら言えば

 

 

A whole new world

こんな世界があることを

A dazzling place I never knew

このまぶしさを僕は知らなかった

But now from way up here, it's crystal clear

でも今はここにいる はっきりとわかる

That now I'm in a whole new world with you

僕は君とこの新しい世界にいるんだってこと

 

 

A whole new world

まったき新しい世界

That's where we'll be

そこがいつかの場所

A thrilling chase

わくわくが続いていく

A wondrous place

素晴らしい場所へ

For you and me

一緒に行きましょう

 

 

 

 

 

この超訳を、愛するエレファントカシマシの皆様に捧げるとともに、「身分違いの恋」のひとつの解答としても書きとどめておきます。ちょっと生意気だけど、ご容赦くださいませ。

 

 

では、また来年!

 

 

「誰かのためになにかをしたいと思えるのが」

今回は漫画について少し語ります。

何かの作品についてではなく、私の漫画に対するスタンスというか、何を考えて漫画を読んできたかを書いておきたいなと思いました。

 

私が10代の頃は、「漫画を読むと頭が悪くなる」と言われていました。「~は子供をダメにする」シリーズが漫画にあたっていた時代ですね。ゲームとかアニメとか、ターゲットが移り変わっていくだけで、どの時代にも無根拠にやり玉にあげられる対象はあるものですが、中高時代の私はこの文言にカッチーンときておりました。

 

私の漫画読書歴を雑誌を軸にたどりますと、小学校中学年の頃に「りぼん」、中学では購読誌はなく、高校から20代まで「LaLa」「プチフラワー(現flowers)」。高校生の時は「グレープフルーツ」も買ってました。漫画読みの方にはこれでだいたい私の好みをお察しいただけると思います。

「マーガレット」「少女コミック」「少女フレンド」は買ってはいなかったのですが、学校で回し読みしたり、単行本を貸し借りしあったりしていました。

少年漫画は、小学生の頃に流行った「マカロニほうれん荘」と「ストップ!!ひばりくん!」、それから、中学生の時に歯医者さんでちょっとだけ読んだジャンプくらいです。

萩尾望都との出会いは小6、12才の時、クラスメートから「ポーの一族」と「トーマの心臓」を借りて一気に読みました。5月か6月の緑の明るい雨の日に、貸してくれた友達に「面白かった」と感想を言ったのを覚えてます。

 

私が少女漫画を好きなのは、言葉が歌っているからです。描線の魅力は、少女漫画や少年漫画といったジャンルには関係なく好きですが、言葉は少女漫画が一番好きです。言葉使いそのものだけでなく、画面の中の文字の配置が言葉をより膨らませていて、言葉が持つイメージが胸いっぱいに広がって歌うように感じます。

 

そんなことを考えながら私は本気で読んでいたのですが、大人は「漫画を読むと頭が悪くなる」と言うわけですよ。そこで「じゃあ、ちょっと勉強頑張ろう」と思ったんですね。大人が言っている「頭がいい・悪い」は「勉強ができる・できない」程度の意味しかなかろうと思い、だったら、私が多少なりとも勉強ができる子供になることで、漫画を読んだからといって頭が悪くなることなどないと身をもって証明してやる、私の好きな漫画を絶対に否定させない、と思い込んだのですよ。いや、ほんと、思い込みでしかないですが、子供の私は心底怒っておりました。

何が言いたいかというと、私は自分の持てる力は自分の好きなものを守るために使いたい、そのための力をつけたい、とずっと思ってきたのです。その対象が漫画であり、私が一番取りかかりやすかったのが学校の勉強だったというだけです。

そんな子供の思い込みも、大人になってみるとどうでもよかったなと思ったのですが、「自分の力を誰かの何かのために使いたい」という性格の軸は、サービス業に就いて結実したように感じます。仕事を始めてほどなくして気がついたのですが、私はひがな一日机に座っていると鬱屈してしまいます。お客様の生気を浴びながら働いていると自分も生き生きしてくるのを感じます。

