「今は二月たつたそれだけ」

今日は詩について語ります。

そもそも、詩とどうやって出会ったかというと、たいへんに物理的で即物的で味気ないのですが、小6の時に中学受験の塾に行きまして、そこでポケットサイズの詩集を2冊もらったのです。なぜ塾で詩集を配布したかというと、志望校が毎年、詩を出題していたからです。まったく無味乾燥な出会いです。

が、その小さな詩集の中にいたのです。田中冬二、山之口獏室生犀星高村光太郎立原道造、山村慕鳥、三好達治大手拓次谷川俊太郎といった面々が。私はすぐさま、この美しい言葉の湖に深く沈みこんでいきました。黙々とくり返し読んで、静かに吸収していった感があります。

それから、偕成社のえんじ色のカバーの子供向け文学全集の中の「愛の詩集」といういろんな詩が入っている本を買ってもらって、また黙々と読みました。

当時、大きな市立図書館に歩いていける距離に住んでいて、小4くらいから長方形のお稽古バッグを持ってひとりで通っていましたが、小説しか読んでいなかったところに詩も加わり、読みたいだけ読んで借りたいだけ借りて、たいへん幸せな時間を過ごしました。

志望校の中学に無事受かると、受験で訓練的に詩を読まされて詩を好きになった生徒が多かったのか、朝の校内放送で詩の朗読が流れたりしました。今でも覚えているのは、2月に入って女子の先輩が読んだ、立原道造の「浅き春に寄せて」です。「今は二月たつたそれだけ」で始まる詩。2月になるたび、この詩と共に、木造の寒い校舎と静かに聞き入るクラスメートの背中を思い出します。

小6で詩と出会ってから、大学進学で東京に来るまで、ほぼ毎晩、寝る前には何か詩を読みました。この中高時代に詩を読む習慣を身につけ、量的な経験値を積んだのだと振り返って思いました。

では、質はというと、こちらも明確な出会いがありまして、中3の時に「詩のこころ 美のかたち」という本を読みました。杉山平一著。本屋さんでタイトルに魅かれて買ったのですが、この本が私に詩の読み方を指南してくれました。この本が無ければ、私はなんとなく雰囲気でしか詩を読めなかったと思います。そらもうくり返しくり返し読みました。

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」が歌として生き残っているのは、母音のオ音の連続が生み出すリズムに寄るとか、人の感情には知っているものを反復する喜びがあること(「待ってました!」がこれに当たる)など、書かれていることのすべてが興味深く面白く、しみじみと味わうように読み尽くしました。この本は今は絶版ですが、杉山平一さんの本は他にもありますので、詩に興味がおありの方には是非お勧めしたいです。

あと、もうひとつ、中3か高1くらいだったと思いますが、ある日の夕飯の後、父と私だけまだ食卓にいてテレビを見ていたんですね。音楽番組。サザンが歌っていて歌詞が画面に出ていました。曲が終わる頃、ぐでんぐでんに酔っぱらっていたはずの父が一言「この人は青春というものをよくわかっとるな」と言いました。

えっ、お父さん、酔っぱらってたんじゃなかったの!?と驚いたんですよ。サザンのどの曲だったかは覚えていません。あまたあるヒット曲のどれかだと思います。サザンもデビューして数年の若手の時代で、父から見ると新世代の歌だったと思うのですが、酩酊しながらも歌を聞いていたことと、聞き終わってすぐ感想を口にした反射神経にビックリしたのだと思います。歌詞を味わうことについて、この時の父との思い出は切り離せないです。

言葉に興味を持つこと、言葉を美しいと思うこと、古いものも新しいものも等しく深く味わい、丁寧に敬意をもって言葉に接すること。

これらが私が子供時代に得た、生きていく上での動力です。

それから、大学に入ってライブにも行くようになって、バンドブームもあり、私は日本語のロックを集中して聴くようになりました。いろんなミュージシャンのいろんな歌詞を聴き込んで読み込んでいくことは楽しかったです。古来の詩人たちと同様、どの方の言葉にも個性があって美しく、それは子供の頃からの詩に対する興味の延長線上のものでした。歌詞について感想を書いたりイメージを膨らませたりすることは、私の中では詩読の応用編という感じです。

詩との出会いについて振り返ると、ある程度の教育の強制の有効性は否定できないなと思います。強制的に詩を読まされなければ、自分では見つけ出せなかっただろうし、詩との出会いは遅れたか、最悪、訪れなかったかもしれません。

翻って言えば、強制されなかったために、私には知らない、わからないことが世の中にはたくさんあるのだろうな、と謙虚にもなれるのです。

 

最後に英文で終わります。これも、強制的に読まざるをえなかった本の中で出会った一節です。

 

The habit of reading poetry should be acquired when people are young.

What we acquire and learn to love when we are young stands by us through life.

It has been difficult in all ages for people who are past middle life to appreciate the genius of new poets who have arisen in their lifetime.

