マスクと私 個人的判断の一事例

今回はマスクと私についてお話しします。

私は20代の頃からカバンにいつもマスクを常備しています。きっかけは、電車で酔っ払い集団と乗り合わせることがたびたびあり、お酒くさい空気を吸いたくないと思ったからです。

30代前半のある日、友人と夕飯の待ち合わせをしました。時は冬、やはり電車内の空気が悪いなと思ったのでマスクをして、そのまま向かった所、友人の第一声は「なんでマスクなんかしてるの!?変な人かと思った!」という率直で忌憚のないものでした。約20年前は日常でマスクをするのは「変な人」と見られることもあったということです。マスク大国日本でも。

それでも澱んだ空気は吸いたくなかったのでマスクは常備し、いつでも装着する習慣は変えなかったため、2009年のインフルエンザ流行でマスクが市中から消えてしまっても困ることなくマスク生活を続けました。不織布だけでは飽き足らず、手縫いで作製する技術も身につけました。

 

この行動履歴とは別に、ずっと不思議に思っていたことがあって、私はほとんど風邪を引きません。7、8年に一度くらいの割合で7度3分程度の熱が瞬間出て、でも市販の薬を飲んで半日もすれば治ります。風邪を引かないことについて自分では、帰宅後の手洗いうがいの習慣が思い出せないほど昔からあることと、食べ物の好き嫌いがなくてなんでも食べて栄養が十分にあるから?特に納豆・キムチ・ヨーグルトの発酵食品が好物だから?と考えていました。でも、いまひとつ根拠が弱いように思っていました。

 

もうおわかりかと思いますが、このコロナ禍を過ごしてみて、マスク習慣が長年風邪を引かない生活を大きく支えていたのだろうと合点がいきました。人類マスク生活のコロナ禍においてインフルエンザの流行が抑えられたことは事実としてあるからです。

コロナウイルスは変異を重ねて存在し続けている。人間が病気を分類する必要があるとしても、ウイルスは人間を忖度しない。ヒトは変わらず病に侵される。私は今まで同様の用心を続けるつもりです。約30年に渡る個人的な人体実験の結果、マスクひとつで抑えられることがあると実感しております。

また、自分の職業倫理上、お付き合いのあるお客様方からコロナ初期に「高齢者と同居している」「体の弱い家族がいてコロナ前から感染症には気をつけて暮らしている」とご相談を受け、それでもうちの会社との縁を切らないでいてくださった方々の前で自分がマスクを外すことは信義上できないと思っているので、今後も粛々とマスク生活は続けるつもりです。

以上を個人的判断の一事例として書きとめておきます。

 

 

ストリートスライダーズ 武道館 20230503

スライダーズ武道館の私的記録です。

「ロックコンサートにおける手拍子問題」スライダーズでも検証しました。そもそもこの話題を初めて知ったのは若い頃に聞いたラジオで蘭丸さんが話していたからです。私の中にこのテーマを植え付けたのはスライダーズなのでやらいでかという感じで臨みました。

結果、どうでもよかったかな。スライダーズファンの年齢増は高く、そしておそらく洋楽ファンとかなり被っていると推測。今更不似合いな手拍子が起こるわけもないです。

手拍子をしながら聴く音楽でもないように思うんですよね。お酒飲みながら聴きたいなーと前半は思っていました。私は赤ワインを飲むと脳みそにじゅわっと染み込むようなイメージを描くのですが、ハリーさんの声も同じような効果があるんですよ。脳みそにダイレクトに響く声。

歌詞について改めて書いておくと、ハリー兄さんの歌詞はたいてい横に流れていきます。

 

「凍りついた 駅に降りて

おまえのいる街まで

通り過ぎた 背中に今

流れる風を知った」(one day)

 

「ありったけコインかきあつめて

のんだくれオマエとどこへ行こう

見も知らぬ街まで飛ばそうか

行き交う車を目で追いながら

通いなれた店でグラス片手さ」(ありったけのコイン)

