歌詞について聞いてみたいこと その4

歌詞について聞いてみたいこと。今回は忌野清志郎さんです。問いかけても答えは得られない以上、この世にいてもあの世にいても変わらないので構わず話しかけます。

 

①ヘッセを読んでらしたと昔のインタビューで読んだのを覚えていますが、どの作品がお好きなのでしょうか。

本当に答えの得られない問いですが、インタビュアーさん達にお願いしたいのは、取材対象の方が好きな作家について話した時は、どの作品が好きかまで聞いていただけると嬉しいです。インタビュアーさん自身が読んでいなくても「自分は疎くて申し訳ないのですが、ファンはきっと知りたいと思うのでお好きな作品名を教えて頂けますか」くらいはお願いします。このインタビューでもこれ以上の情報はなくてガッカリしました。

 

②「COVERS」について

発売中止になったことで清志郎さんは「民主主義なのに出してもらえなかった」といろんなメディアでおっしゃっていましたが、民主主義だからこそレコード会社にも断る権利はあるという考え方は耳に入ったことはあったのでしょうか。作品の良し悪しではなく、発売しないと判断する理由の良し悪しでもなく、「発売しない」という結論自体には何ら問題はない。清志郎さんが怒ることも当然。でも、民主主義という言葉を使うなら、レコード会社の権利も認めなければいけない。自分があたかも被害者かのように振る舞う、少なくともそう見える行動はメディアで発言する機会を持っている側の横暴なイメージ操作だと思う。レコード会社に1点問題があったと思うのは「素晴らしすぎて出せません」ではなく「素晴らしいことはわかっていますが、今回うちでは出しません」でよかったと思う。

これが私が清志郎さんの主張に賛同できなかった理由で、ここから徐々にRCサクセションから離れて、日本のロックから離れていったのですが、当時20代前半の小娘の私が発想できたくらいのことは、誰かが清志郎さんに言ったのではないかと推測します。が、テレビや雑誌の清志郎さんは怒りを隠そうともせずに「出してもらえなかった」と主張し、インタビュアーさん達も「そうですよね、ほんとにそうですよね」と同調するばかりで私は心底うんざり&ガッカリしたものです。

この頃のインタビューで「(海外でレコーディングか何かされた時に)英語のthの発音を歯で舌を挟むと聞いていたけど、そんな発音をしている人はいなかった」と事実誤認発言があったのですが、ここでもインタビュアーさんは「そうですよね、ほんとにそうですよね」的な相槌を打っていて、インタビュアーさんにも知識がなかったとしても、これはほめ殺しだと思いました。みんな清志郎さんが好きだったがゆえに異を唱えて更に怒らせたくなかったのかもしれないけれど、怒りを露わにすると忖度されてロクなことにならないんだなと遠目に見る感じでした。インタビュー自体も読まなくなりました。静かに見切りをつけたという感じです。

 

「COVERS」の歌詞についてですが、これは藤原定家の言う本歌取りだと思います。

 

本歌取りは、古歌の世界を足場にして、新たな表現を作り出す技法である。つまり、盗作や剽窃紙一重なのである。実際、新しさが作れずに、失敗に終わった作品も数多い。しかし、成功した場合には、それまでの歌に見られない鮮やかな効果を発揮した。古歌の世界が背景となって、複雑な奥行きのある世界を生み出すことができたのである」(角川文庫「ビギナーズ・クラシックス 新古今和歌集」より)

 

カバーアルバムだけれど英語のまま歌っているわけでもなく、原曲の和訳でもない。日本語で新しい物語を歌った素晴らしいアルバムなのですが、清志郎さんの怒りのせいで正当な評価がどれだけ得られたのだろうかと思います。

その時は本歌取りという発想は私もできなくて、日本語への翻訳(直訳ではなく)くらいにしか理解できなかったのですが、清志郎さんの描く世界は大好きでした。

サマータイム・ブルース」はコンサートで初めて聞きました。このアルバムが世に知らされるちょっと前のことです。歌い出しが「暑い夏がそこまで来てる みんなが海へくり出していく」なので、会場はわーっと盛り上がったのですが、続く「人気のない所で泳いだら 原子力発電所が建っていた」で、あれ?これ何?盛り上がっていいのかな?という戸惑いが場内を包みました。私も何だったんだろうと思ったものの、特に深く考えず、原子力発電所という単語もすぐに忘れました。

なぜ清志郎さんはあんなに怒りを持続させたのだろうかと思いますし、そこを聞いてみたいとも思います。今の私なら清志郎さんが怒ろうがなんだろうが質問できます。「壮大なほめ殺しをされているように見えますが、ご自身ではどう思っていらっしゃいますか?」「そうですよね、ほんとにそうですよね、と言われて不気味に思いませんか?」「そんなことより英語の歌詞を日本語に変える時の発想について語ってくれませんか?何がこの素晴らしい歌詞を可能にしたのですか?」

孝行したい時に親はなし、という気分です。そして実は今でも清志郎さんの怒りは正しかったと誰か私を納得させてくれないかな、と20代の青い自分が小さく存在したりします。親を否定するのはつらいものです。

 

今回は思い出語りになってしまいましたが、当時ネットも無く誰にどこに言う手段も無くて黙って思っていたことを忌憚なく述べました。天国で清志郎さん怒っているでしょうか。どうかな?

 

 

では、また