最近の流行り言葉(だと私は思っている)承認欲求というのがありますが、私の場合、私が承認されたいのではなく、私が承認したいのですよ。人と接する仕事をしていると、人はひとりひとり違う。それぞれに考え方と行動指針があって、要求も違う。人間は面白い。その人のいいところを私は探し出して伝えたい。あなたはこんなに素敵ですよ、と。

言い方を変えると、愛されるよりも愛したい、あるいは、私たちは殿方に選ばれるのではなく、私たちが殿方を選ぶのです(by 環「はいからさんが通る」)。

 

時代が変わって、漫画もさほど否定されなくなりました。若い漫画家さんが単行本のあとがきなどで「母親にアシスタントをしてもらった」「漫画家になることを両親も応援してくれた」というコメントを書いているのを見ると隔世の感があります。

自分が大人になった今、ちょっとだけ肩の力が抜けて、好きな漫画はただ好きだと言うだけでいいのかもなと思っています。「あさきゆめみし」で葵上が

「人を愛したら どうやってそれを伝えたらいいのか

愛にことばなどいらないのだ

愛したら ただやさしくほほえむだけでいい」

それだけのことがいまやっとわかった、と気がつくところにちょっと似てます。

 

かくも長く深く熱い私の漫画愛。これでもかなり抑えていると言ったらドン引きされるかもしれませんが、漫画については今後もぼちぼち書いていきたいなと思っております。

 

 

 

 

 

今年中にもう一回くらい更新したいのですが、仕事が忙しくてへとへと&くたくたなので、更新できなかったときのために、先にご挨拶をしておきます。

初めての方も、もしかしたら継続して足を運んでくださっている方も、お読みいただきましてありがとうございます。

前にも書きましたが、私の書いたものを読んでくださる方は、おひとりおひとりが私の大切なお客様です。老若男女、有名無名に関係はありません。私の心からの感謝が伝わりますように。来年もここでお待ちしておりますね。

 

では、また。よいお年を。

 

 

 

私の胸に流れる星は

BUMP OF CHICKEN「流れ星の正体」の感想です。大丈夫です。今回は怖いことは言いません(前回ちょっと怖いこと言ったという自覚はある)。ご安心くださいね。

 

この曲はYouTubeの藤原さんの弾き語りで最初に聴きました。画面にずっと手書きの歌詞が出ていて、ファンの方が「藤原フォント」と呼んでいる字を見て、ああ、この人も字も絵だと知っているんだなと思っていました。

 

 

誰かの胸の夜の空に 伝えたい気持ちが生まれたら

生まれた証の尾を引いて 伝えたい誰かの空へ向かう

 

 

歌い出しで「流れ星の正体」の定義がなされるわけですが、この想念はとても美しいですね。この二行の一語一語が胸に染みます。

 

 

時間と距離を飛び越えて 君のその手からここまで来た

紙に書かれた文字の言葉は 音を立てないで響く声

そうやって呼んでくれただろう 見上げればちゃんと聴こえたよ

僕の上にも届いたように 君の空まで届いてほしい

 

 

この中の「紙に書かれた文字の言葉は 音を立てないで響く声」が、私が文字に対して思っていることそのものです。この歌の中では、君の声は聴こえているよ、自分のところに届いているよ、という文脈だとは思いますが、書かれた文字にも音があるということを知っているかどうかは、文章を書く上でとても大切なことだと思うんです。

「あ」という字を見た時に、頭の中では「a」という音が鳴っている。黙読であっても、その文字の音律は頭の中で響いていて、文字は視覚と聴覚を併せ持っている。そのことを、これ以上はないくらい的確に表現しているフレーズだと思います。

 

 

変わらないで変われなくて ずっと それでも続いている

ゴールなんて決められないだけで なんなら 今でも

 

 

ここの「ずっと」「なんなら」「今でも」の間合いが詩としてすごく好きで、深い意味がある言葉ではなく、美辞麗句でもない、日常的な平坦な言葉なのに、リズムが耳に残るんですよ。藤原さんはどういう抑揚で話すのか知らないのですが、この詩のような間合いでしょうか。それともまったく違う?