 

「道化師たちが 化粧を落として

パントマイムで どこかへ抜け出した

そんなことどうでも いいことだったのに

baby のら犬にさえなれないぜ」(のら犬にさえなれない)

 

「おまえしだいさ 西でも東でも

どこへ行こうと

吹き荒れる嵐の中」(風の街に生まれ)

 

 

「通り過ぎた」「流れる風」「行き交う車」景色が横に流れる言葉の数々。「道化師のパントマイム」も横に移動していくマイム。「西でも東でも」南北だと上下になりますが、東西だと右左のイメージ。スライダーズは地に足をつけて世の中と平行移動する。

ペイズリー柄と逆立つ髪の毛が若き日のハリーさんの象徴的なビジュアルでしたが、私は「きみはロックを聴かない」と自称する人間でしたので、この外見には若干抵抗がありました。でもその柄に柄を合わせた服装でずるずる歩いてマイクの前に立った青年の口から出てくる言葉は内省的な文学青年そのものの詩であり、その端正さに私は心底魅了されました。ロックを聴かない私がずっとロックというジャンルの音楽を聴き続けているのはこういう宝石が至る所にあるからだろうと思っています。武道館で約30年振りに聴いても研ぎ澄まされた言葉の輝きは変わらず、魂が潤う思いでした。

「風の街に生まれ」では、「西でも東でも」のところで思わず一緒に歌いそうになりました。私はコンサートで自分が歌うなど基本無いのですが、自然に歌いたくなるほど体の力が抜けた楽しく幸せな空間でした。

 

スライダーズ兄さんたち、ありがとうございました。ファンと一緒に健康で長生きしてください。そしてまた素敵な音楽を聴かせてくださいませ。

 

 

ではまた。

 

 

エレファントカシマシ「yes.I.do」とアリーナツアー

「yes.I.do」とアリーナツアーの感想です。

 

yes.I.doというタイトルを見て私は真っ先にピリオドが気になりました。文法上は打たない場所なので意図が知りたいと思ったのですが、ラジオ出演2件でのお話によると、結論、深い意味はないそうで、宮本さんが気合い(?)を入れて黒丸をまるまるっと書いたものがそのままタイトルになったそうです。よし!行くぞ!これで行け!というような強い気持ちが手から筆記具へと伝わって書かれた黒丸。

それは歌詞にも表れています。

 

「許せかつての俺よ

俺は今を生きてゆくぜ」

 

「問うな涙の訳を

生きる それが答えさ」

 

許せ(命令文)とかつての自分にきっぱり言う。自分は過去を振り切って今を生きるんだという宣言。問うな(命令文)と世の中に言う。流す涙も生きていった先でいつか何かの答えになるだろうと今無理に辻褄合わせの解答はしない。

「夢を追う人ならば知ってる」というフレーズも、これから夢を追う若者ではなく、何度となく追いかけては破れたり叶ったりを繰り返してきた人の言葉。円熟味のある歌詞。

しみじみと静かに心に入り込んでくる曲にせつなさを感じつつも迷いはなく涙は誘わない。エレファントカシマシは根本的にカラッと真っ直ぐ明るいと思う。

 

ツアーは有明に2回行きました。3月19日の雰囲気はシックでよかった。声援が少なめで大人の鑑賞だと思った。自分が年を取ったからか、こういう空気感はいいなと思った。21日の方はもう少し観客が弾んでいたように思う。宮本さんも21日の方がよりイカレてたと思う。

それで、「ロックコンサートでの手拍子問題」をエレカシでも検証してみようと思って、胸元で小さく表と裏の手拍子をいろいろやってみてました。

私が若い頃からロックミュージシャンは「ロックの手拍子は裏でやってほしい」と観客に様々な形で伝えてきたにも関わらず、30余年が経っても相変わらずロックコンサートで表の手拍子が起こり、ミュージシャンは苦悩しているようなんですよ。