「詩を読む習慣は若いころに身につけるべきである。

若いときに身につけ愛するようになったことは生涯を通じて身を助けてくれる。

人生の半ばを過ぎた人々には、自分たちが生まれてから新しく世に現れた詩人のすぐれた才能を鑑賞することが、いつの時代においてもつねに困難なことであった」

 

「基礎 英文問題精講」(旺文社)より英文も訳文も引用しました。

 

では、また。

 

 

夏目漱石「琴のそら音」

今回は、好きな小説のお話です。
夏目漱石の「琴のそら音」という短編小説をご存知でしょうか。1905年、「吾輩は猫である」と同年に発表されてます。漱石がまだ文豪でもなんでもなかった時期ですね。
主人公は、大学を出たての男性で、東京の一軒家に婆やと一緒に住んでいる。この婆やは婚約者の家の紹介。大学時代の友人の津田という学者のところを訪ねた時に、幽霊話というか死にまつわる不思議な話を聞くところから話は始まります。
ネタバレはしたくないので、これ以上のあらすじは控えますが、私の感想は「金之助くんて鏡子ちゃんのことホントに好きなんだね。ふーん。結婚できてよかったねえ」という感じです。ラブコメで少女漫画なんですよ、「琴のそら音」って。漱石先生、全力でふざけたわね、と私は思ってます。
鏡子夫人は悪妻扱いされていましたが、「琴のそら音」と「吾猫」を読むと、鏡子大好き&うちの子可愛いとしか言ってないと思うんですよ。漱石を崇拝するインテリ男性たちが鏡子さんに嫉妬して悪妻に仕立てたとしか思えません。自分たちの方が漱石の思想や小説を理解していると自負してみても、鏡子さんのように漱石に愛されて漱石の子供を産むことはできないじゃないですか。悔しさのあまり鏡子さんを悪く言うことでマウント取ったというか、パワハラの一種ですよね。インテリで社会的地位も発言力もある側から、社会に対して意見を発表する場のない人間に対する封じ込めですよ。
原典である小説を読んだら、漱石の鏡子愛がダダ漏れてるのがわかるのに、世の中は「悪妻だ」という風評を鵜呑みにしがちなのですね。
私がこういう解釈をするようになったのは成人してからです。漱石を初めて読んだのは小3の時、「吾猫」が、人生初の「何かにぐっと引っ張られたような体験」でした。書かれていることなど理解はできなかったのですが、本の中に引き込まれた感じを覚えています。そして、漠然と「これが日本語なんだな」と思いました。ここから私の言葉に対する興味やこだわりが始まりました。私の日本語の基準は今でも夏目漱石に置いています。
中学生くらいまでは純粋に漱石はすごいと思っていて、「私の個人主義」とか好きでした。でも、自分が大人になるにつれて、鏡子夫人を当てている女性と、そうではないだろうマドンナとか美禰子とでは、鏡子夫人の方が生き生きしているなと思うようになりました。
「道草」の一節。
「単に夫という名前が付いているからというだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分には出来ない。もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質を有った人間になって自分の前に出て来るが好い。夫という肩書などはなくっても構わないから」
主人公の細君がこんなにキツいことをハキハキ言ったわけではなく、主人公が細君という人物をこう見ているという描写ですが、大抵の男性は自信喪失しそうな考え方ですよね。でも、主人公はこの考え方をよく理解している。細君とは歯車が噛み合わない描写がほとんどにも関わらず。つまり、漱石はこういう考え方をする女性、すなわち鏡子夫人の個人としての人格を面白いと思い、誇らしくもあったのだろうと推察します。
「道草」では主人公と細君の会話の文体も多いですが、噛み合わなさも含めてテンポがいいなと思いますし、お似合いのカップルが生み出すテンポだよなとも思います。諍いやお互いの欠点も含めてどこか深く手をつないでいるふたり。漱石先生さすがだなと思います。
かように、私は夏目漱石が一番好きではあるのですが、漱石以外に子供の頃に影響を受けた作家・作品は、獅子文六「悦っちゃん」、三島由紀夫「女神」、芥川龍之介袈裟と盛遠」、ヘッセ「デミアン」、トーマス・マン「トニオ・クレーゲル」です。
加えて、私の精神の半分はモンゴメリ、もう半分は萩尾望都でできているので、何を見ても聞いても、まず、少女小説と少女漫画の要素を求めてしまいます。モンゴメリに象徴される少女小説萩尾望都に象徴される少女漫画が大好きだということです。
あの、それで、ちょっと宮本話をしてもいいですか。私はずっと、なぜ宮本くんの歌詞を何の疑問も持たずに受け入れてしまうんだろうと思ってきたのですが、若い頃のインタビューから永井荷風がお好きだとは知っていたんですね。それで、たぶん、読書傾向が近いのかなと思っていました。比較的最近のインタビューでも、永井荷風森鴎外夏目漱石が好きだと仰っていて、ああ、やっぱり近いかなと思ってはいます。明治大正、あるいは昭和初期、漢籍の教養が残っていた時代の作品といいますか、読んでいると、世の中の善なるもの、美というもの、品性や知性とはこういうものなのだと言われているように感じられて、とても好きな時代です。
ええと、大丈夫ですよ、宮本様のようなロックスター様と自分を同列になど考えてはおりませんので、ただ、大好きな宮本くんと少しでも似た何かがあると嬉しいというファン心理なだけです。
最後に、ブログを書くにあたっては、一対一のルールといいますか、ひとりの男性について話題にする時は他の男性の話はしないことにしているのですが、今回は宮本話を加えました。漱石が歴史上の人物であり文豪であるからいいだろうと思ったわけではありません。漱石だとてひとりの男性に違いはありません。
「でも、漱石先生、私、先生の小説が好きなことには変わりはないのだけど、今は宮本さんて方が一番好きなの。ごめんね、金之助くんは二番になっちゃった。許してね」
と言ったら、こいつ何言ってやがるという顔をしつつも、内心はこのふざけた小生意気な言動を面白がってくれると確信するからです。夏目漱石とはそういう方だと思います。


私は「夏は読書」という子供でしたので、小説の話をしましたが、私の日本語の形成には詩も大きく関わっています。その話はまた後日。

 