この独特の言葉のリズムは「話がしたいよ」でも強く感じます。

 

 

今までのなんだかんだとか これからがどうとか

心からどうでもいいんだ そんな事は

 

いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも いや 言い過ぎだけど

そう言ってやりたいんだ 大丈夫 分かっている

 

 

ここは歌いながら話してますよね。これを日本語のラップと言ってはダメなのでしょうか。日本語で歌うのであれば、日本語の抑揚で歌う方が、言葉がより伝わると私は思っていて、藤原さんの言葉のリズムは日本語の抑揚と呼吸の自然な流れになっていて、BUMP OF CHICKENの歌が多くの人々の心に届いて愛されている理由のひとつだと思うのですが、どうでしょうか?

 

 

 

BUMP OF CHICKENのライブはどんななのかなとも思って、ちょうどツアー中だったので、ツイッターでファンの方々のライブレポをずっと読んでました。

11月4日、東京ドームでのツアー最終日、アンコール2曲を終えたところで、藤原さんだけステージに残り話をしていたところ、「話すよりも歌う」と言って、予定外の曲を歌い始めたのでメンバー3人がステージに戻ってきて徐々に演奏に加わった、という理解で事実関係よろしいでしょうか。

これ、楽しい!!!私、予定外、想定外、ハプニングが大好きなので、ライブレポだけでもすんごいワクワクしました。

私好みの展開としては、綺麗にきちんと演奏してほしくない。ずれたり外れたり忘れたり、なにがしかの破綻がある方が絶対いい。その方が、これはCDでもなく、ipodでもなく、生きた4人が今ここでやっているんだ、と実感できるから。

それと、誰から始めてもいいですよね。「俺は今これがやりたいんだ!!」って曲を4人がそれぞれやると面白いのでは。更に言うと、いろんなバンドにこれやってほしい。YouTubeとかで公開してほしい。バンドの個性と力量が試されるけど、ライブ本来の面白さが味わえると思う。

藤原さんはライブでは歌詞も変えるそうですが、「インプロビゼーション(即興)」のセンスが強いのではないでしょうか。その日その時、同じ空間にいる人たちの生気とか空気を感じ取って歌詞を変えたり、予定外に歌ったりしてらっしゃるのでは。それをドームでやるところが大物ですよね。もっとやれ、と個人的には思います。

 

 

 

では、また。

 

 

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の

一人を決めるってどんな感じ?

一人を決めるってどうやって?

結局、私にはわからないままだった

決められないまま

ここまで来た

 

 

さて、山下彩花はアラフォーになりました。

ひとりで働いて、ひとりで食って生きています。それでも、結構ご機嫌です。そもそも彩花は年中ご機嫌ではあります。子供の頃から今に至るまで。

今日は日曜日ですが、元同僚のお嬢さんのピアノの発表会にお呼ばれです。区民会館の小ホールで開演を待っています。

「ミキちゃん、6才で初舞台かあ。すごいねえ」

「なんかもう、私の方がドキドキしてるよ」

「大丈夫よ、ミキちゃん、物怖じしないでしょ」

「そうだといいんだけど」

先生が舞台に出てきて挨拶が終わると、最初に幼稚園くらいの女の子が母親に連れられて登壇した。イスに座らせてもらって、たどたどしく指を動かし始めた。

なんの曲だろう、と彩花は自然と笑顔になっていた。プログラムをちゃんと見ておけばよかったな、小さい子って可愛いな。人間って、生まれて数年でピアノが弾けるようになるのか。すごいな。

緊張してなかなか弾き始めない子供もいれば、叩きつけるようになぐり弾きをして鼻息荒く袖に戻る子供もいる。やがて、ミキちゃんの出番になった。母親はビデオを撮り始めた。