エレカシでは表は起こらなかったし、宮本さんの手拍子誘導はタンタンタンタンと表裏両方でした。また曲によっては手拍子が宮本独自リズムの邪魔になるのではと熟知した長年のファンの支えもあってか、手拍子のみならずこぶし振り上げも曲に合わないという場面はなかったと思われます。

素人感想で本当に恐縮なんですが、エレカシの曲は常に前のめりな感じがして、裏の手拍子はちょっとまったり感が出ると思うので合わないと思ったのですがどうなんでしょう。そもそも私はじっくり聴きたい派なので手拍子なくてもいいんだけどなと思ったり実際途中で止めて聴き入ったりしていましたが、全く無いとなるとミュージシャンとしては淋しいとかあるのでしょうか。

感動にむせび泣く観客もいる中でおまえは一体何をやっておるのだと思われるかもしれませんが、エレカシはせっかくのロックバンドなんだからいろいろ試してみたかったんですよ。ちなみに宮本さんはお尻ペンペンは裏で取ってました。ペンペンは裏か・・と花道の宮本様を凝視しておりました。

ロックコンサートでお尻ペンペンって何・・?と思われた方はエレカシのコンサートに足を運びましょう。心身を震わす音、細胞に刻まれる声とともにお尻ペンペンや床はがし等々を体験してみてくださいませ。股のぞきもあるらしいですよ(混迷の一途)

 

 

2日ともとても幸せでした。エレファント10の皆様、ありがとうございます。この先も楽しい時間をともに過ごせる日が来ますように。

 

ではまた。

 

 

「彼女は買い物の帰り道」

エレファントカシマシの「彼女は買い物の帰り道」と現在のツアー内容について語りますので、これから名古屋、大阪に行かれる方は読まない方がよいですよー!

 

 

 

 

 

 

有明アリーナに2日行きまして大変楽しかったです。ツアーそのものの感想は別途改めて書きますが、今回取り急ぎツアーでも歌われた「彼女は買い物の帰り道」について語ります。宮本さんが、この曲を作った時は自分でも嬉しかったが反応があまりなかったとおっしゃっていたので、わかりましたおまかせくださいと思いましてございます。

まずは歌詞全文からです。

 

 

彼女は買い物の帰り道

誰かを思ってふと立ち止まり

真っ白に流れる浮き雲に

目の前を過ぎていく

小さな頃の思い出たちと

今を生きてく自分の姿重ねる

「でも私は誰かを愛してる」

 

投げやりな時間だけが過ぎる日は

目を閉じて心に話しかける

「私は何か間違ってるの?」

鮮やかな夕暮れに

たったひとつの願いをかける

「明日を誰かのために生きられるように」

きっと彼女は今を祈るのさ

 

毎日毎日心ぎりぎりミステリー

毎日毎日揺れてる心でイッツオーライ

 

「泣かない私は幻の中でまどろむ little girl

負けない心で立ち上がる・・・」

街はいつか夕暮れと心のシンフォニー

揺れる胸の奥の面影たちと

今を生きてく自分の姿重ねる

「でも私は誰かを愛してる 愛してる」

 

 

 

宮本さんの描く女性は一生懸命生きていて、つらくても負けたくないと思っていて、「誰かのために生きられるように」という高潔さを静かに抱いている。そして「誰かを愛してる」とは、まだ見ぬ誰かを愛する準備ができているということ。少女時代の幼い恋心からだんだんと成熟して大人の女性になった今、誰かにこの愛を与えたい、誰かと愛し合いたい、きっと出会えるその人に私のすべてを捧げたい。

宮本さんのソロ曲「rain」につながる女性像が2010年発表のアルバムに収められたこの曲に既に宿っていたのだと思います。宮本さんの瑞々しい文学性が顕著な掌編小説のような大好きな曲です。世間の反応は薄かったんですね。なんてことでしょう。見る目なかったのね。私がその頃エレカシを追いかけていたなら黙ってなかったのに。

