「石田は常盤橋を渡って跡へ戻った。そして室町の達見へ寄って、お上さんに下女を取り替えることを頼んだ。お上さんは狆の頭をさすりながら、笑ってこう云った。
『あんた様は婆あさんがええとお云なされたがな。』
『婆あさんはいかん。』
『何かしましたかな。』
『何もしたのじゃない。大分えらそうだから、丈夫な若いのをよこすように、口入の方へ頼んで下さい。』
『はいはい。別品さんを上げるように言うて遣ります。』
『いや、下女に別品は困る。さようなら。』」※
翌日、口入のお上さんが下女を連れてきた。十九、二十くらいの背の高い女で、背筋を真っ直ぐ伸ばして座っているのでいよいよ大きく見える。髪をきちんとまとめあげ、着物は新しいものではないが清潔に見えた。眼差しが明るい。名はいちと言う。早速、家のことを任せることにした。
「旦那様は何か口に合わないものはありますか」
「いや、特にない」
「わかりました。お掃除の際に扱ってはならない場所はありますか」
「特にない」
「庭に鶏がおりますが、旦那様は動物アレルギーなどは」
「いや、ない」
だんだんこちらが問い詰められているような気がしたが、ふと訛りがないことに気付いた。
「おまえは土地の者ではないのか」
すぐに察したらしく
「東京に2年弱ほど住んでおりました。小倉の者に違いはありません」
「そうか」
婆あさんに任せていた時同様、家のことには頓着しなかった。別当の虎吉が米や野菜をごまかして懐に入れていることも薄々気付いていたがそのままにしておいた。
1ヶ月が過ぎたところで、いちが紙切れを一枚出した。
「今月かかった費用でございます」
目を通すと先月よりいくらか減っている。
「旦那様、虎吉の不忠義に気付いておいでではないでしょうか。私ひとりにおまかせ頂ければもう少し切り詰められますが」
不忠義という言葉におかしみを感じたのと、節約できるならそれに越したことはない。少しばかりこの下女に興味がわいたので、言う通りにさせてみることにした。虎吉を解雇してしまったらいちに八つ当たりでもするといけないので庭仕事は引き続きやるように言った。給料は変わらず出すから励みなさいと言うと、虎吉は何か言いたそうにしたが、いちが睨みつけているのを見て黙ったままだった。
「七月十日は石田が小倉へ来てからの三度目の日曜日であった。」※
朝から遠くに太鼓の音が聞こえる。朝餉を運んできたいちに、最近よく太鼓の音が聞こえるがあれは何かと尋ねた。
「小倉祇園太鼓です。毎年、七月の第三土曜あたりにあります」
「そうか」
「しばらく練習の音が聞こえますよ」
「そうか」
いちは聞かれたことには答えるが、行かれてはどうですか、と言った世間話はしない。無駄話がないのは心地よいと感じていた。
午後は散歩に出かけたが、紫川を渡って市役所の前を通り小倉城まで来ると、なるほど祭りの準備に結構な人数が集まっていた。八坂神社に拝礼した後は特にすることもなかったが、市立図書館まで行って本を数冊借りて帰った。
いちはしぼったタオルと冷たい日本茶を出した。本を預けながら、氷はどうしたと聞くと、旦過市場で調達しましたと答える。汗をぬぐってタオルを渡そうと振り返ると、いちは目を輝かせて本をのぞきこんでいる。
「興味あるのか」
「あっ、失礼いたしました」
「・・・読んでもいいぞ」
「ほんとですか!?はっ、でも旦那様の後にいたします」
「いや、いい。特に急ぎではないからゆっくり読むといい」
「ありがとうございます!」
初めて若い娘らしい素直な表情を見た気がする。そういえば、自分はこの娘が字を読み書きできることをはなから当たり前のように思ってきた。今日借りてきたのは、トマス・アクィナス「神学大全」、ベンジャミン・フランクリンの自伝、エミリー・ディキンソン詩集。最後のは原書。これを、読むのか?
