政治的発言とは

私が韓国ドラマにハマったのは、NHKBS2「チャングムの誓い」(2004-2005)からです。うちはBS契約をしていないので実家で録画してもらった物を見て、後半はDVDを購入して見ました。韓流ブームを起こした「冬のソナタ」がNHKBS2で2003年放送なので、そのすぐ後ですね。

チャングムは16世紀の朝鮮王朝時代を舞台にした歴史劇です。私は韓国の歴史をまったく知らなかったので、王様の名前、両班(ヤンバン)という貴族、着る物食べる物すべてが新鮮で興味深く、チャングムという一人の女性の激動の人生が歴史の流れの中で展開されるのを瞬きをするのも惜しいくらいに見入りました。

もっと韓国ドラマを見たい、韓国のことを知りたいと思いました。やがて地上波でもドラマが放送され始めたので見れるだけ見て、レンタルDVDも借りれるだけ借りて、睡眠時間を削ってでも見まくりました。韓国ドラマの感想ブログも増えて、読んで回るのも楽しかったです。

が、2012年に李明博大統領(当時)が竹島に上陸したあたりから日韓交流に陰りが訪れて、と言っても政治分野での話ではあったので、ドラマもkpopも変わらず日本に入ってきてはいたのですが、私は「韓国ドラマの感想を大っぴらに言う人が減るだろうな」と思いました。案の定、ブログを止める人、中には「韓国ドラマの感想は控える」とわざわざ宣言する人もいました。

嫌韓」という言葉が出回る世の中で、その言葉を振りかざしてデモをする人々がニュースになる中で、「私は韓国が好きです」と公言することは勇気を必要とする空気が生まれていったのです。ネットでいつ絡まれるかもわからない、現実の場面でも「日本の領土を占領する国の何が好きなんだ」と挑まれるかもわからない。そういうリスクを避けたいと思うのは仕方がないことだな、と思いました。

私はといえば、空気は基本読まないですし、読んでも、同調するか無視するか反論するかは自分で決めるしかないと思っています。ので、嫌韓という空気に対しては柔軟に抵抗しようと思いました。

やることはひとつだけです。「私は韓国が好き」と言い続けること。なぜ好きなのか、どういう魅力があるのかを、いつでも説明できるように自分の考えをまとめて言葉を磨いておこうと決めました。

「柔軟に」というのは、声高に論陣を張ると人は耳をふさぐと思うんです。押し過ぎず引き過ぎないように加減しながら、今ならこちらの話を聞いてもらえるかな?というタイミングを見計らって、にこにこ穏やかでひかえめだけれども自分の意見は伝える、というスタイルです。

「アンニョンって『安寧』って書くんですよ。相手の安寧を祈る言葉が挨拶になっているんです」とか「韓国は『愛してる』と口にする文化みたいですよ。ドラマの中とはいえ、高校生男子が父親に『父さん、愛してるよ』って普通に言いますよ」とか、韓国ドラマを見たことがない人に話すと非常に関心を持っていただけます。

BTS防弾少年団)の人気の一端にも触れてみましょうか。彼らはツイッターでの発信が多いのですが、コンサート後すぐに「今日は寒かったね。温かい飲み物を飲んでお風呂に入ってね」などと、共に寒さを分かち合ったね、とばかりにファンに向けてすぐツイートしますし、グラミー賞でパフォーマンスをした時も「ARMY(BTSのファンの名称)のみんなが僕たちをここに連れてきてくれた」とファンへの感謝と愛情を常に伝え続けます。ファンはARMYの一員であり、BTSは一員である自分にも語りかけてくれていると思えるんですね。

日本と韓国の長くて複雑な歴史を考えた時に、現在の政治分野での関係悪化もまた先へ続くための一過程だと思います。忍耐と協調と努力で未来にバトンをつなげたい。そう思いながら、韓国ドラマやkpopについて語ることは、十分に「政治的な発言」だと私は思っているのですが、どうでしょうか。

最近、ツイッターで芸能人の政治的発言が話題になりましたが、狭義の政治用語を使うだけが政治的発言じゃないよな、と思ったので自分の考えを書いてみました。

 

 

 

ではまた。