 

今回のツアーでは、冒頭にエレファントカシマシのデビュー当時からの映像が時代を追って流れます。そこに重なる wish you were here の文字。君がここにいたら。つまり20代の4人がフィルムの中から観客に語りかけていることになる時制。ここに君がいたら、君の声が聞こえていたら、僕たちの売れなかった時代ももう少しはつらくなかったかもしれない。共に幸せな時間を過ごせたかもしれない。

そして最後に現れる曲タイトルと同じフレーズ

It’s only lonely crazy days.

唯一無二の、孤独でイカレた青春の日々。

 

私は不思議と泣きませんでした。今の彼らが格好良くて素敵だからです。オリコンチャートも動員数も今が最高&最大で末広がりのバンド人生。エレファントカシマシの幸せを願う者としてこんなに嬉しいことはありません。

ツアー後半も頑張ってね。愛する愛するエレファントカシマシの皆様へ。

 

 

森鴎外「鶏」

「石田は常盤橋を渡って跡へ戻った。そして室町の達見へ寄って、お上さんに下女を取り替えることを頼んだ。お上さんは狆の頭をさすりながら、笑ってこう云った。

『あんた様は婆あさんがええとお云なされたがな。』

『婆あさんはいかん。』

『何かしましたかな。』

『何もしたのじゃない。大分えらそうだから、丈夫な若いのをよこすように、口入の方へ頼んで下さい。』

『はいはい。別品さんを上げるように言うて遣ります。』

『いや、下女に別品は困る。さようなら。』」※

翌日、口入のお上さんが下女を連れてきた。十九、二十くらいの背の高い女で、背筋を真っ直ぐ伸ばして座っているのでいよいよ大きく見える。髪をきちんとまとめあげ、着物は新しいものではないが清潔に見えた。眼差しが明るい。名はいちと言う。早速、家のことを任せることにした。

「旦那様は何か口に合わないものはありますか」

「いや、特にない」

「わかりました。お掃除の際に扱ってはならない場所はありますか」

「特にない」

「庭に鶏がおりますが、旦那様は動物アレルギーなどは」

「いや、ない」

だんだんこちらが問い詰められているような気がしたが、ふと訛りがないことに気付いた。

「おまえは土地の者ではないのか」

すぐに察したらしく

「東京に2年弱ほど住んでおりました。小倉の者に違いはありません」

「そうか」

婆あさんに任せていた時同様、家のことには頓着しなかった。別当の虎吉が米や野菜をごまかして懐に入れていることも薄々気付いていたがそのままにしておいた。

1ヶ月が過ぎたところで、いちが紙切れを一枚出した。

「今月かかった費用でございます」

目を通すと先月よりいくらか減っている。

「旦那様、虎吉の不忠義に気付いておいでではないでしょうか。私ひとりにおまかせ頂ければもう少し切り詰められますが」

不忠義という言葉におかしみを感じたのと、節約できるならそれに越したことはない。少しばかりこの下女に興味がわいたので、言う通りにさせてみることにした。虎吉を解雇してしまったらいちに八つ当たりでもするといけないので庭仕事は引き続きやるように言った。給料は変わらず出すから励みなさいと言うと、虎吉は何か言いたそうにしたが、いちが睨みつけているのを見て黙ったままだった。

「七月十日は石田が小倉へ来てからの三度目の日曜日であった。」※

朝から遠くに太鼓の音が聞こえる。朝餉を運んできたいちに、最近よく太鼓の音が聞こえるがあれは何かと尋ねた。

「小倉祇園太鼓です。毎年、七月の第三土曜あたりにあります」

「そうか」

「しばらく練習の音が聞こえますよ」

「そうか」

いちは聞かれたことには答えるが、行かれてはどうですか、と言った世間話はしない。無駄話がないのは心地よいと感じていた。

午後は散歩に出かけたが、紫川を渡って市役所の前を通り小倉城まで来ると、なるほど祭りの準備に結構な人数が集まっていた。八坂神社に拝礼した後は特にすることもなかったが、市立図書館まで行って本を数冊借りて帰った。