「人形の夢と目覚め」。出だしは鍵盤を押さえるのに一生懸命という感じだったが、だんだん緊張がほどけてきたらしい。後半、若干テンポが速くなったけれど、音が歌ってるな、と彩花は思った。

「ミキちゃん、よかったね。楽しんでたよね」

「うん・・うん・・・楽屋行ってくるね」

母親は涙ぐんで席を立った。彩花はひとり残った。結構、席が埋まってるんだな、200席くらい?お花は後で渡そう。足元の紙袋に目を落とした。小振りのブーケが入っている。

だんだんと演奏者の年齢が上がっていく。高校生の女の子が終わったかと思ったら、その次に出てきたのは、どう見ても中年男性だった。これから出勤ですかというような濃いグレイのスーツを着ている。ゆっくりとピアノに近づくと、客席に一礼して座った。深呼吸。鍵盤に指を乗せかけたが降ろして、もう一度、深呼吸。観客はそこはかとない面白味を感じて見守っていた。

静かに弾き始めたのはモーツアルトソナタだった。・・・これ、あたしも弾いたな、リサ先生のところに通ってるときに。リサ先生のピアノ教室はアットホームで、こんな盛大な発表会はなかったけど、いつものお稽古部屋を開放して、家族だけ呼んで、小さな演奏会をしたことがあったよね。あたしは結構気楽に参加してたけど、あの時も今日みたいに丁寧に慎重に、とても大事に弾いてたよね、佐藤諒太くん。

佐藤くんだよね、と彩花は目をキラキラさせて、声が出そうになるのを抑えるのに必死だった。

まだ弾いてたんだ、続けてたんだね。この曲、好きなんだね、わかるよ、聴いてる人みんな感じてるよ、好きな曲を大切に大切に弾いてるんだなって。

弾き終わって、両手を一旦ひざに置いた。深呼吸。ふと天を仰ぐ。そしてまた深呼吸。ようやく立ち上がって、客席にお辞儀をすると、一気に拍手が鳴った。照れたように会釈をしながらはけていった。

彩花は唇をきゅっと結んだ。それでも、あふれ出る喜びは彩花の全身にからみついて離れなかった。

「ごめんね、着替えさせてたら遅くなっちゃった。最後にみんなで合唱するから衣装替えするのよ」

「かのっち、ちょっとあたし、楽屋に行ってくる」

「ええ?」

元同僚の加納さんは、立ち上がった彩花があごを引いて腰に両手を当てた姿を見て、あれっと思った。久しぶりに山下の戦闘態勢を見た。仕事の時はいつもだったけど。何?

「あのう、佐藤さん、いらっしゃいますか?」

ドアを開けると、中は人でいっぱいで、誰が出入りしようが気に留める人などいないようだった。

「あ、山下さーん!」

声をかけたのはミキちゃんだった。

「ミキちゃん、よかったよー!カッコよかった!」

「ほんと?ちょっとね、緊張しちゃった」

「んーん、とっても素敵だった。最後は楽しかったでしょ」

「うん、だんだん、なんか、のってきたの」

ふたりできゃっきゃとはしゃいでいると、

「山下さん?」

と声をかけられた。彩花は笑顔を向けた。

「佐藤くん、久しぶり。元気だった?」

「あ、うん、まあ、元気。あの、山し、えっと、山下・・・」

「彩花です。えっ、忘れちゃったの・・・?」

「いや、そうじゃなくて、その、名前・・・」

「山下さんは山下さんだよ」

ミキちゃんがふたりの間に入って見上げて言った。

「そ、そうか。ありがとう。えっと、山下さんはどうしてここに」

「ミキちゃんと知り合いなんだよねー」

「うん。山下さんとお友達です」

「ミキママがあたしの元同僚なの」

「そうなんだ。そうか」

「ねえねえ、連絡先教えて。ご飯でも食べに行こうよ」

「・・・うん、いいよ」

佐藤くんはようやく笑った。相変わらずだね、とスマホを出した。

「今日は最後まで見ていくね。連絡する。またね!」

彩花はそう言って楽屋を出た。嬉しくて顔がほころぶのを抑えきれなくて、周りに誰もいなくてよかったと思った。

 