 

"You'll never see me cry"

今回は、宮本さんのソロシングル「昇る太陽」「going my way」「解き放て、我らが新時代」を通して聴いた感想です。これらは宮本版レリゴーかなと思いました。「アナと雪の女王」の「Let It Go」。

 

 

「謂わば こんなルールない 勝ち負けもない my way でゆこうぜ」(going my way)

 “No right, no wrong, no rules for me  I’m free”

(正しいも間違いも、ルールだって無い 私は自由)

 

 

「昇る太陽 俺を照らせ 輝く明日へ 俺を導いてくれ

 ああ 浮世の風に吹きさらされ 佇む 俺の咆哮」(昇る太陽)

 “I’ll rise like the break of dawn

 That perfect girl is gone

 Here I stand in the light of the day”

(私は夜明けの昇る太陽 今この日の光の中に立つ

 完璧だったあの女の子はもういない)

 

 

「涙はもう見せたくないから 明日へと向かおうぜ」(going my way)

  “You’ll never see me cry”

 (もう涙は見せない)

  “I’m never going back

 The past is in the past”

 (二度と戻らない 過去は過去の中にしかない)

 

 

エルサと宮本くんのデュエット。エルサはせっかくここまで開き直ったのに、「私のことは放っといてよ」と山籠もりしてしまいましたが、宮本さんは「時には強引に前へ行こうぜ」とエルサとは反対方向に舵を切ります。

宮本浩次さんという方は、たぶん、アルディスとオリゲルドだとアルディスで、メグとノンだとメグなんだと思うんですよ。

出典書いた方がいいですか。アルディスとオリゲルドは「ガラスの仮面」でマヤと亜弓さんが演じた「二人の王女」。メグとノンは「魔女っ子メグちゃん」。テーマカラーは紫よりはピンク、青よりは赤。挫折と苦労を知ってなお勇気と誇りを忘れない人々。

明日に向かう夢と希望は、この挫折や苦労、悲しみに裏打ちされて初めて真実味を帯びるのではないかなと思います。

 

 

悲しい言葉しかうかばねぇ 夜のしじまにただひとり

いつもどこにいっても 調子っぱずれの日々

無理して笑うあとから ナミダこぼれるだけ(昇る太陽)

 

 

こういう敗者の弁は宮本節の真骨頂だと思いますが、悲しい言葉しか浮かばないのに、その浮かんだ言葉は歌詞の中には現れない。つらい、苦しい、なんで俺だけが、という泣き言は口にしないで、実は淡々と「僕はいつも周りから浮いてるんですよ。無理して笑ったりもするんです」と語るだけ。助けも求めない。

宮本さんの語られない言葉がとても気になる。私の耳には、いつも何か一行が飛んでるように聞こえます。その行間で、見せない涙を流しているのかなと思ったりします。

それから、「going my way」での、悲しみを夕暮れに託した表現も好きです。

 

 

涙色の夕暮れ 悲しみも笑い飛ばそうぜ

茜色この空の向こうに誓おう

俺のgoing my way

 

 

宮本さんは夕方が好きですよね。「涙色の夕暮れ」ってフレーズはきれいでせつない。「茜色この空の向こう」で顔が上がって、目にたたえていた涙がこぼれて頬を伝うのだけど、何か吹っ切れそうな明るい気持ちになる。そこに「悲しみも笑い飛ばそうぜ」って宮本くんが言ってくれるから更に幸せな気分。

 

む。また恋に落ちてますね、私。こうやって歌詞の世界に入り込んで好き好き思って好き好き書くからどんどん好きになるんですかね。何十年も聴いてるのに、まだ好きになる、今が好きって感じですよ。

去年あたりまで私は韓国男子にうつつを抜かし切っていて、イ・ジュンギくんとかヒョンビンくんとか、ユン・サンヒョンさんとかイ・ソジンさんにメロメロだったんですが、宮本様の声がすべてを押し流してしまった感がありますよ。原点回帰?なんでしょうかね?今の自分の気持ちに素直に宮本好き好き言うのは楽しいからいいんですけど。

 

では、また。暑い中、皆様ご自愛くださいませ。

 

 

僕の瞳に映る君

7月7日にエレカシ日比谷野外音楽堂ライブを外で聴きまして、20数年振り(!)に宮本くんの生の声を聴いた喜びもさることながら、セットリストの前半が「恋するエレファントカシマシ」でしたね、というところから今回はお話しします。

特に、5番目の「面影」から「こうして部屋で寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい」「翳りゆく部屋」「リッスントゥザミュージック」「彼女は買い物の帰り道」「笑顔の未来へ」「ハナウタ~遠い昔からの物語」、ここまで、私の目は完全にハートになっていたと思います。

これらは、彼と彼女の歌か、愛を求める歌で、少女漫画の世界ですよ。

 

「息がつまる位あなたを信じてた」(面影)

「君が僕の事見つめる目には ひとつの嘘さえも決してなかったのに」(リッスントゥーザミュージック)

「愛しい人涙落ちて 目の前が暗くなって 鮮やかな光もさえぎる様に 悲しい目で何を見るの?」(笑顔の未来へ)

「こうして365日の音を集めて 『これはオレからの贈り物だよ』っていえたら 一瞬でつながるこのときめきの思いは ふたりの時行き交うメッセージ」(ハナウタ)

 