いちはしぼったタオルと冷たい日本茶を出した。本を預けながら、氷はどうしたと聞くと、旦過市場で調達しましたと答える。汗をぬぐってタオルを渡そうと振り返ると、いちは目を輝かせて本をのぞきこんでいる。

「興味あるのか」

「あっ、失礼いたしました」

「・・・読んでもいいぞ」

「ほんとですか!?はっ、でも旦那様の後にいたします」

「いや、いい。特に急ぎではないからゆっくり読むといい」

「ありがとうございます!」

初めて若い娘らしい素直な表情を見た気がする。そういえば、自分はこの娘が字を読み書きできることをはなから当たり前のように思ってきた。今日借りてきたのは、トマス・アクィナス神学大全」、ベンジャミン・フランクリンの自伝、エミリー・ディキンソン詩集。最後のは原書。これを、読むのか?

夕飯の後、台所を覗いてみると、土間に腰かけて黙々と読んでいる。声をかけるのも、音を立てるのさえはばかられるような神聖な時間が流れている。そっと部屋に戻った。

翌朝、出勤の支度をしながら、面白かったかと尋ねてみた。

「はい!まだ全部は読んでいませんが、とても一晩で読める量ではありませんが、最近は図書館から足が遠のいていたので久しぶりに堪能できました!」

ああ、まあ、自分でも借りに行けるか、と今更ながら気がついた。自分の周りに図書館通いをする女人がいなかっただけか。

「期限は来週までだから、おまえが返しに行ってくれ。読み切れなかったら自分の名前で借りるといい」

「はい、あの、旦那様がお読みになられるのでは・・」

「それはいい。読みたくなったらまた借りるさ。おまえが全部読みなさい」

いちは少しばかり泣きそうな表情を見せたが、こらえて笑顔で見送った。

本を読んだからといって、いちの仕事に手抜きはなかった。家の中はいつも清潔で、食卓は贅沢過ぎず淋し過ぎず、そして費用は抑えられていた。

家の中が万事つつがなければそれでいいと思うものの、この娘の来歴がだんだんと気になってきたある日、郵便屋との会話を耳にした。

「あー、また隣町の教会宛ての手紙が混ざっとるやん」

「そうですか」

「ほら、うちの先生の名前、Mって山をひっくり返したみたいやろ、これを覚えり。あと、Rは何に似とるかねえ、もうこのまま覚えり!」

と明るく笑うと郵便屋も笑う。いちさんみたいに横文字の読める人間ばっかりやないけ、そんなん言われても困るっちゃ、と帰っていった。

好奇心に負けて、夕飯後の片づけに来た時に聞いてみた。

「おまえはどこで勉強したのか」

「あ、えー・・・、その、東京で、女子大に2年弱ほど通いました」

「何を学んだ」

「英語と、文学とか社会学とか、聴ける講義はできるだけ聴きました」

「東京で働こうとは思わなかったのか」

「その前に授業料がもう払えなくて。地元の篤志家の方に出して頂いてたんですが、その方が亡くなってからは出してもらえなくて、仕方なく中退しました」

「ここでも教師などできるだろう」

「中退で資格がないので。今は弟妹を最低限地元の学校にやるためになんでも働かないといけないんです。うちは貧乏ですけど幸い両親ともに教育には理解があるので」

「東京はどこにいたんだ」

「本郷です。先生のことも知っていました」

「そうか」

「先生のファンが知り合いにいたので」

「そうか」

「先生のご本はその知り合いから、宮本さんて方から借りて全部読みました」

「そうか。恋人か」

「・・・さあ。私は一番好きでしたけど」

最初に会った時と同じ明るいまなざしで、しっかりとこちらを見つめている。

