ボブ・ディランがノーベル文学賞をもらっても世界は変わらないのか

ちょっと思うところあって、米津さんのインタビューをいくつか読んでみました。「思うところ」はまた別にまとめますが、とりあえずびっくりしたのは、歌詞についてあんまり褒められてなくないですか??なぜ?それとも、これでも世間は十分に褒めているつもりなの??

私は若い頃から疑問なのですが、ミュージシャンのインタビューを読んでも、歌詞の意味性についてしか話題にならないような気がするんです。希望を歌っているとか絶望を歌っているとか、他者との関わりを通して知った自分とか。

それは、ドラマの感想で「話が面白かった」としか言っていないようなものだと私は思うんです。脚本はストーリーだけでなく、喜怒哀楽をどういう言葉で表現したかという視点も持てますよね。また、ドラマは他にも見るところはたくさんありますよね。役者さんの表情、体、声、髪型、服装、メイクとか、食べ物、飲み物、室内描写、ロケ地、音楽、照明、カメラワーク、時代劇だったら殺陣などなど。

歌詞も同様に、筋立てとか言いたいことだけでなく、どういう言葉を使っているのか、その言葉をどういうメロディやリズムに乗せているのか、歌詞を文字で読まずに聞くだけで何がどう聞こえてくるか、文字で読んで初めて気がつくことがあるか等、視点は多々あると思います。

なにより日本語は漢字・ひらがな・カタカナの使い分けがポイントにもなるわけですから、この3つの量の配分とか、漢字を想起させる歌い方をしているとか、外国語も組み込んでいるとか、気がつくことはやはりたくさんあります。

「私の若い頃」からはずいぶん時間が経って、その間、このテのインタビューをあまり読んでなかったのですが(韓国ドラマとK-popの世界に行っていた)、米津さんほどの歌詞に対してもまだ意味性しか語られないのはどうなってるの??と率直に思います。

 

例えばですけど、「脊椎がオパールになる頃」というツアータイトルについてはどなたか称賛されたのでしょうか。念のため、これ米津さんのオリジナルですよね?何かからの引用ではないですよね?違ったらごめんなさい。まあ、言葉をどう味わうかという観点で以下を読んでくださればと思います。

このフレーズ、息をのむほど美しくて私は声も出せなくてずっと固まって沈黙してました。でもこうやって語れるようになったのは、ツイッターでファンの方々が「脊オパ」って略してるのをみて大笑いして気持ちがほどけたからなんですが(なぜこんな間抜けな音律に略すんだ楽しい)、「脊椎」というごく具体的で身体的でキャタピラのようにうごめく運動性をイメージさせる言葉を、「オパール」という美の抽象性と石であることの硬直性を持つ言葉で組み合わせているんですよ。二つの背反する要素を持った言葉をゆるやかにつなげる「~する頃」という普遍的で自己主張の少ない言葉の柔らかさ。この「頃」で静かに着地するんです、この言葉を目にした人の胸の中に。

しかも、漢字とカタカナの組み合わせなので、発語しても見た目も重過ぎず軽過ぎずという素晴らしいバランス。最高です。言うことありません。うっとり。

 

というように、言葉そのものの味わいも絶賛したらいかがです?米津さんの歌詞はこういう要素てんこ盛りなんですけど。

まあ、いいや。私は絶賛していきますね。感動のあまり沈黙している場合じゃないことがよくわかりました。詩の解釈や味わい方に正解はないので、最終的にはおのおの好きにすればいいんですけど、言いたいこととかあらすじとかの意味性ばかり追いかけてもつまらないんだけどな、と思ったまでです。

 

米津さんの言葉はほんとに好きです。漢字が多いので、繁体字の国に人気が高いのはわかります。MVを見てると「字も絵」ということも知っているだろうし。私は特にカタカナ語の使い方が興味深いです。外国語を完全に日本語化して取り込んでますよね。だから聞いていて違和感がない。カタカナ語が浮かない。そして、ブログの文章も一文の中にうねりとリズムがあって、言葉が生む波動がとても気持ちいいです。

 

 

今までは情報を遮断して楽しんでましたが、これからは情報も取り入れて楽しんでみます。「ハチ」名義のMVも見たのですが、「lemon」よりこっちの方が私の本来の好みに近かった。「マトリョシカ」「リンネ」「Christmas morgue」が特に好き。「マトリョシカ」のイカレ具合はホント最高。米津おにいちゃん、もっと素敵にイカレた曲を作って歌って!となぜかメンタルが15才になった私でした。