ね、宮本くんにこう立て続けに歌われたらそら目もハートになるって。この日は雨でほんとによかった。宮本くんに恋する瞳を傘で隠せたから。

私は通常、エレカシの歌は自分の中の男気で聴くことが多いのですが、今回は少女漫画的要素、胸に情感が広がって目線が徐々に上がっていくような憧れとときめきを感じました。優しい男の人になんか優しいことを言ってもらってる感じ。「優しい」がかぶってますし、幼い表現ですけど、これが私の率直な気持ちです。こんな表情も見せてくれる人たちなんだな、と魅力の振り幅に翻弄されますよ。

 

そもそも、宮本くんの歌詞の中の男性は、女性に対する目線がとても優しいです。

アルバム「STARTING OVER」に「冬の朝」という曲があります。短いので全部書きます。

 

 

冬の朝 君と二人で駅へ行く

かじかんだ手のやり場なくポケットに

吐く息も白く 空はやけに青く

 

神社を横切り近道を足早に行く人

 

ふざけて君は駆け出して俺を追い越して笑ってる

 

あの坂を下りたら駅の改札口で

乾いた空気 今日一日が始まる

 

 

好きだともなんとも言わない。情景描写の方が多い。ふざけて駆け出した彼女を見ているだけ。でも、きっとこの男性の目には、愛しい人を思う気持ちが宿っていると思う。

 

もうひとつ、アルバム「MASTERPIECE」の中の「七色の虹の橋」の一節を。

 

 

ポケットにゃあいつも文庫本

胸には偉大な未来抱いて

ああいつも待ち合わせはなぜか古本屋

本の背文字目で追いながら

未来を透視してた俺と

インテリアの雑誌かなんか

退屈そうにながめてた君がいた場所

 

きっと世界で一番幸せだったふたり

空の下それぞれの思い出の中

 

 

本が好きな男性が彼女と古本屋で待ち合わせして、退屈そうな顔ももう隠さない彼女とのつきあいの長さと、うっすらと感じられる倦怠。この彼女は過去なのかなと思われるのですが、最後にこう歌います。

 

 

思い出はセピア色なんかじゃあない

明日へ向かう七色の虹の橋

 

 

この男性は彼女を本当に好きだった。愛していた。もう苦しいとかつらいとか気持ちが波打つことはなくなったけど、かつて誰かを心から愛した記憶は今の自分を明日につなげてくれる。恋の思い出を大切に抱きしめるような歌だと思います。

 

 

宮本くんはテレビでは落ち着きのない永遠の中3男子だったりしますけど、それはそれで好きなんですけど、私の目にはこういう風に見えているのです、と言いたくて書きました。

今回の野音は、声を聴くだけで、お顔を見ることはできなかったものの、雨の七夕だったからしょうがないか、と乙女ゴコロは十分満足&納得いたしました。とてもとても楽しかったです。

では、また。

 

 

灰かぶりは新世界に足を踏み入れる

今回はBUMP OF CHICKENの「新世界」の感想です。

この曲はロッテ70周年記念のスペシャルアニメーション 「ベイビーアイラブユーだぜ」のテーマソングです。2018年12月11日公開。

ツイッターで流れてきたこのアニメを見て好きになって、YouTubeでぐるぐるくり返し聴いておりましたが、7月10日発売のアルバム「aurora arc」にフルバージョンが収録されておりましたので、ipodでまたぐるぐる聴いております。

まずは出だしのところから。

 

君と会った時 僕の今日までが意味を貰ったよ

 

頭良くないけれど 天才なのかもしれないよ

世界がなんでこんなにも 美しいのか分かったから

 

例えば 曲がり角 その先に君がいたら

そう思うだけでもう プレゼント開ける前の気分

 

泣いていても怒っていても 一番近くにいたいよ

なんだよそんな汚れくらい 丸ごと抱きしめるよ

ベイビーアイラブユーだぜ ベイビーアイラブユーだ

ちゃんと今日も目が覚めたのは 君と笑うためなんだよ

 

 

可愛くテンポのよいアニメーションと、明るく沸き立つような曲が素晴らしいのですが、コアなファンの方々の感想を読んで、普段は「アイラブユー」という直接的な愛の言葉は言わないらしいということも学びました。

BUMP OF CHICKENの曲はテレビからよく流れてくるので知っていましたし、「3月のライオン」のコミックスも「ファイター」のCD付きを買ったくらいです。が、人にも物にも出会い時というのがあるんですね。この「新世界」でガツッとはまりました。

で、あのう、その、本題なんですが、

 

なんだよそんな汚れくらい 丸ごと抱きしめるよ

 

このフレーズを聞いた時

「えっ、あたし、汚れてる前提ですかい???」

とかなりビックリしたのです。私は作品世界に潜り込んで聞くので、この可愛らしくせつない世界に降り立ったところで「汚れ」という単語が出てきたことにもピクッと引っかかったのですが、「そんな汚れくらい」と言われて、これをどう受け止めたらいいのか、かなり迷いました。

例えば、シンデレラが床に這いつくばって掃除をしているわけですよ。灰にまみれながら。そこに王子がやってきます。

「僕が探していたのは君だったんだね。さあ、このガラスの靴をはいて。そんな汚れなんか気にしなくていいから」

シンデレラは、ちょっと待て、と思いました。雑巾を床において、ゆっくりと立ち上がると胸を張っていいました。

「私が汚れているのは私が掃除することを選んだからです。義母と義姉たちは掃除はからきしダメなので、私がやらねばこの家はゴミ屋敷になってしまうのです。唯々諾々と掃除をさせられているわけではありません。私が汚れていようとも、それは私の選択の結果であり、気になどしておりません。そもそも、私は自分が汚れているなどとは思っておりません」