自分は下女に別品は困ると言ったか?別品とはなんだ。女性はこんなにもつらく苦しく美しいではないか。

小倉には三年いた。ずっといちに居てもらった。毎日必ず勉強する時間を作ること、それもおまえのやるべきことだと話した。自分が東京に戻ってからは消息は知らない。住所を教えておいたのに手紙もよこさない。そんな暇はないのかもしれないし、甘えを嫌ういちの無言の表明なのかもしれない。いずれにしても、きっと元気でいることだろう。時々、自立した娘が遠くで暮らしているような錯覚を覚える。こんな風に思える娘に出会ったのは後にも先にもいちひとりであった。彼女は私のエピファニー、目を開かせてくれた大切な友人でもあった。

 

 

 

 

 

こんにちは。「宮本さんて方」を文豪に紹介するシリーズ第三弾です。ここが一番書きたかったところです。このワンフレーズのために話を膨らませました。

夏目漱石永井荷風森鴎外と書いてきましたが、ここでネタ切れかなあ。宮本くんが好きな作家で私も好んで読むという条件が揃ったら、またイメージ沸くと思います。

 

※印2か所が「鶏」からの引用です。どんな風に話をまとめていったかというと

・私の地元、小倉が舞台なので土地勘がある

・鴎外の小説はたくさんは読んでいないながらも、女性が自立してないよなあ、と思ってきた

・特に舞姫のラストは納得いかない。エリスがひとりたくましく子育てしたっていいやんか

・鴎外先生、ひょっとして男性を頼って生きる感情的な手のかかる女性が好み・・?

・世の中には自立した聡明な女性もいますよ、先生、と言いたかった

・7月10日という日付が記載されているのに小倉祇園太鼓に言及していない。昔は開催時期が違ったのか、小説なので敢えて取り込まなかったのか?この時期で祇園太鼓に触れないわけにはいかないので私は取り入れました。

私は小学校の後半を小倉城近くの小学校に通っていて、町に太鼓の練習の音がずっと響いていました。お祭り当日、学校は午前中のかなり早い時間に終わりました。本番で太鼓を叩く子供がいるからです。私は転校してきたのでそんな習慣はまったく知らず、学校が早く終わることにびっくりして、帰ると母もびっくりしていたことをよく覚えています。

私は大学からずっと東京暮らしなので、今の小倉はちょっと違うかもしれません。昭和50年代の小倉の記憶で書きました。

それから、正体不明の有能なお手伝いさんは「バベットの晩餐会」をちょっとイメージしています。ディネーセンは好きな作家です。バベットは映画も好きです。

 

「鶏」を読んで、紫川を散歩する鴎外を想像して楽しかったです。紫川の橋の真ん中で海に向かって立つと風向きによっては潮の香がかすかにしますが、北九州市工業都市なので、私の子供時代は鉄の匂いを感じて育ちました。過去の文豪に改めて、ようこそ鉄の町へ、とご挨拶も兼ねてこの話を捧げたいと思います。

 

 

では、また。

 

 

エレファントカシマシに聞いてみたいこと その2

あけましておめでとうございます。その2です。

 

①2017年「A-Studio」出演について

2点ほど驚きました。ひとつは高緑さんの「(4人でずっと一緒にいるのは)当たり前だと思ってた」

は???!!!とファンになって最大級と言ってもいいくらいビックリしましたよ!!そんなこと思ってたの!!??まるで仲良し幼なじみバンドみたいに聞こえるじゃないの!!ほんとに仲良しだったんだね!!全然そんな風に見えなかったよ??そんな可愛いこと思ってたんなら最初から言いなよ!!高緑くん面白いからもっと喋れ!!

