Nighthawksの歌と絵と

今回は米津さんの話を中心に進めます。

別に米津さんのことを忘れたわけではなく、飽きたわけでも、ましてや嫌いになったわけでもないですよ。こういう説明はおかしいし、いらないと思うのですが、このブログの流れを見ると、米津話が突然終わっているように見えてしまうかな、と我ながら思うので、ちょっと説明しとこうと思います。

私は、作品世界に入り込んでいって、ああでもないこうでもない、と考えるのが好きなので、同時に複数の作品について述べるのはやりにくいんです。それと、今たまたま男性ミュージシャンの話が続いているので、ひとりの男性について話している時に他の男性の話題を出すのは社交上のマナー違反かなとも思うので、話を分けているだけです。これからもまだまだ米津愛を語りますって。

 

私にとって米津さんがどういう存在か、結論から言うと「諦めなくてよかった」という感じです。

時間を遡りますと、私が20代の頃好きだったミュージシャンは、泉谷しげるさん、RCサクセション、ストリート・スライダーズ、それからエレカシなんですが、この方々のアルバムは聴き倒しましたし、コンサートも通いました。

私は今も昔も、歌詞が自分好みじゃないと惹かれないのですが、この方々の共通点は「歌詞がそれほど饒舌ではない」「表意に寄り過ぎず表音に寄り過ぎず」「たぶん、読書家」。最後は私の推測であり願望でもありますが、本を読まずして豊富な語彙の形成はありえないと思っているので、そこから逆算してみました。

言葉使いから察するに、語彙は豊富なはずなのに、歌詞は饒舌ではない。つまり、言葉の取捨選択と抑制が効いているのだろうと思いました。その厳しい言語感覚から生まれるそれぞれの個性を私はとても美しいと感じたのです。

ただ、一番聴いていたのは20代後半くらいまでです。その後は、仕事が忙しくなって終電で帰る日々が何年も続いて、コンサートに行く気力もなくなってしまったので、時々、思い出したようにCDを聴くだけでした。それと、日本のロックから気持ちが少しずつ離れていった理由がもうひとつ明確にあって、清志郎さんの「COVERS」の発売を巡る件で、私は清志郎さんの主張に賛同できなかったのですが、心酔する清志郎さんと異なる意見を自分が持つことは、一種の親離れのようなつらく苦しい気分だったのです。私もまだまだ若く、清志郎さんに心底憧れていたのと、「男性に異なる意見を言うのはお行儀の悪いこと」という古風な認識との葛藤もあったため、なんかもうあんまり聞きたくないな、と思ってしまったのです。このオールオアナッシングなところが若いですよね。

それから結構な年月、NO MUSIC LIFEが続きます。スマップのシングルCDだけは買って、あとはテレビから聞こえてきたものだけを聞く日々。

そして、十数年前から、韓ドラに耽溺し、kpopを聴き倒す日々が始まるのですが、韓国文化のパッションに魅せられてしまうと、クールジャパンに萌えなくなってしまって、余計に日本の音楽も聴かないし、ドラマも見ないし、というサイクルに入っていきました。

が、大河ドラマと朝ドラはなんとなく見ていたので、「窪田正孝くんいいな」→「アンナチュラルを見る」という回路をたどって、米津さんの「lemon」に行き着き、「菅田将暉くんいいな」→「『lemon』の人と歌ってるのか。聞いてみたいな」で、米津さんの「灰色と青」にようやく出会ったのですよ。

「灰色と青」を初めて聞いた日は、そらもう衝撃を受けました。寝る前に聞いとくか、くらいの軽い気持ちで電気も消して横になっていたのですが、一通り聞くなり飛び起きました。米津さんと菅田さんの声、そして何よりこの歌詞が、古典的な情景と、孤独と憂鬱を最後の明け方の光につなげていく美しさに、ほんとうに久しぶりに目が覚めた気がしました。

それで、「聞いてみたい」と思えた自分にほっとしたというか、新しく若い才能に期待することを「諦めなくてよかった」と思ったのです。

「COVERS」で大人になってしまった自分と、それでも清志郎さんの歌は好きであることと、自分で思っているよりも清志郎さんが亡くなったことに落胆していた自分とを、まったく新しい人たちがしゃんと立たせてくれたような気分なんです。「COVERS」の頃には生まれてもいない方たちなのに、これらすべて私の受容の問題に過ぎないのに、私は米津さんには感謝の気持ちがあります。おかげで元気を取り戻せました。

米津さんの歌について感想を書くことは「この若い才能を侵害せずに、過不足なく評価できるだろうか」という、自分の筆力へのチャレンジでもあります。年を取ると、若い人の無防備さやいたらなさが目に入りますが、そこにつけこんだり揶揄したりする大人が多いと思います。私自身、若い頃、そういう扱いをされて嫌な思いをしました。ので、私はそういう弱みにつけ込むような卑怯者にはなるまい、と思っていて、会社の仕事でも、若い方と接する時にはとても神経を使います。米津さんの歌を聴く時もかなりの緊張感があります。

あの、それで、米津さんのインタビューを読んでいると、ボーカロイド出身でバンドをやれなかったことが引っかかっていたけど今はバンドもやれたからよかった、とかおっしゃってますが、これは何?ボカロ出身て何か問題あるの??誰かになんか言われたの??なんか嫌なこと言われたのね?そんなのさー、「才能の出自なんかどこだっていいだろ」って言い返してらっしゃい(←おかあさん)(スパルタ)。

同じくインタビューで、「Nighthawks」という歌のタイトルは、エドワード・ホッパーの絵を知っていてつけたとおっしゃっていて、ちょっと嬉しかったです。私はホッパーの絵が好きなのですが、きっかけは「House Tops」というエッチングで、大学生の時に美術展で一目惚れでした。この「House Tops」、今考えると「灰色と青」の世界観そのまんまです。私はこういう雰囲気がほんとに好きなんだなと気がつきました。よろしければ検索してみてくださいませ。

アルバム「BOOTLEG」の中で、第一印象で好きなのは「かいじゅうのマーチ」だと書きましたが、これから米津さんは、誰も見たことがないような、美しく、気高く、力強いかいじゅうになるのだと思います。そのためにも、まずは30年、何が何でも生きのびてください。楽な道ではないけれど、米津さんならできますよ。時流が米津さんの味方をしてくれることを祈っております。で、私が生きていたら「30年ずっと好きでした」ってあらためて告白しますよ。