王子様はちょっとびっくりしましたが、シンデレラのスピーチを黙って聞いておりました。

「王子様がそういうことをおっとりおっしゃるから、エマ・ワトソンは私ではなくベルを演じることを選んだのですよ。私だってガストンみたいなのは嫌いです。私だって本を読むのは好きです。でも、家庭環境がベルとは違います。愛するお父様は私にはもういません。私は考えた末に、生き延びるために、口答えや生意気な言動はするまいと決めたのです。意志の力であえて従順にしているだけです」

と、言いながら、しまった、とシンデレラは思っていました。今ので台無しだわ、生意気言っちゃったわ。私、この人のこと好きなのに、黙って差し出された手を取れば済むことなのに。なんでここで素直になれないんだろう。

シンデレラは自分が恥ずかしくてみるみる真っ赤になりました。

王子様は育ちが良いので人の話を無碍にはしませんし、短気に怒るような性格でもありませんでした。シンデレラの考えていることをわかりたいと思ったのです。たった一夜、踊っただけの君。ブルーのドレスが知的で美しかった君。王子に迷いはありません。ゆっくりとひざまずくと手を差し出しました。

「君のことをもっと知りたいから、僕の気持ちを受け入れてくれますか?」

シンデレラはその言葉に泣きそうになりながら、王子の手をがしっとつかんで立ち上がらせました。

「私も、あなたのことが知りたいです。あなたのことが、好きです」

歯をくいしばって精いっぱい素直な気持ちを伝えました。素直になるのに努力が必要な性格というものがあるのです。

ふたりで馬車に乗ってお城に向かいながら、王子様は、思ったより面白い女の子なんだな、いろいろ話を聞くのが楽しみだ、と思っておりました。ユーモアを解する王子でよかったですね。きっと末永く、会話の多い王と王妃になって、幸せに生きていくことでしょう。

 

 

やや脱線しながら壮大な比喩(?)で私が感じたことをお送りしました。私が思ったこととして直接的に言うと非難しているように聞こえるかな、とすごく悩んだのですよ。この曲を聞けば、相手を汚れていると上から目線で言っているわけではないことはわかります。相手が抱えている苦しみや悲しみ、もしかしたら「自分は汚れてしまった」と思っているかもしれない憂鬱も、すべて受け止めるよ、つまり、君は受け入れられて当然の人間なんだよ、と必死で伝えようとしているニュアンスが感じられます。

藤原基央さんは、ため息をついている人間に寄りそうような歌い方をなさいますね。隣で歌ってもらってるような感覚になりますよ。ここが私がBUMPを好きなところです。

ただ、なぜ「汚れ」という不穏な響きの言葉を使うのか、そこはまだ私の中で判然としません。

「Spica」という曲でも、「汚れても 醜く見えても 卑怯でも 強く抱きしめるよ」というフレーズがありますし、藤原さんを読み解くキーワードのような気がします。

 

「新世界」の歌詞でもうひとつ面白いなと思った言葉が「抜け殻」です。

 

 

天気予報どんな時も 僕は晴れ 君が太陽

この体 抜け殻になる日まで 抱きしめるよ

 

 

この抜け殻って、この世を去るということだと思いました。死ぬまでふたりは一緒だよ、ということかと。もう一節。

 

 

ケンカのゴールは仲直り 二人三脚で向かうよ

いつの日か 抜け殻になったら 待ち合わせしようよ

 

 

抜け殻になったら、つまり、死んだ後もあの世で会おうよ、同じ日同じ時刻に一緒に死ぬのはたぶん難しいから、三途の川を渡る手前で待ち合わせして、一緒に極楽に行こうね、って言ってませんかね。言ってますよね。

藤原さんて草食やさ男に見えるんですけど、ひょっとして業が深い人なんでしょうか。BUMPの歌詞に直接的な愛の言葉は出てこなくても、死ぬまで君を抱きしめるよ、死んだ後だって君と一緒だよ、ってものすごい愛のメッセージですよね。しかも、「抱きしめるよ」って何度も言ってませんか。離してよ、って言っても離してくれなさそう。いや、いいんですけど。

BUMP OF CHICKENの歌はまだまだ聴き込んでないので、これから聴いていきます。そうしたいと思わせてくれたのは、BUMPのファンの方々の影響も大きいです。

メンバーのお誕生日になるとツイッターに怒涛のようにおめでとうイラストがアップされるのですが、それがどれも本当にBUMP愛に溢れていて、ずっと眺めていると、私も愛のおすそ分けを頂いているような幸せな気持ちになります。このファンの方々が、私がBUMP OF CHICKENの素晴らしい世界に踏み込む後押しをしてくれたと思っています。イラストだけでなく歌の感想も検索して読んで学んでいるところです。

世界は愛に満ちていて美しいですね。

では、また。

 

いつ見きとてか恋しかるらむ

今回は宮本くんのお話です。

宮本くんは1976年にみんなのうた「はじめての僕デス」をお歌いになってます。10才の時ですね。エレカシのファンにとっては有名エピソードです。

私は当時この歌を聞いたのを覚えています。なんで覚えているかというと、この少し前に「山口さんちのツトム君」が流行って、世間的にみんなのうたを見る機運が高まっていたんですよ。それで、私も子供心に「今度のみんなのうたはどんなのだろう」と思った自分を覚えているんです。

それと、歌い出しのフレーズ「こんど越して来た僕デス」と、最後の「よろしくたのみます」も覚えていて、たぶんですが、うちは転勤族で引っ越しが多かったので、自分にとって切実な言葉だったからだと推測されます。