と思いました。

ふたつめは宮本さんの「客に『拍手をするな!』と言っていたのはライブハウスで他のバンドのファンの女の子が自分たちにも拍手してくれるのでいいよそんなことしてくれなくてもという気持ちからだった」

わ  か  る  か  !!!!!

それならそうとそのまま言わんとわからんわ!!!!!単なる怒りんぼにしか見えんかったわ!!!

と思いました。

 

いやー、笑い転げました。面白かった。と同時に鶴瓶さんて本当にすごい方なんだなと畏敬の念を改めて抱きました。「悲しみの果て」は宮本くんの中で「人に愛されたいという気持ちがほんとに心から湧き上がって、それが曲に生まれた。その時みんなの心に伝わった曲」とおっしゃっていました。

「人に愛されたい」と宮本くんが思っていることをここまで喝破した評はなかったと思う。私は正直悔しいと思った。ファンがずっと感じていたことを明確に端的に言葉にしてくださって感謝の気持ちと同時に、何かを評するとはこういうことなんだというはるか高みを目にして悔しかった。エレカシ以外だったらここまで悔しくはならないだろうなとも思った。精進します。

契約を切られた時に高緑くんと石森くんが結婚していたことにも触れていましたが、ここら辺の私の気持ちは当時も今も、ちょっと変かもしれないのですが「誇らしい」という言葉が一番近いです。バンドやって結婚して子供もいることは豊かな人生だと思うんですよ。私の大好きなエレファントカシマシはそういう王道を行く幸せな人たち、と思って誇らしいんですね。なんなんだこの感情。

ファンに復帰する前は時々「宮本くんも結婚しただろうなー」と朗らかに思っていました。私のエレカシ愛は本当に恋心ではなかったんですよ。例えて言うなら「同じクラスの大好きな男の子たち」という感じかな。遠目に4人を見ていいなーあの人たちと思っているけど私のことなんか目にも入ってないだろうな4人とも彼女いるしはははといったところです。

質問というより感想でしたが、敢えて聞くなら高緑くんなんで喋らないの??冨永くんと石森くんは話そうと思ったら若干話すけど、高緑くんは話さないといけないと思ってないよね?話さないといけないんだよ??ファンも期待してるから喋りなよ??と問いかけておきますね。

 

②4人とも根はおっとりしたところがありますか?

これ若い頃から聞いてみたかったんですよ。おっとりというか、白黒はっきりつけたがる人がいなさそうだなとなんとなく思っていました。それが35年も続くコツなんじゃないのかなとも勝手ながら思っています。やたら騒ぎ立てる人とか決着をつけたがる人がいると集団は決裂しやすいように感じていて、宮本さんもああ見えて(どう見えて)冷静ですよね、たぶん。ご自分たちではどう思っているのかなと思います。

 

③愛読書が知りたいです

子供の頃に好きだった本と大人になってから出会った本が知りたい。どういう作家のどういう文章を好むのか。それを知ったらたぶん宮本くんの歌詞を4人でどう咀嚼しているのかがわかるような気がするんです。「星の砂」は15才の時に作った歌ですよね。その時からずっと宮本くんの言葉が4人の言葉になり音になって育まれてきたのだと私は思っていて、そこを解き明かすには4人の言語感覚が鍵になると思うんです。ここが心から知りたいです。

 

④洋楽のカバーはしないのですか?

