ロックコンサートにおける手拍子について考察を少々。
BUMP OF CHICKEN の藤原さんが「若い頃に演奏を中断して手拍子を止めたことがあったが、手拍子自体は嬉しいけれど歌いにくかった。それを当時は上手く言えなかった」と今年のツアーで話されていたそうです。「学芸会じゃないんだよ」と手拍子を止めさせた昔の発言はキレたと受けとめられて、長年のファンでも藤くんは手拍子が嫌いだと思っていたらしい。ということをBUMP新参者の私はネットで学びましたが齟齬はないでしょうか。大丈夫でしょうか。
宮本さんも6月12日のバースディコンサートで手拍子を止めてほしいとやはり演奏を中断された。曰く、君たちのリズム感が悪い、手拍子が反響して歌いにくい、こういうことを言うと圧迫感があるだろうかと穏やかにご説明なさったそうです。
今回言いたいのは藤原さんのキレていた時代に出会いたかった(私きっと大喜び)とか宮本も丸くなったなとかそれならそれで最初からそう言おうぜでもそう言えなかったかつての君らも愛おしいぜとかではありません。
ロックコンサートにおける手拍子問題を私が最初に認識したのは、ざっくり30年前、スライダーズの蘭丸さんとバービーボーイズ(確かコンタさんだったかと)とのラジオでの対談です。ブルース調の曲に表の手拍子が来ることに困惑すると両者合意していて、ミュージシャンてのはステージ上でそういうこと思っているんだなあと知ったのが事始めです。
この時にもうひとつ思ったのは、洋楽優位の発想だということ。洋楽がきっかけでこの道に入ったのだろうし、そういう発想になってもしょうがないかなとは思いました。
手拍子の表裏については、いろんなミュージシャンが演奏を止めて客に訴えているらしいです。ネットをちょっと検索しただけでもわかります。訴え方は様々で、キレる人もいれば丁寧に説明・指導する人もいる。そこでよく言われるのは「演歌は表でいいけどロックは裏で」。ロックコンサートを選んで来る客は演歌をよく聴いている層とはかぶっていないと思います。自分たちはロックを演奏していて、ファンもそのロックを普段よく聴いていて、それでも表の手拍子が来るのはなぜかと考える必要性を感じます。演歌と対比させることはちょっと短絡的ではないかなと思います。
また、思い出したのですが、長渕剛さんはかつてベストテンで「順子」を途中でやめたことがありましたよね。これは失恋の歌だから手拍子はやめてほしいと。当時子供だった私は途中でやめることそのものにビックリして、でも、歌詞の内容が手拍子と合わないというのはなるほどなあと納得したことを覚えていることを思い出しました。あれからどれくらい経ったのですかね。沈む夕陽をいくつ数えましたかね。
ミュージシャンの主張を整理しますと
・手拍子をしてほしくない曲がある
・手拍子は表と裏の使い分けが必要
・リズムだけではなく歌詞の内容によっても手拍子してほしくない
・合わない手拍子は歌いにくい
・手拍子自体が嫌なわけではない
観客としての私の疑問は、なぜ30年もの長きに渡ってこれらの問題が前進していないのかということです。スライダーズとBUMPなんて世代が違うバンドがなぜ同じことを言っているのか。
・客に対する啓蒙が行われてこなかった
・客も能動的に学んでいない(キレた事象に引いてしまうだけ)
・洋楽優位の枠から外に出ていない(わかる人だけわかればいいという思考の停滞)
・実はあまり問題だと思われていない(曲を止めてまで訴える姿を見ても?)
更に、最近の若いミュージシャンは洋楽で育っていない人たちも出てきていますよね。漫画、アニメ、ゲームの方に近い世代。この方たちのライブでは手拍子はどうなっているんでしょうか。
また、ミッチー(及川光博さん)の公式グッズにLED付きの「光るタンバリン」というものがあり、「バラード曲以外でご使用ください」と注釈がついていますが、ミッチーのファンはどこでタンバリン鳴らすべきかを熟知しているのでしょうか。手拍子より難易度高いように思うのですが大変興味をそそられております。
大好きなミュージシャンに手拍子はやめてくれと言われると「自分はこの人の歌を理解できていなかったのかな」「そんなに音楽のこと詳しくないしどうしたらいいのかな」と戸惑うファンも多いと思います。が、観客の姿勢としてはミュージシャンの言うことをそこまで真に受けないというのもひとつの方法かと考えます。
やめろと言われたらやめることはやぶさかではないけれど「応援したくて手拍子したのに」とか「こっちの曲では手拍子要求するんだわかったよやってやるよ」くらいの率直な感想を大事にしてよいと思います。
「真に受けない」とは、相手に忖度もせず翻弄もされないことであり、物事を客観的、あるいは俯瞰して見ることでもあると思います。この視点でステージに立っている人の価値観を理解する、つまり、この人はどういう人なんだろう、この歌をどんな気持ちで歌っているんだろうと思い巡らせる楽しみ方と言いましょうか。手拍子はその全体像の中の一案件として考えればよいかなと思います。
ロックコンサートについては、スマホの使用とスマホライトについてもいろいろ意見があるようですが、長くなるので別途書くことにします。
では、また。