とは言え、この歌を小学生当時からずっと覚えていたわけでもなく、ちびミヤジの声を好きだと思ったわけでもなく、十数年後にエレカシがデビューしてNHKでこの歌が流れて初めて「ああ、これ宮本くんだったんだ。へえ」と、自分が覚えていることを思い出しただけです。

が、この「時をまたいで再会する」という要素は、少女漫画風に膨らませられるなと思いました。

 

 

私は忘れてしまったけれど

私の三半規管は覚えているのかもしれない

だからあなたの話す声も歌声も

こんなにも愛おしいと思うのかもしれない

覚えていない私の目は

かつてあなたを映したのでしょうか

ようやくあなたに恋をする私を

求めるには遅すぎるとは言わないでください

 

 

こんな感じかな。いい感じに少女漫画っぽいですね。

で、これ、男の子モノローグでもよさげだと思います。少女漫画・少女小説の鉄則「男の子は女の子に一途」を加えます。

 

 

君は忘れてしまったけれど

僕は覚えているよ

守ろうとしてくれたこと

泣かないでと怒ってくれたこと

君の手も震えていたのに

僕をかばおうとしてくれた

君を僕は忘れない

だから歌うよ

君の胸の奥に僕のかけらが残っていないだろうか

僕の声を歌を聞いて

思い出せないのなら

僕の手をとって

そして今でも泣いている僕を笑いとばしてほしい

 

 

 

「悪いけど、覚えてないから」

涼子はそう言って、また机に突っ伏した。間もなく寝息が聞こえた。

ほんとに寝ちゃったんだ、と直人は驚いた。涼子は転校2日目とは思えないほど周りを気にしない。女の子が何人か声をかけたけれど、愛想よく返事をするだけで、でも言っていることは同じ。「私、どうしても眠いので寝かせてもらえない?」

なんで俺には言い方が厳しいんだ・・・と直人は軽くショックを受けたが、それがかえって興味を深めた。授業中は無理して起きている風で、授業終了と同時に突っ伏す。お昼休みもお弁当も食べないで寝ている。放課後になると即座に教室を出た。

「麻生さん、待ってよ、一緒に帰ろう」

「なんで?」

「なんで、って・・・一緒に帰りたいから」

「あの・・前に会った覚えはないって言ったよね」

「うん、それね、人違いならそれはそれでいいんだ。それとは別に麻生さんと仲良くなりたい」

はあ?と明らかに変質者を見るような目で直人を見る。

「あっ、いたいた、りょこちゃーん」

「多美ちゃん」

「今、おばちゃん、うちにいるって。夕飯うちで食べるってLINE来てた」

「わかった。ちょっと寄るとこあるから、後で行く」

「うん、じゃ、先に帰ってるね」

「待って、小林さん。なに、知り合い?」

「いとこだよ、りょこちゃんとは」

「マジ?」

「うん、小学校の4年までりょこちゃんこっちに住んでたよ」

「小学校どこ」

「霧ヶ丘。あたしも一緒だったけど」

「・・・ま、じ、か」

「じゃ、私、行くから」

涼子はスタスタと去っていった。

「あのさ、麻生さんて前からあんな風だった?」

「あんな、って?」

「ずっとひとりで、ほとんど口もきかない。緊張もしてないけど」

「どうだろ。緊張してないのはこっちが地元だからじゃないかな。知ってる子もいるし」

「俺も霧ヶ丘って知ってた?」

「ええ?ほんと?覚えてない」

「みんな俺のこと覚えてないんだね」

直人は笑ってわざとガックリうなだれた。

 