翌月曜にはLINEで今度の日曜の約束を取りつけたのだが、週末まで彩花は毎日なにかとメッセージを送った。たわいもない話題ばかりで、今日は雨で頭痛がしたとか、電車が遅延して大変だったとか、時候の挨拶に近いものばかり。向こうからも同様に、今日は残業だったから返事が遅くなってゴメンとか、明日は早いからもう寝るね、とか、

(なんか高校生の頃とノリが変わらないなあ・・・)

と彩花はひとりで笑って過ごした。

日曜日は、お昼にちょっと大きな公園で待ち合わせた。フリーマーケットの日で、食べ物の屋台とブックフリマが目当てだと彩花が提案した。

「いい天気だね。秋晴れだね」

「うん、暑いくらいだよね。あたしたちが学生の頃って、10月にはセーターと上着きてなかった?」

「そうだっけ」

「あたし暑いの弱いからよく覚えてる。上着の季節でうれしいなって。あ、ドイツ屋台のソーセージ、ブルストって言うんだっけ、最初ここでいい?」

「いいよ。山下さん、お酒飲む?」

「うー、ちょっとだけなら」

「僕もちょっとだけ。ビールが美味しそうだね」

そういえば、お酒を飲めるようになるまでつきあわなかったんだな、と彩花は思い出した。ちょっとだけって、この年になったから、ちょっとしか飲めなくなったんだけどな、と思いながら、久しぶりのビールを用心してひとくち飲んだ。

「ねえ、ピアノはずっと習ってたの?」

「まあ、飛び飛びだけど。仕事が忙しかった時は、30前後くらいかな、数年、休んでたよ。でも、なんとなく好きで、続けたいっていうか、辞めたくなかったって感じかな」

「すごいねえ。あたしなんかもう指動かないよ。大学受験の時に辞めてそのままだから」

軽い腹ごしらえが終わると、ブックコーナーに行った。数台のテーブルの上に並べられた本に小さなカードがついていて、本を売りに出した人のコメントが書かれている。

「子供の頃の愛読書でした。冒険物が読みたい方にお薦めします」「静かな夜に読むといいですよ。できればペットと寄り添って読んでみてください」など、その本への思い入れが語られている。

「あたしね、毎年、このコメントを読みに来てるの。1、2冊は買うけど」

佐藤くんも気に入ったらしく、黙って何冊か手に取ってみている。彩花は誘ってよかった、と思った。

それから、クラフトワークのコーナーに行って、トンボ玉を売っている女性から彩花はブルーの小鳥の根付を買った。

「可愛いねえ。ホームページもあるんだって。通販もできるって」

にこにこして佐藤くんに話しかけながら、ふと

(私たち、ずっとこうやってなかった?)

と思った。

(僕たち、ずっと一緒に過ごしてこなかった?)

と佐藤くんの目が語っていた。

「あのさ、はっきりさせておきたいんだけど」

佐藤くんは今度は声に出して言った。

「僕、また、かけもちされてるの?」

「・・・あっ!してない!してないよ!」

「そう。それならいいんだ」

「忘れてた。そういえば、そうでした」

「よく忘れられるね。僕はあんなことされたのは後にも先にも山下さんだけだったから忘れられなかったよ」

「だって、もう20年以上も経ってるし、大人になったらしないようにしたし」

「しないようにした」

「あたしは・・・友達が欲しかっただけなんだけど、他の人はそうじゃないってわかったから」

「うん。今ならわかるよ。わかりにくかったけど、君は面白がりなんだよ」

彩花は不思議そうな顔で佐藤くんを見た。

「世の中が好きだろう?人も物もなんでも楽しく思うだろう?大人になって、君みたいな人に何人か出会った。上司にもいてね、その人が自分のことを面白がりって言ったんだよ。それで、山下さんのことをようやく理解できた」

