「今は二月たつたそれだけ」

今日は詩について語ります。

そもそも、詩とどうやって出会ったかというと、たいへんに物理的で即物的で味気ないのですが、小6の時に中学受験の塾に行きまして、そこでポケットサイズの詩集を2冊もらったのです。なぜ塾で詩集を配布したかというと、志望校が毎年、詩を出題していたからです。まったく無味乾燥な出会いです。

が、その小さな詩集の中にいたのです。田中冬二、山之口獏室生犀星高村光太郎立原道造、山村慕鳥、三好達治大手拓次谷川俊太郎といった面々が。私はすぐさま、この美しい言葉の湖に深く沈みこんでいきました。黙々とくり返し読んで、静かに吸収していった感があります。

それから、偕成社のえんじ色のカバーの子供向け文学全集の中の「愛の詩集」といういろんな詩が入っている本を買ってもらって、また黙々と読みました。

当時、大きな市立図書館に歩いていける距離に住んでいて、小4くらいから長方形のお稽古バッグを持ってひとりで通っていましたが、小説しか読んでいなかったところに詩も加わり、読みたいだけ読んで借りたいだけ借りて、たいへん幸せな時間を過ごしました。

志望校の中学に無事受かると、受験で訓練的に詩を読まされて詩を好きになった生徒が多かったのか、朝の校内放送で詩の朗読が流れたりしました。今でも覚えているのは、2月に入って女子の先輩が読んだ、立原道造の「浅き春に寄せて」です。「今は二月たつたそれだけ」で始まる詩。2月になるたび、この詩と共に、木造の寒い校舎と静かに聞き入るクラスメートの背中を思い出します。

小6で詩と出会ってから、大学進学で東京に来るまで、ほぼ毎晩、寝る前には何か詩を読みました。この中高時代に詩を読む習慣を身につけ、量的な経験値を積んだのだと振り返って思いました。

では、質はというと、こちらも明確な出会いがありまして、中3の時に「詩のこころ 美のかたち」という本を読みました。杉山平一著。本屋さんでタイトルに魅かれて買ったのですが、この本が私に詩の読み方を指南してくれました。この本が無ければ、私はなんとなく雰囲気でしか詩を読めなかったと思います。そらもうくり返しくり返し読みました。

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」が歌として生き残っているのは、母音のオ音の連続が生み出すリズムに寄るとか、人の感情には知っているものを反復する喜びがあること(「待ってました!」がこれに当たる)など、書かれていることのすべてが興味深く面白く、しみじみと味わうように読み尽くしました。この本は今は絶版ですが、杉山平一さんの本は他にもありますので、詩に興味がおありの方には是非お勧めしたいです。

あと、もうひとつ、中3か高1くらいだったと思いますが、ある日の夕飯の後、父と私だけまだ食卓にいてテレビを見ていたんですね。音楽番組。サザンが歌っていて歌詞が画面に出ていました。曲が終わる頃、ぐでんぐでんに酔っぱらっていたはずの父が一言「この人は青春というものをよくわかっとるな」と言いました。

えっ、お父さん、酔っぱらってたんじゃなかったの!?と驚いたんですよ。サザンのどの曲だったかは覚えていません。あまたあるヒット曲のどれかだと思います。サザンもデビューして数年の若手の時代で、父から見ると新世代の歌だったと思うのですが、酩酊しながらも歌を聞いていたことと、聞き終わってすぐ感想を口にした反射神経にビックリしたのだと思います。歌詞を味わうことについて、この時の父との思い出は切り離せないです。

言葉に興味を持つこと、言葉を美しいと思うこと、古いものも新しいものも等しく深く味わい、丁寧に敬意をもって言葉に接すること。

これらが私が子供時代に得た、生きていく上での動力です。

それから、大学に入ってライブにも行くようになって、バンドブームもあり、私は日本語のロックを集中して聴くようになりました。いろんなミュージシャンのいろんな歌詞を聴き込んで読み込んでいくことは楽しかったです。古来の詩人たちと同様、どの方の言葉にも個性があって美しく、それは子供の頃からの詩に対する興味の延長線上のものでした。歌詞について感想を書いたりイメージを膨らませたりすることは、私の中では詩読の応用編という感じです。

詩との出会いについて振り返ると、ある程度の教育の強制の有効性は否定できないなと思います。強制的に詩を読まされなければ、自分では見つけ出せなかっただろうし、詩との出会いは遅れたか、最悪、訪れなかったかもしれません。

翻って言えば、強制されなかったために、私には知らない、わからないことが世の中にはたくさんあるのだろうな、と謙虚にもなれるのです。

 

最後に英文で終わります。これも、強制的に読まざるをえなかった本の中で出会った一節です。

 

The habit of reading poetry should be acquired when people are young.

What we acquire and learn to love when we are young stands by us through life.

It has been difficult in all ages for people who are past middle life to appreciate the genius of new poets who have arisen in their lifetime.

「詩を読む習慣は若いころに身につけるべきである。

若いときに身につけ愛するようになったことは生涯を通じて身を助けてくれる。

人生の半ばを過ぎた人々には、自分たちが生まれてから新しく世に現れた詩人のすぐれた才能を鑑賞することが、いつの時代においてもつねに困難なことであった」

 

「基礎 英文問題精講」(旺文社)より英文も訳文も引用しました。

 

では、また。