永井荷風「濹東綺譚」「つゆのあとさき」

永井荷風「濹東綺譚」「つゆのあとさき」を読み終わり、只今「あめりか物語」を読んでいるところですが、少しばかり感想を書きます。要所をネタバレますので未読の方はそのおつもりで。

 

荷風先生は無条件で受け入れてくれる愛情を求めていたのかなと思いました。

「濹東綺譚」から気になるところを引用しますと

「『あら、あなた、大変に濡れちまったわ。』と傘をつぼめ、自分のものよりも先に掌でわたくしの上着の雫を払う。」

「『さア、お上んなさい。』とお雪は来る筈の人が来たという心持を、其様子と調子とに現したが」

この下線のところ、さらっと書かれていますが、自分も濡れているのに「わたくし」の上着の雫を払うことを優先してくれたこと、「わたくし」の訪問を目に見えて歓迎してくれたこと、心に真っ直ぐ入り込んでくる好意を黙って受けながら荷風先生がじんわりと喜びを感じているように思います。

「お雪は今の世から見捨てられた一老作家の、他分そが最終の作とも思われる草稿を完成させた不可思議な激励者である」

「わたくしは散歩したいにも其処がない。尋ねたいと思う人は皆先に死んでしまった。風流絃歌の巷も今では音楽家舞踊家との名を争う処で、年寄が茶を啜ってむかしを語る処ではない」

荷風先生は1人でお住まいでしたよね。ご自分で選んだスタイルとはいえやっぱり寂しかったんですよね。雪ちゃんの職業は世間的には低く扱われるものだったと思うのですが、荷風先生は「彼女達の薄倖な生活を芝居でも見るように、上から見下してよろこぶのだと誤解せられるような事は、出来得るかぎり之を避けたいと思った」と言い、雪ちゃんのことを「ミューズ」とさえ言っている。

 

「つゆのあとさき」では、終盤の君ちゃんと「おじさん」のやりとりが秀逸というか、女給で身持ちが軽すぎる君ちゃんが昔の客の報復にあってケガをして、もう東京を離れようかなと思っているところに、そもそも君ちゃんの上京当時に色々悪いことを教えたおじさんが同じく尾羽打ち枯れた姿で現れて、なんとなくその様子に君ちゃんは「出来ることならむかしの話でもして慰めて上げたいような気もしたのである」。

ここの空気感が怖いくらい澄み切っていて、最後「おじさん」は君ちゃん宛に手紙を残して消えます。その中の「私はこの世の御礼にあの世からあなたの身辺を護衛します。そして将来の幸福を祈ります」が、荷風先生の日蔭の女性たちへの真心のようにも読めました。

 

うーん、荷風先生、先生の家族や婆や(いいとこの子なのでいたよね?)はこういう明け透けな愛情を与えてくれなかったの?示してもくれなかったの?「次郎物語」の乳母のお浜みたいに、よその子にもあふれる愛情を注ぎこむような女性が身近にいなかったのかしら。日蔭の女性たちだけがそれを与えてくれたってこと?

だったら、私みたような女学校を卒業して先生のお書きになる難しい本も好んで読んだりする進歩的な婦女子はあまりお好きではないのかしら。でも、「つゆのあとさき」の鶴子さんみたいな学がある良家の女性のことも悪くは書いていないし、鶴子さんが洋行するのも普通のことみたいに書いてらして、進歩的な女性はそれはそれでお嫌いではないと思うけど、先生を慰めてくれるのは葵上ではなく夕顔だってことなの?

私はどういう女性の心にも無償の愛は宿っていると思うの。私だって先生が寂しい時にはハグしてさしあげてよ?あ、でもハグまでね、それ以上はダメです。私の操は宮本さんて方に預けてるの。先生のことも宮本さんに教えていただいたのよ。私が一番好きな人なの。今度ご紹介するわね、歌がとてもお上手で素敵な方なのよ・・。

 

 

というわけで、宮本浩次さんがYouTubeで「濹東綺譚」を数行朗読したことで中学生の時に挫折して以来読んでなかった永井荷風の言葉が私の中で血肉となって得た感想を「荷風先生と私」にてお送りしました。

私の読書は作者との対話なので自然こういう感想になるんですよ。宮本くん、ありがとう、ようやく永井荷風が読めました。また何か朗読してくださると嬉しいな。やっぱり森鴎外かしら。高校生の時に「舞姫」の最後で怒ってしまって鴎外はあんまり読んでないんですよ。今読むと感想変わるかな。ま、その話はいずれどこかで。

 

 

では、またね!