夕飯の後、台所を覗いてみると、土間に腰かけて黙々と読んでいる。声をかけるのも、音を立てるのさえはばかられるような神聖な時間が流れている。そっと部屋に戻った。
翌朝、出勤の支度をしながら、面白かったかと尋ねてみた。
「はい!まだ全部は読んでいませんが、とても一晩で読める量ではありませんが、最近は図書館から足が遠のいていたので久しぶりに堪能できました!」
ああ、まあ、自分でも借りに行けるか、と今更ながら気がついた。自分の周りに図書館通いをする女人がいなかっただけか。
「期限は来週までだから、おまえが返しに行ってくれ。読み切れなかったら自分の名前で借りるといい」
「はい、あの、旦那様がお読みになられるのでは・・」
「それはいい。読みたくなったらまた借りるさ。おまえが全部読みなさい」
いちは少しばかり泣きそうな表情を見せたが、こらえて笑顔で見送った。
本を読んだからといって、いちの仕事に手抜きはなかった。家の中はいつも清潔で、食卓は贅沢過ぎず淋し過ぎず、そして費用は抑えられていた。
家の中が万事つつがなければそれでいいと思うものの、この娘の来歴がだんだんと気になってきたある日、郵便屋との会話を耳にした。
「あー、また隣町の教会宛ての手紙が混ざっとるやん」
「そうですか」
「ほら、うちの先生の名前、Mって山をひっくり返したみたいやろ、これを覚えり。あと、Rは何に似とるかねえ、もうこのまま覚えり!」
と明るく笑うと郵便屋も笑う。いちさんみたいに横文字の読める人間ばっかりやないけ、そんなん言われても困るっちゃ、と帰っていった。
好奇心に負けて、夕飯後の片づけに来た時に聞いてみた。
「おまえはどこで勉強したのか」
「あ、えー・・・、その、東京で、女子大に2年弱ほど通いました」
「何を学んだ」
「英語と、文学とか社会学とか、聴ける講義はできるだけ聴きました」
「東京で働こうとは思わなかったのか」
「その前に授業料がもう払えなくて。地元の篤志家の方に出して頂いてたんですが、その方が亡くなってからは出してもらえなくて、仕方なく中退しました」
「ここでも教師などできるだろう」
「中退で資格がないので。今は弟妹を最低限地元の学校にやるためになんでも働かないといけないんです。うちは貧乏ですけど幸い両親ともに教育には理解があるので」
「東京はどこにいたんだ」
「本郷です。先生のことも知っていました」
「そうか」
「先生のファンが知り合いにいたので」
「そうか」
「先生のご本はその知り合いから、宮本さんて方から借りて全部読みました」
「そうか。恋人か」
「・・・さあ。私は一番好きでしたけど」
最初に会った時と同じ明るいまなざしで、しっかりとこちらを見つめている。
自分は下女に別品は困ると言ったか?別品とはなんだ。女性はこんなにもつらく苦しく美しいではないか。
小倉には三年いた。ずっといちに居てもらった。毎日必ず勉強する時間を作ること、それもおまえのやるべきことだと話した。自分が東京に戻ってからは消息は知らない。住所を教えておいたのに手紙もよこさない。そんな暇はないのかもしれないし、甘えを嫌ういちの無言の表明なのかもしれない。いずれにしても、きっと元気でいることだろう。時々、自立した娘が遠くで暮らしているような錯覚を覚える。こんな風に思える娘に出会ったのは後にも先にもいちひとりであった。彼女は私のエピファニー、目を開かせてくれた大切な友人でもあった。
こんにちは。「宮本さんて方」を文豪に紹介するシリーズ第三弾です。ここが一番書きたかったところです。このワンフレーズのために話を膨らませました。
夏目漱石、永井荷風、森鴎外と書いてきましたが、ここでネタ切れかなあ。宮本くんが好きな作家で私も好んで読むという条件が揃ったら、またイメージ沸くと思います。
※印2か所が「鶏」からの引用です。どんな風に話をまとめていったかというと
・私の地元、小倉が舞台なので土地勘がある
・鴎外の小説はたくさんは読んでいないながらも、女性が自立してないよなあ、と思ってきた
・特に舞姫のラストは納得いかない。エリスがひとりたくましく子育てしたっていいやんか
・鴎外先生、ひょっとして男性を頼って生きる感情的な手のかかる女性が好み・・?
・世の中には自立した聡明な女性もいますよ、先生、と言いたかった
・7月10日という日付が記載されているのに小倉祇園太鼓に言及していない。昔は開催時期が違ったのか、小説なので敢えて取り込まなかったのか?この時期で祇園太鼓に触れないわけにはいかないので私は取り入れました。
私は小学校の後半を小倉城近くの小学校に通っていて、町に太鼓の練習の音がずっと響いていました。お祭り当日、学校は午前中のかなり早い時間に終わりました。本番で太鼓を叩く子供がいるからです。私は転校してきたのでそんな習慣はまったく知らず、学校が早く終わることにびっくりして、帰ると母もびっくりしていたことをよく覚えています。
私は大学からずっと東京暮らしなので、今の小倉はちょっと違うかもしれません。昭和50年代の小倉の記憶で書きました。
それから、正体不明の有能なお手伝いさんは「バベットの晩餐会」をちょっとイメージしています。ディネーセンは好きな作家です。バベットは映画も好きです。
「鶏」を読んで、紫川を散歩する鴎外を想像して楽しかったです。紫川の橋の真ん中で海に向かって立つと風向きによっては潮の香がかすかにしますが、北九州市は工業都市なので、私の子供時代は鉄の匂いを感じて育ちました。過去の文豪に改めて、ようこそ鉄の町へ、とご挨拶も兼ねてこの話を捧げたいと思います。
では、また。