私は「Flowerwall」を「お迎えソング」と呼んでいます。メロディがあまりにキレイで「このままお迎えが来てもいい・・・」と思ったからです。2、3回はぼんやり聴いたところで、ふと歌詞が立ち上がってきました。
フラワーウォール 目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた
思ったのは、「壁は乗り越えないの?」というのと「『立ちふさがる壁』が『守る』って、何?」というものでした。
この歌は、全編男の子のモノローグです。女の子と出会って気持ちが通い合う喜びを歌っています。
それでも嬉しいのさ 君と道に迷えることが
沢山を分け合えるのが
フラワーウォール 僕らは今二人で生きていくことを
やめられず笑いあうんだ
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた
花の壁が自分たちを拒むのか守るのかわからずに、壁の前につっ立って、ずっと手をつないでいるおふたりなんですが、まあ、ここはいいんです。お幸せそうでなによりです。ここで気になるとすれば、フラワーウォールちゃんの意志がどこにも見られないことです。この女の子の言動描写がないので、私も人物造形はできないし、しません。だって米津さんが歌っていないのだから。
まあ、でも、男性が「僕たち何も言わなくてもわかりあってるよね」と嬉しそうに言う時、女性の方は「(怒)」ってなってることが多いように思うので、できればフラワーウォールちゃんとお話し合いをされた方がいいように思います。
本題はここではなく、壁を乗り越えようとしていないことと、壁が守っているのかもしれないという点です。
花でできているなら容易に壊すことができて、向こう側へ行けるだろうに、なぜ何もしない?向こう側に行くことを欲していないのか?
そして、立ちふさがっている壁が「自分たちを守るかもしれない」という感覚に、正直ぎょっとしたのです。唯一、米津さんの言葉の中で、これだけ、私はどうしようもない違和感を覚えました。
理由はふたつあります。ひとつには、ベルリンの壁を壊すのに長い時を要したというのに、また壁を作ろうとする為政者がいることにうすら寒さを覚える昨今。ふたつめは、K-popファンが直面する韓国の徴兵制。南北が分断されたゆえに朝鮮半島が抱えている危機感。
私にとって、壁は分断の象徴でしかなく、それが何かを守るという発想はどうしても出てこない。
それで、米津さんのインタビューを読んでみようと思いました。
「“花の壁”っていうのが実際にあったとしたらそれはどういう感じなのかなっていうのを想像してみたんです。ネガティブな意味としての立ちふさがる“壁”と、ポジティブな意味としての“花”、その複合体である“花の壁”。それは幸せでも不幸でもないなって思って」
(音楽ナタリー 2015年1月14日)
立ちふさがる壁がネガティブとは思ってるのか、なるほど。と納得しました。特にここで何か引っかかることはなかったです。
私のいいところは(人が褒めてくれない時は自分で自分を褒めていく)、自分がわからないものはとりあえず素直に受け入れることと、一度疑問を持ったら、どれだけ時間がかかっても粘り強く解決の道を探るところです。この曲を最初に聞いたのが去年の夏くらいで、考えてもわからないので、この歌詞を丸呑みして腹の中に収めて、小さな熾火にして抱えておいて、一旦忘れて日常生活を送って、何かヒントが降ってくるのを待っていました。が、何も変わらないので、今年に入ってインタビューを読んだんです。
作品としては何もおかしくはありません。男の子と女の子が出会って一緒に生きていこうね、というラブソングを、花でできた壁という抽象画の世界で歌っていて、天使が飛んでるような、ちょっと幻想的で宗教的な風味のある夢のような美しい曲です。
ただ、私が勝手に引っかかっているだけです。
キリアンはドイツが東西に分断されたから苦しんだんだよな、と少女漫画読みの私はどうしても思うのです。分断の象徴であるベルリンの壁を、そしてその壁の崩壊を、キリアンは、テオは、どんな気持ちで見たことだろうと思うと・・・。
ここで、はた、と思い当たりました。もしかしたらと調べてみました。
1949年 東西ドイツ成立
1959年 エドガーとアラン、西ドイツのガブリエル・ギムナジウムに転入
1961年 ベルリンの壁 建設
1989年 ベルリンの壁 崩壊
1990年 ドイツ連邦共和国に統一
1991年 米津さんお生まれに。この年、ソ連崩壊
そうか。米津くん、君はベルリンの壁がない世界に生まれてきたんだね。ソ連も知らないか。もしかしたら、香港は昔は英国領だったことも知らないかもしれない。ええ、そうです、私が女学生の頃は公園に恐竜がいたものですよ・・・。
昔々、ベルリンの壁をなでた風が
大陸を渡り
海を越えて
日本で深呼吸する私の肺に
するりと入り込んだ
私の表層は、ただ息を吸って吐くだけ
肺の中のベルリンの風は
私の中でくるくると回る
回り続ける 今も
君の胸に吹く風は
ただひとつの国 ひとつの街を通り抜けてきた
同じように大陸を渡り
海を越えて
君の肺を満たしたその風は
どんな感じだろうか
ベルリンの壁がない世界に生まれて育つのは
どんな気持ちだろうか
私には知り得ぬ風を抱く君が
何を見ているのか 聞いているのか
今 同じ時代の同じ呼吸が
何を生み出していくのかわからないけれど
どこにも行けないと歌う君も
いつかどこかに辿り着く
その景色を歌ってくれる日を
心待ちにしているよ
ショックのあまりつい詩作を・・・。いや、なんか形にしないとココロが持たなかったので。すみません。ベルリンの壁崩壊って、10年前くらいの感覚でいましたよ。ソ連崩壊は5、6年前くらい?いやはや、こんなに時間が経っていたんですね。
ええと、短絡的な結論を出さないのも私のいいところです。「壁が守るかもしれない」案件は保留にしました。たぶん、永久保留。簡単に、単純に、結論を出していい問題ではないと思いました。これは時代の変遷、人間の歴史の営みなので、何か結論らしきものが出るとしても、百年、二百年の時間は待たなければならないと思います。
この、結論の出ない曖昧さを抱えるタフネスは大事ですよね。百年後、二百年後に「Flowerwall」を聴いた人たちが、何らかの感想を言うと思います。その頃には壁に対する新たな意味が生まれているかもしれないから、それまで待ちましょう。