彩花はふふっと笑った。

「なんで笑うの」

「相変わらず、きっちり考えて話を詰めるなあと思って」

「まあね」

「会社で後輩に怖がられてない?」

「会社はまあ、そうでもないんだけど、実はそれが原因で破談になったことがある」

「えっ・・・ええー!!破談!!??なにそれ、なに!?」

「ほら、面白がってるだろ」

「うっ、いや、その、確かに、ちょっと聞きたいかも・・・」

「なんでそんな目キラキラなんだよ」

「ごめん、でも、すごい経験したねえ」

「したくはなかったけどね」

「その人とは縁がなかったんだよ。いろんな人に言われただろうけど」

「うん。たくさんの人に言われた」

「人とも物とも、仕事もご縁だものね」

ふと、沈黙が訪れた。どちらからともなく見つめあった。お互いがお互いを映していた。相手の呼吸が聞こえた。鼓動が手に取るようにわかった。相手の体が自分のようであり、自分は相手のものなのだと知った。

彩花が手を差し出すと、佐藤くんはしっかりと握り返して、ふ、とため息をついた。

「どうしたの」

彩花が笑顔で聞くと

「長かったな、と思って」

何が?とは聞かなかった。

 

 

 

孤独はさほど私を苛みはしなかった

世の中は美しく

不承不承ながらも楽しまずにはいられない

そんな感じ

ひとりだけを愛することは

私には愛情の暴発

ひとりのひとに愛を捧げることは

この身の重さを知ること

幼く怖がる心では

受け入れることも与えることも叶わなかった

 

離さないで この手を

離さないで 私のまごころを

ようやくたどりついたのだから

ほんとうに長い時間がかかって

私は一番を知ったのだから

 

あたたかな明るい雨の日に

遠く沈んだ夜の闇に

ただひとりのひとを思う喜びが私を包む

ただひとりのあなたが私とともにいる

今のこのふたりの永遠が

できるだけ長く続きますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。このお話は、宮本浩次さんの「Do you remember?」と「If I Fell」(ビートルズのカバー)を聴き込んでいくうちに私の中から出てきました。としか言いようがないのですが、もうちょっと説明しておくと、これらの歌に感応して得たイメージを少女漫画フィルターに通して、私好みのロマンチックでラブラブで、ほんの少しイカレたニュアンスに仕上げてみました。

意図的にイカレたイメージを創出しているだけで、私はごく冷静に客観的に思考しておりますのでご安心ください。何度でも言いますが、これは創作ですし、宮本様をこのような男性だと思っているわけでも、私自身を投影しているわけでもありません。ただのファンが作品を称えているだけですよ。あなたの作品からこれだけのインスピレーションを得ることができました、ありがとう、というお礼です。

 

今年、エレカシを聴き返して聴き込んでいく中で「あれ・・?私、宮本くんが一番好きかも・・・?」と気がついたのですが、ミュージシャンでも役者さんでも、特定のひとりのファンを公言したことはなかったんですよ。どの個性も才能も素晴らしいので、ひとりに決める必要はまったく感じていませんでした。

でも、そもそも宮本くんの声が好きだからエレカシを好きになったんだよなと思い出し、歌声も好きだけど、話す声と抑揚も好き。「東京の下町の落語好きのオヤジ」って感じの抑揚ですよね。私が学生時代に家庭教師をしていたおうちのお母さんがこの話し方で、とても東京っぽいなーいいなーと思ってました。

それで、宮本くんは顔も可愛いし、全体的に美人のニュアンスがあるし、この女性性の高さもとても好みです。誤解のないように言っておくと、女の子のようだと言っているわけではないんですよ。世の中には、女性性の高い男性に、男性としての魅力を感じる女性がいるんです。男性として好きなんだけれども、女性性という自分が見知ったものがあることで肌なじみがよいというか(比喩ですよ)。

それに、歌詞が一番好き。宮本くんの言葉が一番気持ちがいい。と、ここまで考えて、あれっ?一番好きって思ってるな?と自覚したんです。このニュアンスも今回の創作には込めてみました。