オリジナルがもちろん一番聴きたいのですが、みなさんのお好きな洋楽も聴きたいなと少しばかり思います。歌詞は英語でも宮本オリジナルに翻案してもどちらでも。好きな男の子たちが好きなものを私も好きになりたいです。えへへ。

 

 

今回は可愛く締めました。一旦質問コーナーは終了。また聞きたくなったら質問ぶつけます。

そして念のために書いておくと、エレファントカシマシに問いかけるという形の私の考えの整理に過ぎませんよ。「問いかけ」は意図した文体です。好きな男の人を口説いているつもりで書いています。エレファントカシマシを口説くのは楽しいです。ではまた。

 

宮本浩次ソロ活動の感想です

宮本浩次さんのソロ活動が一区切りつくとMUSICAのインタビューで読んだので、改めてふたつほど感想です。

 

①ソロツアー中のインスタグラム「旅日記」を全部削除したことについて

私は基本的に誰のどういう行動も発言も「なんか理由があるんだろうな」と受け止めるのですが、旅日記の削除についてはモヤモヤしたまま受け止め切れずにいます。

47都道府県のコンサート会場を本番前に宮本さんが案内する動画で、会場内部や会場から見える景色を見せてくれるのがとても楽しかったんですよ。建築物やお城についてのコメントに宮本くんの知性と感性が感じられて、日本全国ホール探訪記としてもとても素晴らしかった。建築や美術に興味のある人が後々見てもとても興味深い資料になると思います。

動画としての質の高さに加えて、宮本くんてこんな穏やかな人だったんだ!と私は結構びっくりしていました。若い頃からall day all night不機嫌なイメージを抱いていてそれでも好きなんですけど、この柔らかい雰囲気の宮本くんは更に好きになるというか、ほんとに素敵な男の人なんだなあと感嘆したのですよ。

アーティストのよい宣伝材料になる動画をさくっと消してしまって、宮本浩次の魅力を世に広めようとは思わなかったのでしょうか。ツアーDVDにダイジェスト版が収録されてはいますが建築物にあまり興味がない切り取り方になっているような気がしました。いつでも気軽に見られる良さも失われてしまって、淋しさというか空虚さが心に残っています。まあ、なんか理由があったんでしょうけど、と諦めるしかないか。

 

②2022年ソロツアー→野音→カバーアルバムの流れについて

ツイッターではソロツアー後はエレカシの情報が来ると期待していたファンが結構いて、カバーアルバムというソロ継続の情報に少々動揺した意見も見受けられました。私はこの辺りはアバウトというか「カバー第2弾なんだ、そうなんだ。へえー」くらいで見せられたものをそのまま受け入れるだけというノンポリではあります。

でも、今年の野音を見ていると、宮本くんのソロ活動が増えたことはエレファントカシマシの友情が強まったというか、何か友情のような新たな感覚に4人が目覚めたんじゃないかなと思っています。

宮本くんはソロ活動を始める際のインタビューでは理由を聞かれて歯切れの悪い返答をしていたように思えました。ためらいの理由はソロ活動をしたら見捨てられるのは自分の方ではないかとどこか思っていたのではないかなと考えていました。

バンドの誰かがソロ活動をする、特に作詞作曲を請け負っている人がソロをやると、他のメンバーを見捨てて自分だけ利を得るかのようなイメージを世間一般は持ちますよね。そうとは限らないと思います。宮本くんに利を貪る印象が無いというファンの勝手な推測に過ぎないですが、テレビに出てもアルバムの宣伝をしないし、自分の魅力を伝える動画もあっさり消してしまうし、もう少し利益とか得になることを考えたら?と言いたい時が多々あります。

つまり、ソロ活動を続けるということは個の追求ではなく、確信を得たのだと思うんですよ。バンドもファンも世間も誰も離れたりはしない。だから安心してソロ活動ができる。カバー曲だけのコンサートもできる。バンドでやりたいことにも焦点が定まる。そういうことじゃないのかなと思います。

世の中に自分が求められてたくさんの愛情を受けていることにようやく気がついたか、というのがソロを見て思ったことですが、若き日の宮本くんだったら怒りそうなこの感想を今年の締めにしたいと思います。

エレファントカシマシを長年熱愛しているファンより。

 

 

このブログを読んでくださっている皆様おひとりおひとりにもご挨拶申し上げます。今年もありがとうございました。来年もよろしければお読みくださると幸いです。

よいお年を。