「即興」について

書きたいことを書いて自分の軸を立て直すシリーズ・その2。

「即興」(インプロビゼーション)にまつわる記憶と考えをつらつら書きます。ほんとに自分のための考えの整理でしかないですが、よろしければおつきあいくださいませ。

即興について初めて意識したのは大学の授業で知ったパウル・クレーの言葉です。

自然主義的な習作で腕を磨いた私は、今また魂の即興画という私本来の領域に足を踏み入れる」

基礎があって初めて応用が可能になる、くらいのことは若い頃も常々考えていましたが、応用の段階に即興という概念が入るのかあ・・と何か閃くものがありました。

大学生の時、私はよく小劇場に通っていました。家庭教師代はお芝居かコンサートにつぎ込んでいました。好きな劇団のひとつに「青い鳥」があり、ある日、この方たちのトークイベントに行きました。渋谷のビルの一室で、お客は30~40人くらいだったか、私と友人たちは最前列に座って、目の前に役者さんたちがいてとても嬉しく恥ずかしく思ったのを覚えています。

トークの後、役者さんたちとお客さんの有志数人でちゃぶ台を囲んで即興のお芝居を始めました。役者さんが会話を投げかけていくのですが、参加したお客の中の30歳前後くらいの男性の受け方、返し方が朴訥ながらも自然でユーモアがあって、その人のおかげで場の空気がとても和やかになりました。青い鳥の役者さんたちが相手の中から引き出す力も大きかったと思います。

演劇におけるエチュードという言葉はその時は知らず、ああ、これが会話なんだなと思いました。相手の言葉を受け止める、一旦、咀嚼して返す、この時の自分に(自意識に?)過不足がない方がいい、良く見せようとせず、今自分が持てるものをそのまま提示して返す方がいい。相手の投げかけを受ける時は先入観を持たずにとりあえず聞いてみる、わかったふりはしない、わからない時はそう返してみる。

同時期にパウル・クレーの言葉に出会い、シュールレアリスムの本も少し読んで「待命状態」という考え方も覚えた頃だったので、クレーの「魂の即興」とは、他者の検閲はもちろん自己検閲もないところで何が生まれてくるかを積極的に(?)待命する、全力で緊張を解くという矛盾を成り立たせて自分の中に何が降ってくるのかを待つということかな・・などと考えていました。

やがて会社の仕事を始めて、人と接する仕事に就いて、相手と会話する時にはこの即興の感覚を意識しました。うまくいく時も失敗する時もあり、自分だけ投げかけても駄目だし、相手の力に自分が追いついていない時も成立しないし、と試行錯誤を重ねて、だんだん肩の力の抜き方もわかってきて、最近では対話が成立してもしなくても、とりあえず笑顔で相手を受け入れようとだけ思ったりもします。

仕事なので相対する前に準備することが多々ありますが、相手と会って話した感触によっては用意していたものを全部捨てる必要もあります。相手の声や言葉からその場で判断し直していきます。

会話の内容には、どこかに必ず本気を伝えようとすることが必要かなと思います。お天気の話では相手と本当に知り合うことはできない。本気の話はたいてい言いにくいことや聞きにくいことだったりしますが、それを不快にならないようにやりとりするのは難しくもチャレンジしがいがあります。

即興は芸術分野だけの項目ではなく、毎日の生活や人間関係を少し円滑にする考え方だと仕事を通して実感してきました。会社の仕事では「臨機応変」とか「柔軟に対応を」という言い方をするだけで本質は同じだと思います。

 

 

ほんとにただのつらつらした話をお読みくださってありがとうございます。最近言ってなかったですが、私が書いたものを読んでくださる方はおひとりおひとりが大切なお客様です。感謝は忘れておりません。これからもよろしければ足をお運びくださいませ。

 

 

では、また。