宮本くんを一番好きだと思うことで、他にも「遠い星に恋をするってこんな感じなのか」というのと「身分違いの恋ってこんな感じか」というインスピレーションも得たのですが、ちょっと悲しい話になりそう・・・と思ったので今は寝かせてます。いつかお話にするかもしれないし、しないかもしれません。

 

うーん。宮本好き好き言い過ぎですかね。でも、今、日本は災害期なので、いつ誰がどうなるかわからないし、言える時に言っておきたいんですよ。一番好きだし、こんなにも長い間、ファンである私に好きでいさせてくれて感謝してます、これからも好きですよ、とね。

 

 

 

では、また。

 

 

米津ワールドの女の子 その3

米津玄師「でしょましょ」の感想です。

久しぶりに歌詞の中に女の子がいる!と思って小躍りしました。

 

 

 

如何でしょ あたしのダンスダンスダンス

ねえどうでしょ? それなりでしょ?

一人きり 見よう見まねで憶えたよ 凄いでしょ?

 

異常な世界で凡に生きるのがとても難しい

令月にして風和らぎ まあまあ踊りましょ

るるらったったったった

 

獣道 ボロ車でゴーゴーゴー ねえどうしよ? ここどこでしょ?

ハンドルを手放してもういっちょ アクセルを踏み込もう

 

 

 

「異常な世界で凡に生きるのがとても難しい」、このフレーズから萩尾望都の「あそび玉」を思い出しました。超能力者が排除される管理社会、能力に目覚めた主人公の男の子がひとりの若い女性と出会います。同じ能力者のその女性は、自分の力を隠して「異常な世界で凡に生き」ているのです。

 

この歌は、擬音語が多くて肩の力が抜けた感がありますが、この一行が入ることで世界の複雑さが加わって、歌に奥行が出るんですね。

そして、「ハンドルを手放して」「アクセルを踏み込もう」と言うくらいには、この女の子は元気で強い。世界がおかしくったって、あたしは生きていくの。生きてると嫌なことだってたくさんあるけど、そんなこと死ぬ理由にはならない。ここがどこだかわからないときもあるけど、どこだっていいの、どこでもあたしは踊って歌って、ここをあたしの生きる場所に変えるだけ。

米津さんの描く女の子はとても魅力的で、やっぱり友達になりたいなと思います。

 

それから、「凡に生きる」という表現も効いていますね。意味だけなら「平凡に生きる」でいいところだと思いますが、「凡」の方がリズムに乗る。やっぱり米津は手練れだなと思います。

 

「海の幽霊」の歌詞には「離れ離れても」とありますが、「はなれ『ば』なれても」と歌ってますよね。これ、ネットで歌詞を検索すると、「はなれはなれても」とか「はなればなれでも」と表記しているサイトもあって、情報にゆらぎがあるのも面白いなと思ってます。

普通は「はなれ、はなれても」と繰り返しているのだと思いますよね。でも、ここでは「はなればなれる」と動詞化してるのだと思います。

こういうことをしれっとするセンスの高さは米津さんの資質だと思いますが、センスの由来は、漫画のネイティブだからかなと考えています。コミック・ネイティブ。漫画を読むのも描くのも普通の世代。

漫画での言語表現の特徴は、「字も絵」「活字と手書きの組み合わせ」「品詞や語形変化の自由さ」というところかなと思っています。米津さんは、漫画を読む中で身につけてきた感覚を元に、「このくらいはやってもいい」という新しい基準を思い切りよく実行しているのではないでしょうか。

 

 

米津さんの曲は全部追いかけてますよ。「馬と鹿」もいいですね。「これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった」という感情を振り切ったフレーズがとてもいい。曲調が凱旋のパレードという感じで、華やかな大舞台のイメージ。やっぱり「グランドロマン」という言葉が似合うなと思います。

 

 

では、またね。

 

 