次の日も、その次の日も、更に1ヶ月が経とうとしても、涼子は授業以外は寝続けた。昼飯食わなくて平気なのかな、と直人はクラスメートとお弁当を食べながら思う。

「おまえ、麻生さんのこと好きなん?」

「えー、うーん、まあ」

「ふーん」

「えっ、それで終わり?もっと聞いてよ、なんで好きなのか、とかさ」

「いや、自分でしゃべり出すかなって」

「語っていい?あ、起きた」

麻生さん、待ってよ、と声をかけると、クラスの視線が集まった。涼子は意にも介さない様子で教室を出ていった。

「どこ行くの」

「トイレ。ついてこないで」

「廊下で待ってるね」

「変態」

直人は、クスクス笑って壁にもたれかかった。昼休みの喧騒が校舎を包む。おしゃべりと笑い声が重なって明るい和音を響かせる。

「お、黒木、なんしよん」

「おー、島村、彼女待ち」

「えっ、彼女できたん?いつの間に」

と色めきたったところに、涼子が出てきた。島村と目が合った。

「あれ、もしかして麻生?」

「なんで同じ高校なの」

「えっ、うちの高校にいたっけ?」

「麻生さんはこないだ転校してきたんだよ」

「えー!マジか。へえ」

島村は涼子を上から下まで眺めた。

「あたしに見とれるのやめてくれる?」

「ばっ、そんなんじゃねーよ、ほんと変わってねーな。可愛くねー」

「あんたに可愛いとか思ってもらいたくもないよ」

「あのー、島村のことは覚えてるんだね・・・」

しょんぼりと直人がつぶやくと

「あれ?小学校で、黒木もおったやろ」

「麻生さん、僕のこと、覚えてないんだって」

「なんで覚えとらんの。でも、今はつきあっとるんやろ」

「何言ってんの!?誰が、あっ、黒木くん、自分で言ったの!?」

直人は嬉しそうにうなずいた。

「ようやく名前呼んでくれたー。うれしいー」

「うるさい!!」

涼子は怒って先に行ってしまった。その日の放課後、直人は嫌がられながらも涼子についていった。涼子は根負けしたのか、途中から黙って歩いた。着いたところは公園だった。

ベンチに座っておもむろにお弁当を出して食べ始めた。

「いつも放課後食べてたんだね」

「たまご焼きあげる」

おはしで刺した一切れを直人の口に入れた。

「おいしい?」

「うん。うまい。甘い」

「ありがと。あたしが作ったの」

「えっ、言ってくれればもっとゆっくり味わったのにー」

「それ、口止めになる?」

「なんの」

「ここでお弁当食べてること。多美ちゃんにも言わないで」

「・・うん。わかった。言わないよ、心配しないで」

涼子は食べ終えると、水筒のお茶を飲んでためいきをついた。直人はじっと涼子の横顔を見ている。

「顔、変わらないね」

「ほんとに会ったことあるんだね。ごめんね」

「1回だけだから覚えてないのもしょうがないかも」

公園の砂場で、小学校低学年らしき男の子が数人遊んでいた。最初は仲良くバケツに砂をつめてひっくり返して動物のようなものを作っていたが、いつの間にか、砂をかけ合って、最初は笑い声も聞こえていたのに、ひとりの子に集中してみんなが砂をかけ始めた。小さな火がだんだんと燃え盛るように不均衡な諍いに発展していった。砂をかけられた子は途中から抵抗しなくなって、ただ立ちすくんで、泣くかな、と思った時

「あんたたち、何しよるんね!」

と涼子が走って止めに入った。

「お姉ちゃん見よったけど、なんで意地の悪いことするん?」

小学生男子たちは一瞬びっくりして固まったが、ひとりの子が

「ババアには関係ないやろ!」

と怒鳴ったのを合図に、みんな走って逃げていってしまった。砂をかけられた子をひとり残して。涼子は体の砂を払ってやりながら

「同じクラスなの?」

「うん」

「仲良しなの?」

「うん」

「仲良しとは言わないよ。あんなことする子たち」

「でも・・・」

「『このくらいはいいか』とか思わないで、嫌なことする子とは仲良くしなくていいからね。ほんとに仲良くできる子が他に必ずいるから、そういう子と遊んでね」

何も答えず、男の子は帰っていった。

涼子はベンチに戻ってまたお茶を飲もうとしたが、できなかった。

「な、泣いてるの???」

直人ははらはらと涙を流していた。

「ど、どうしたの??なに?」

「やっぱり、涼子ちゃんだ」

なんで突然、下の名前を、と思ったが、泣いている人間相手に軽口は叩けない。さすがに黙って見守った。

「僕のことも、今みたいにかばってくれたんだよ」

曰く、小学4年生の時に、公園で同級生に追いかけ回されて泣いていたところを涼子が助けてくれた。当時の直人は髪もおかっぱで女の子みたいだとからかわれることが多くて、学校を休みがちだった。涼子に会った時も、何ヶ月か休んでいて、たまたま公園で島村たちに会ったのだと言う。

「島村?」

さすがにそこは突っ込んだ。

「僕ね、小6で急に背が伸びて、島村追い越しちゃったから、それでいじめられなくなったんだよ」

「あいつ単純だもんね」

うん、と、まだ泣くので、涼子はティッシュを渡した。

「それで、涼子ちゃんが島村を蹴ってくれて、僕の方にこなくなったから、僕はとりあえず逃げた」

「えっ、ひどい。あたし置き去り?助けたのに?」

「でも心配になって戻ったら、涼子ちゃんひとりでいたから、勝ったんだなって思った」

「あー、あの、あたし、男の子とはよくそういう喧嘩してたから、有りすぎて覚えてないんだと思う」

「名前聞いたら、りょうこって答えてくれて」

「それでずっと忘れないでいてくれたんだ」

「学校も同じって言ったから、次の日からちゃんと行ったんだ。涼子ちゃんに会いたくて。また守ってもらおうと思って。でもいなかった。どこにもいなかった。結局、また学校休む日々をくり返してた」

「どのタイミングかわかんないけど、たぶん、引っ越したのね、ちょうど」

「君が戻ってきて話を聞いて、ようやく謎が解けた」

「謎って」

涼子が思わず笑うと、直人は涼子の肩をつかんで

「君を探してたんだよ、本気で本気で探して、実はあの子は元々いなかったんじゃないかって自分の記憶を疑いそうになって、でも、君のことは忘れられなかった。絶対いつか会えるって思ってた。会いたいって思ってた」

「・・・ごめんなさい、覚えてたらよかったんだけど」

「これから僕のことを知ってよ。僕を好きになってよ。僕はずっとずっと君が好きだったんだ」

涼子はじっと目を見て、黙っていた。

「なんで返事してくれないの」

「こんな風に話をしたのかな、って思って」

「うん。話したよ」

「黒木くんの顔、見てた?」

「見てたよ、僕も見てたよ、涼子ちゃんのこと」

「そう。ありがとう」

涼子は直人にハグをして、また守ってあげるのもいいんだけど、今度は私も守ってくれる?と囁いた。私、今ちょっとくたびれているの。生活環境変わっちゃったから。いつか話すね、ここにいなかった間の私の話。そして聞かせてね、あなたのこれまでの話を、私を思ってくれていた年月を。

 

 

 

 

 

