「おっさんずラブ」感想 韓ドラファンの視点から

私はここ10年くらい、日本のドラマよりも韓国ドラマの方をよく見ている。

その中で培われた視点で「おっさんずラブ」を見ると、アジア近隣でもヒットするのはよくわかる。

 

まず、春田はおばあさんを2回助ける。蝶子さんを案内する途中と牧との待ち合わせに向かう途中。春田のプロフィール「お人よし」を象徴しているのだと思われる。後者は春田と牧のすれ違いを起こしてラストを盛り上げるためだろうか。

韓国ドラマでもご老人を助ける場面はよく出てくるが、日本に比べてその意味合いは重い。韓国では年功序列が日本よりも厳しいので、目上の方に礼儀正しく接することはその人物の社会的評価に深くかかわる。

つまり、春田の行動は「礼儀正しく道理をわきまえた青年」と映る。ここだけでもこの作品の支持年齢が上がる。

 

次に、春田も牧も、よく泣いた。日本のドラマでこんなに自然に男性が泣くのは珍しいと思う。日本人男性は「人前で泣くことは男らしくない」と言われて育つことが多いのではないか。そもそも日本人には感情をあらわにすることはお行儀がよくないという感覚が強い。

最後の最後で部長に本当にお別れする時、春田は、田中圭さんは、心の底から震えて泣いているように見えた。男性がこんなに泣く姿は見たことがないな、と思った。

韓国ドラマでは男優さんたちは当たり前のように泣く。嬉しくても悲しくても、人前でもひとりでも、涙を隠そうとはしない。感情の発露が美しいのが韓国ドラマなのだ。それは見ている者の心を揺らす。喜怒哀楽は言葉の壁も国境も越える。

おっさんずラブ」は性別や年齢差や立場を越えて人が出会って惹かれていくドラマだと思う。その喜びも苦しみも泣きに泣いて正直に見せてくれた春田と牧の心模様が、広く海外に伝播していくのはよくわかる。

 

もうひとつ、黒澤部長の恋心は非常に韓国ドラマのそれに近い。しかし、これは手放しで肯定できない。曰く「初恋、もしくは純愛」「長い年月想っている」「愛を形で求める」「求愛行動がストーカーすれすれ」などなどである。

部長のフラッシュモブによる求婚など典型例で、ああいった目に見える形で愛情を伝えることを良しとする場面は韓国ドラマに多い。

私は私の嗜好上、ここだけは賛同しかねる。

部長が春田の家に押しかけて住み始めたのも、弱みにつけこむ悪魔の手法だ。牧にフラれたと思っている傷心の春田の隙をついたのだ。

でも、まあ、だからこの部長が仕事ができる人なのだとも納得する。わずかな機会も逃さず自分に都合の良い方向に物事を持っていく実力は認めよう。

 

かように韓国ドラマとの類似を感じながら、それでも日本らしさは隠せないものだなと思って見ていた。

春田家や黒澤家の内装、天空不動産の面々が案内する家々は日本の住宅事情が垣間見えて面白いなと思った。通勤風景、浜辺に湾岸、緑の多い公園もそれぞれに美しい。ちずのファッション、春田と牧の普段着も今の日本人の嗜好がわかる。

そして何より牧ごはん。牧の実家も含めて、普通の日本のごはんが淡々と映し出されていくのは外国の人から見ると興味をそそられると思う。

 

 

感情の起伏がはっきりしている韓国ドラマを見た後に日本のドラマを見ると、「あれ、そこで地団駄踏んで泣かないの?」「お母さん、ここは息子の肩をバシバシ叩いて怒らないとダメだよー!」と、“クール”ジャパンを実感する。ホットジャパンとは言われない所以がわかる。一言少なくて、感情に抑制が効いていて、なんだか静かなのだ。

それで、「おっさんずラブ」を見終わってしばらくして、はたと気付く。会社の屋上で春田を取り合ったり、ファミレスで叫んだり、仕事中にカミングアウトしたり、騒ぎたい放題だったよね。それで、みんな言いたいこと言ったよね、最終的には。牧くんがいろいろ我慢してたけど、もう我慢しないことにしたらしいし。日本人には珍しく感情をスパークさせたドラマだったと思う。

 

牧くんのお母さん役が「チャングム」の声の生田智子さんだったのも嬉しかった。牧くん、チャングムに育てられたのかー、そりゃいい子になるはずだ。

 このドラマは韓国でリメイクされるのではないですかね。春田の性格は、ハルモニ(おばあさん)たちに受けると思いますよ。