パク・ユチョン「Sotsugyou」

パク・ユチョンのアルバム「Slow Dance」(2019年)の中に「Sotsugyou」が収録されています。尾崎豊「卒業」の韓国語カバーです。

私は20代の頃、尾崎豊のファンではありませんでした。その饒舌な歌詞があまり好みではないからです。ヒット曲以外は知らないし、でも、特に嫌いというほどのこともなく、熱狂的な支持を得ている方なんだな、くらいの認識でした。

30代の頃、ふと「15の夜」を耳にしたのですが、その時、「あ、キレイなメロディだったんだな」と気がつきました。私はこの良さがわからなかったんだな、とも思いました。だからといってファンになったわけではありません。とにかく歌詞がしゃべりすぎだからです。これは好みの問題なのでしょうがありません。

今年になって、ユチョンのアルバムで「Sotsugyou」を聞いた時、韓国語なので歌詞が遠くにしか感じられず、やはりメロディはキレイだな、とだけ思いました。

ユチョンはなんでカバーしたのだろうと思ってインタビューを読んでみました。

 

(以下、【独占取材】元東方神起 JYJユチョン 尾崎豊の「卒業」に心震えた理由 

https://news.yahoo.co.jp/byline/kuwahatayuka/20190313-00118091/ より引用)

 

「『卒業』は、すごく難しい曲です。聴いたときは気づかなかったのですが、歌ったら死ぬかと思いました(笑)。6分40秒ぐらいあるんです。尾崎豊さんのライブ映像を何度も見たのですが、ラクに歌ってるんですよね。僕には無理です(笑)。歌詞も多くてラップみたい。聴くのと歌うのでは違いますね。

……でも、個人的にすごく共感しました。歌詞に。今回のアルバムの中で一番歌詞が胸に迫る曲です。本当に。僕は、韓国語で歌っていますが、日本語の意味をできるだけそのまま翻訳した歌詞なんです。すごく共感しました。」

 

「学校に通っていた頃を思い出します。学生時代だからこそ感じる、独特の意地があるじゃないですか。それがすごくよく表現されていて。

卒業してから大学に行ったり、仕事をしたりすることに対する不安な気持ちなど、心を打つ歌詞がちりばめられているんですよね。この曲から、ステージに立つ力をもらいました。

歌いながら癒される曲というのがあります。この曲がまさにそうです。『大丈夫だよ』って。そう言われているような気持になるんです。 」

 

 

このインタビューの中の「ラップみたい」の一言で、私の長年のもやもやが一気に晴れました。尾崎豊はラップ。私が個人的に「饒舌な歌詞」と呼んでいたものは、ラップという見方があったのか。なるほど。

私は、まだラップの歌詞というものを測りかねているんですよ。k-popでしかラップをちゃんと聞いたことがなく、英米のものはほとんど知りません。まずは聴き倒して経験値を積むしかないとは思うのですが、無理やり聞いても楽しくないので、まあ、聞きたくなった時に聞くか、くらいで現在に至ります。

なので、これはざくっとした直観でしかないのですが、尾崎豊が支持を得たのは、やはり日本語が映えていたから。日本語の抑揚で語り歌ったことによって、歌の内容をよりリアルに日本語話者に伝えることができた。

ユチョンは、今の世の中の空気の中で「卒業」を聞き、「これはラップだ」という受け止め方をした。通訳なしでインタビューができるほど日本語が流暢なユチョンは、日本語の抑揚の美点も感じとっていたのではないか。

 

k-popをご存知ない方のために少し説明しますと、パク・ユチョンは、元東方神起で元JYJ、ドラマにもよく出ています。が、現在は事務所との契約を解除され、事実上の引退状態。麻薬類管理法違反のためです。やってはいけないことをやってはダメですよね。でも、この感性と歌声と演技力が今後ずっと眠ったままなのかと思うと、胸がふたがれる思いです。

ユチョンにはありがとうと言いたいです。ヒントをくれてありがとう。歌もドラマも楽しませてもらった。どんなあなたでも私がファンであることには変わりはない。いつか韓国社会に許されてステージに戻れる日が来ることを祈ってます。