アイラブユーと歌う理由

こんにちは。宮本さんの新曲3つ「shining」「sha・la・la・la」「passion」についての話ですが、ちょっと別の視点から入ります

今回の件でツイッターでは「だから最近『愛してる』とか『アイラブユー』とか歌ってたんだね」という感想を散見し、失恋の傷とは別に脱力いたしました。作者個人と作品の独立性について、混ぜて考えるのか、分けるのか、一部混ぜたり分けたりするのか、など考え方は色々あると思います。何が正解でもないと思います。でも、宮本くんの歌詞についてこう言われては黙っていられないのでお読みいただけると幸いです

結論から先に言います。宮本くんは50代になってようやく「愛してる」と歌うようになった。それは、ようやく社会性と社交性を獲得したと同時に、世の中が自分を愛している、ファンも自分を愛していると、ほんとにようやくわかったのだと思います。

20代で一度契約を切られて言わば無職状態になり、ファンの間では有名な大失恋をし、宮本くんは深い傷を負ったと思う。世間も愛する人も自分から去っていった、自分を振りかえってくれなかった、バンドの仲間は残ったけれど(これが一番素晴らしいことなんですが)、もう自分は誰にも受け入れてもらえないのではないか、そう考えても不思議ではない20代だったと推測します。

30代でヒット曲が出て、テレビでよくしゃべるようになって、ちょっと人生は明るくなった。タモリさんやダウンタウンさんが宮本の個性をお茶の間に馴染みやすいようにお披露目してくれた(と私は思っています)。でも、ファンの間ではまたしても有名エピソード「GLAYショック」(テレビ番組でGLAYの方により多く歓声が上がったらしいです)などがあり、宮本くんはどうしても疑心暗鬼から抜け出せない。

 

 

21世紀今日現在この東京じゃあ、さほどオレの出番望んじゃないようだが、
かまわねぇ オレはまだ生きている。そうさオレはまだ生きている

(「ハロー人生!!」)

 

 

この曲が収録されているアルバム「俺の道」(2003年)は、私は当時エレカシから離れていて聴いていなかったのですが、これを聴いていたら取るものもとりあえずエレカシに戻っていたような気がします。今聴いても、私でよければ力になりたいと心が疼きます。

40代のアルバムは、私はエレカシ前線に復帰してから全部後追いで聴いたのですが、「悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~」(2010年)の中から「明日への記憶」が印象深いです

 

 

家に辿り着いてドアを開けた 部屋に辿り着き今日の俺よさらば チクタク
午前零時一人の孤独な俺に去来する今日一日の出来事 チクタク
時計の針が俺をひきずる チクタク 思い出 後悔 欲望 チクタクチクタク
寝転ぶ俺に襲い来るお前への思い 勝利への祈りが
タバコの煙 揺らめく窓に心に
どこまでもどこまでも チクタク
俺の明日が始まってる…
始まってる…

 

 

深夜、静まり返った一人の部屋で時計の音だけが響く、時計の針が自分をひきずる、この「ひきずる」も宮本ワードですが、ひきずられて思うように動けない、飛べないという通奏低音が歌詞に依然としてある。

50代のアルバム「Wake Up」(2018年)ではちょっと様相が変わります。

 

 

わけもわからぬままやみくもに駆け抜けた日々よ
相変わらず俺は探し続けてるけど
ありがとうって いつかの友達と笑って
陽気に一杯やりながら
思い出に花咲かせたくなる

とまることない とまるわけもない
いつものいつもの顔のままでグッバイ

(「いつもの顔で」)

 

 

「ありがとう」「友達と笑って」「陽気に一杯」。言葉がふっくら優しくふくらんでいると思いませんか。次は同アルバムの「オレを生きる」。

 

 

のぼりの道の時やら くだりの道の時やら
忘られぬ思い出胸に来るぜ 今日は ああ ヤケに ああ

暮れてゆく町 風に吹かれ
オレは町を行く ただ町を行くのさ

悲しいなんて言ってられねえ
そうさ 笑いと夢抱いて
都会の風に吹かれ町をゆく 賑やかな
たぶんオレと同じ 風に吹かれ
自らの足どりを確かめながら 流れ流れてゆく

たまさか感ずる 最高の瞬間(とき)を
オレはオレを生きる

 

 

「悲しいなんて言ってられねえ」「笑いと夢抱いて」「最高の瞬間」。肩の力が抜けて「自らの足どりを確かめながら」穏やかな表情で歩いている宮本くんが浮かびます。人生ののぼりくだりも振り返る余裕が生まれて、何かに引きずられて飛べない俺ではなくなっている。

この後ソロ活動に入り、「君に会いたい 今すぐ会いたい」「どんなときも愛してるぜ」「僕らの新しい旅に出ようぜbaby」と、今まで宮本くんを抑えつけていたフタがぽんっと弾けたように、あまりにも率直に愛を歌い出すのです。

ソロワークとカバーアルバムが成功を収めた後、今回の新曲3つにたどり着くのですが、歌い方が優しい。がなってないし叫んでもない。カバーアルバムで女性曲に心身を傾けた効用だと考える。「shining」は「俺が俺らしく生きるために」などと男唄ではあるけれど柔和さに裏打ちされているように聞こえる。「sha・la・la・la」では「俺は絶対勝つってよ」の後の言葉が「強く 気高く やさしく」。強くは今まで通りだとして、気高くとやさしくに宮本ワードの変化の兆しを感じる。誇りをもって使命や運命に向かい合っている人の言葉だと思う。

NHKみんなのうた「passion」の歌詞は今までの歌に使われていた言葉が再利用されていて、最後に「俺は行く」で締めるので、いつもの宮本の俺の歌系に一見聞こえる。でも、「青い空 流れる雲 波には光がきらめいて」このなんでもない歌詞にちょっとびっくりした。こんな明るい楽しい歌詞は今までなかったよね。

長く暗い迷いの道を抜けた後に、ソロ活動という心機一転の機会を作ったこと、カバーアルバムで歌に集中したこと、それらが世間に拍手で受け入れられたこと、これが宮本くんが今「愛している」と高らかに歌う理由なんですよ。

 

はっ。私は宮本に失恋している最中だったのでは・・?失恋した人のことをこんなに切々と語るなんて、やっぱり私は宮本を愛してるんだなー。いいけど、別に。

今はまだ宮本の幸せを呪、祈ることはできないけど、しっかりまっとうに悲しんで、自分の本当の気持ち、一番大事な気持ちから目をそらさないで正直に伝える努力はします。宮本、ほんっとに好き。大好き。愛してるよ。またね。