とりあえず、おしまい。

「時をまたいで再会」は話としてはロマンチックで好きなんですよ。一番好きなのは「アンの青春」のミス・ラベンダーのエピソードです。ポールがラベンダー母さんって呼ぶのも好きなところです。

・・・ええと、あの、大丈夫ですよね。これ、創作ですからね。私が宮本様を最初の詩のように思っているわけでも、宮本様のことをこういう男の子だと思っているわけでもないですからね。宮本浩次さんという方は、こういうメソメソしたメンタルの方ではないのではないかな、と歌詞からは思います。こういう方でもそれはそれで面白いですけど。どういう方であっても大好きですけど。

女性が一人称で語ると、個人的な告白として受け止められることが多いような気がしますが、百人一首の恋歌だって題詠が多いじゃないですか。私のこのほんとにささやかな創作も、冷静に思考した末でのものに過ぎません。真に受けないでざっくりおおらかに楽しんでいただけたらと思います。

あ、でも宮本様は真に受けていいかな。うん、思う存分、真に受けてくださいませ。たぶん、この先、どれだけ世の中が変わっても、私がエレカシも宮本くんも好きなことには変わりはないと思うので、私の愛をお受けくださいましたら幸いです。

 

そして、6月12日のお誕生日おめでとうございます、宮本さん。よい一年になりますように。

 

 

 

 

 

これで今年のエレカシ誕生日シーズンは終わりましたね。

あー、恥ずかしかった!!!一生に一度くらい4人へのハピバコメントを書き残してもいいかなあ、いい思い出になるかなあ、と思ってうっかり始めてしまったのですが、恥ずかしくて定型文しか書けないというていたらく。来年以降はもう無理。絶対無理。ていうか、私のコメントとかいらないですよね、エレカシは世間にめいっぱい愛されてるから。皆さまの誕生日にツイッター検索するとエレカシ愛に溢れていて、もう読んでるだけで幸せ。私、エレカシが世の中に愛されている様を見るのが大っ好きなんです。宮本くんのインスタのコメント欄は愛の告白大会になっていて、ああ、世界は美しい・・・と本当に幸せな気持ちになります。

世界を美しくしたのはエレカシの力ですよね。ずっとずっと歌を届け続けてくれたから、ファンの愛もより広く、より深くなっていったのだと思います。

私もここでこっそりエレカシ愛を語り続けます。これまで宮本くんの歌詞についていろんなことを感じたり考えたりしてきたけれど、言語化しようとは思っていませんでした。が、ここに来てなんかすごく語りたくなってしまったので、今後もおつきあいいただけますでしょうか。

今回もお読みくださいましてありがとうございました。

よい一日をお過ごしください。

 

アリスは瞬く間に秘密の花園に落っこちる

菅田将暉さん「まちがいさがし」、米津さん作詞作曲、の感想です。

菅田さんの声はいいですよね。「正義が乗って、そこに真実がこもる声」という感じがします。

ごちそうさん」でファンになって、「民王」「女城主直虎」「dele」「まんぷく」は見ました。NHKあさイチで「自分はまだ何者でもない」とおっしゃっていて、若いのにそう言えるところが何者かだよな、と更にファンになりました。

 

米津さんの歌は、私にはたいてい何か引っかかりワードがあるのですが、今回は「起きがけ」です。最初に聞いた時、この言葉を自分は発語したことがないかも?と思いました。米津さんの言葉には私の中の何かを目覚めさせる作用があって、深い意味を持つ言葉ではないけれど「えっ、今のなに?」と新鮮な刺激を受けるものが多いです。自分の語彙のデータベースと照合して、意味や使い方を再検討、再構築したくなるというか。

私は米津さんの語彙の成り立ちが知りたいのですが、今のところ、目にしたインタビューからは得られません。残念です。

 

この歌の中で好きなフレーズは「瞬く間に落っこちた」です。

米津さんは言葉の跳躍力に秀でているということを「パプリカ」について書きましたが、今回はその力を逆のベクトルに作用させていると思います。

 

まちがいさがしの間違いの方に

生まれてきたような気でいたけど

まちがいさがしの正解の方じゃ

きっと出会えなかったと思う

 

まず、この歌い出しで世界観に引き込まれますよね。線引きがされた世界で自分は間違いの方にいるような気がする。

 

君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ

その日から何もかも 変わり果てた気がした

 

「君」は正解の方にいると「僕」は思っているのだと思いますが、「君」によって何もかもが変わってしまった。これはあれです、ギルバート・ブライスが、石板で頭を叩かれた時から君のことが好きだったよ、アン、ってやつです。少女漫画、少女小説の大原則「男の子は女の子によって運命が変わる」。

 

君の手が触れていた 指を重ね合わせ

間違いか正解かだなんてどうでもよかった

瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で

君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ

 

君と僕をわけていた正誤の世界が、ふたりが指を重ね合わせることで崩れて、マーブルのように混ざり合っていき、気がつくとふたりは落っこちていっている。アリスのウサギ穴へ、手をつないで、笑ってるかな、わくわくして。

で、落ちたところは花園なんだと思います。草いきれのする「深い春の隅」。どこまでも幸せな方へ落ちて、落ちて、落ちていくイメージ。

「パプリカ」では、えらく高いところまで飛んだなあ、と思っていましたが、今回は、体の力を抜いて、ほの明るい幸せの淵に落ちていったのね、と思いました。

 

 

米津さんの歌は、「聞いたことがないけれど、ずっと聞きたかった歌」という感じがします。私はこういう歌詞をずっと求めていたのだな、としみじみ思います。新曲が出るのが毎回楽しみです。