灰かぶりは新世界に足を踏み入れる

今回はBUMP OF CHICKENの「新世界」の感想です。

この曲はロッテ70周年記念のスペシャルアニメーション 「ベイビーアイラブユーだぜ」のテーマソングです。2018年12月11日公開。

ツイッターで流れてきたこのアニメを見て好きになって、YouTubeでぐるぐるくり返し聴いておりましたが、7月10日発売のアルバム「aurora arc」にフルバージョンが収録されておりましたので、ipodでまたぐるぐる聴いております。

まずは出だしのところから。

 

君と会った時 僕の今日までが意味を貰ったよ

 

頭良くないけれど 天才なのかもしれないよ

世界がなんでこんなにも 美しいのか分かったから

 

例えば 曲がり角 その先に君がいたら

そう思うだけでもう プレゼント開ける前の気分

 

泣いていても怒っていても 一番近くにいたいよ

なんだよそんな汚れくらい 丸ごと抱きしめるよ

ベイビーアイラブユーだぜ ベイビーアイラブユーだ

ちゃんと今日も目が覚めたのは 君と笑うためなんだよ

 

 

可愛くテンポのよいアニメーションと、明るく沸き立つような曲が素晴らしいのですが、コアなファンの方々の感想を読んで、普段は「アイラブユー」という直接的な愛の言葉は言わないらしいということも学びました。

BUMP OF CHICKENの曲はテレビからよく流れてくるので知っていましたし、「3月のライオン」のコミックスも「ファイター」のCD付きを買ったくらいです。が、人にも物にも出会い時というのがあるんですね。この「新世界」でガツッとはまりました。

で、あのう、その、本題なんですが、

 

なんだよそんな汚れくらい 丸ごと抱きしめるよ

 

このフレーズを聞いた時

「えっ、あたし、汚れてる前提ですかい???」

とかなりビックリしたのです。私は作品世界に潜り込んで聞くので、この可愛らしくせつない世界に降り立ったところで「汚れ」という単語が出てきたことにもピクッと引っかかったのですが、「そんな汚れくらい」と言われて、これをどう受け止めたらいいのか、かなり迷いました。

例えば、シンデレラが床に這いつくばって掃除をしているわけですよ。灰にまみれながら。そこに王子がやってきます。

「僕が探していたのは君だったんだね。さあ、このガラスの靴をはいて。そんな汚れなんか気にしなくていいから」

シンデレラは、ちょっと待て、と思いました。雑巾を床において、ゆっくりと立ち上がると胸を張っていいました。

「私が汚れているのは私が掃除することを選んだからです。義母と義姉たちは掃除はからきしダメなので、私がやらねばこの家はゴミ屋敷になってしまうのです。唯々諾々と掃除をさせられているわけではありません。私が汚れていようとも、それは私の選択の結果であり、気になどしておりません。そもそも、私は自分が汚れているなどとは思っておりません」

王子様はちょっとびっくりしましたが、シンデレラのスピーチを黙って聞いておりました。

「王子様がそういうことをおっとりおっしゃるから、エマ・ワトソンは私ではなくベルを演じることを選んだのですよ。私だってガストンみたいなのは嫌いです。私だって本を読むのは好きです。でも、家庭環境がベルとは違います。愛するお父様は私にはもういません。私は考えた末に、生き延びるために、口答えや生意気な言動はするまいと決めたのです。意志の力であえて従順にしているだけです」

と、言いながら、しまった、とシンデレラは思っていました。今ので台無しだわ、生意気言っちゃったわ。私、この人のこと好きなのに、黙って差し出された手を取れば済むことなのに。なんでここで素直になれないんだろう。

シンデレラは自分が恥ずかしくてみるみる真っ赤になりました。

王子様は育ちが良いので人の話を無碍にはしませんし、短気に怒るような性格でもありませんでした。シンデレラの考えていることをわかりたいと思ったのです。たった一夜、踊っただけの君。ブルーのドレスが知的で美しかった君。王子に迷いはありません。ゆっくりとひざまずくと手を差し出しました。

「君のことをもっと知りたいから、僕の気持ちを受け入れてくれますか?」

シンデレラはその言葉に泣きそうになりながら、王子の手をがしっとつかんで立ち上がらせました。

「私も、あなたのことが知りたいです。あなたのことが、好きです」

歯をくいしばって精いっぱい素直な気持ちを伝えました。素直になるのに努力が必要な性格というものがあるのです。

ふたりで馬車に乗ってお城に向かいながら、王子様は、思ったより面白い女の子なんだな、いろいろ話を聞くのが楽しみだ、と思っておりました。ユーモアを解する王子でよかったですね。きっと末永く、会話の多い王と王妃になって、幸せに生きていくことでしょう。

 

 

やや脱線しながら壮大な比喩(?)で私が感じたことをお送りしました。私が思ったこととして直接的に言うと非難しているように聞こえるかな、とすごく悩んだのですよ。この曲を聞けば、相手を汚れていると上から目線で言っているわけではないことはわかります。相手が抱えている苦しみや悲しみ、もしかしたら「自分は汚れてしまった」と思っているかもしれない憂鬱も、すべて受け止めるよ、つまり、君は受け入れられて当然の人間なんだよ、と必死で伝えようとしているニュアンスが感じられます。

藤原基央さんは、ため息をついている人間に寄りそうような歌い方をなさいますね。隣で歌ってもらってるような感覚になりますよ。ここが私がBUMPを好きなところです。

ただ、なぜ「汚れ」という不穏な響きの言葉を使うのか、そこはまだ私の中で判然としません。

「Spica」という曲でも、「汚れても 醜く見えても 卑怯でも 強く抱きしめるよ」というフレーズがありますし、藤原さんを読み解くキーワードのような気がします。

 

「新世界」の歌詞でもうひとつ面白いなと思った言葉が「抜け殻」です。

 

 

天気予報どんな時も 僕は晴れ 君が太陽

この体 抜け殻になる日まで 抱きしめるよ

 

 

この抜け殻って、この世を去るということだと思いました。死ぬまでふたりは一緒だよ、ということかと。もう一節。

 

 

ケンカのゴールは仲直り 二人三脚で向かうよ

いつの日か 抜け殻になったら 待ち合わせしようよ

 

 

抜け殻になったら、つまり、死んだ後もあの世で会おうよ、同じ日同じ時刻に一緒に死ぬのはたぶん難しいから、三途の川を渡る手前で待ち合わせして、一緒に極楽に行こうね、って言ってませんかね。言ってますよね。

藤原さんて草食やさ男に見えるんですけど、ひょっとして業が深い人なんでしょうか。BUMPの歌詞に直接的な愛の言葉は出てこなくても、死ぬまで君を抱きしめるよ、死んだ後だって君と一緒だよ、ってものすごい愛のメッセージですよね。しかも、「抱きしめるよ」って何度も言ってませんか。離してよ、って言っても離してくれなさそう。いや、いいんですけど。

BUMP OF CHICKENの歌はまだまだ聴き込んでないので、これから聴いていきます。そうしたいと思わせてくれたのは、BUMPのファンの方々の影響も大きいです。

メンバーのお誕生日になるとツイッターに怒涛のようにおめでとうイラストがアップされるのですが、それがどれも本当にBUMP愛に溢れていて、ずっと眺めていると、私も愛のおすそ分けを頂いているような幸せな気持ちになります。このファンの方々が、私がBUMP OF CHICKENの素晴らしい世界に踏み込む後押しをしてくれたと思っています。イラストだけでなく歌の感想も検索して読んで学んでいるところです。

世界は愛に満ちていて美しいですね。

では、また。