クレーム対応の心得

世の中クレームが増えているようですね。パンデミックで人心が荒れているんですね。

お役に立てるかわかりませんが、私はサービス業に従事して約30年、イコール、クレームと戦ってきた年月ですので、対処法を書いておきます。ネットで具体的な仕事の話などできませんので抽象化することはご了承ください。

 

まず、なんか文句言ってきたら「この人は本当は何が言いたいのだろう」と検討します。なぜならば、世の中のすべての人が自分の言いたいことを上手に言えるとは限らないからです。不安をぶつけているだけだったり、相手が悪いわけではないとわかっているが八つ当たりがしたい、単に話を聞いてほしい、クレームをつけているつもりはなく口調が乱暴なだけ等々、よく見極めることが肝要です。

相手の望みはこれかな、と当たりがついたら、謝るべきことは率直に謝り、できることとできないことを明確に伝え、こういう形で対応させてほしい、と提案してみます。

ここで平謝りすることにはあまり意味がありませんが、謝っただけで溜飲が下がって大人しくなる方もいるので、そういう相手にはさっさと謝りましょう。でも、謝罪で終わりではありません。仕事は情緒ではないので、謝った先に何を相手に提供できるかを伝えます。

やりとりをしながら反応を探っていきますが、相手の要望にどうしても対応できない場合は、できないと言い通します。ここで更に怒ろうがなんだろうが、できないことはできません。

これらの対応の軸は「誠心誠意」「嘘はつかない」というところでしょうか。虚偽や不善は必ず負けます。真実と善意が最大の武器です。

心をこめてお話を伺っても相手が無理難題を言い続けるようなら、思い切ってケンカしてもいいと思います。いいんですよ、こちらも人間なんですから、いつまでも我慢して理性的に対応できるとは限りません。

お客様に怒鳴り返した結果、訴えるぞ、とか、SNSで拡散するぞ、とか言われても、わかりました、って言いましょう。本当に訴えてくれたら法的に解決できます。SNSで拡散すると宣言してくれたなら、犯人がその人だと特定できるので警察に届けましょう。

ごくまれに、本当に大事なクレームを言ってくださる方がいます。こちらが間違っていたり不十分だったりしたことを怒らずに伝えてくださり、今後ともよろしくお願いしたいからお話しました、などと言われると、ああ、この人、うわ手だ、と心からお詫びしつつ、今度この手を使わせてもらおうと思ったりします。

そして一番大事なのは、「客とケンカしても最後は責任取ってやるから心配するな」と言ってくれる上司の存在です。こういう上司がいる職場は社員がクレームから立ち直りやすいと思います。

 

職種によってクレームも違ってくると思いますが、真正面から受け止め過ぎないことと、これは仕事上のことであり個人的に言われたわけではない、とどこかで見切ることが大事かなと思います。

 

そんなにクレームが大変なら転職すればいいのに、と思うかもしれません。転職した方がいい人もいると思います。でも、長年勤めている中で、クレームをつけてきた人がやりとりをするうちに怒りがほどけて、最後はお礼を言われることもあります。口汚い言葉を残して去った相手が数年後に低姿勢で現れることもあります。人間は現金だな!と思いますが、そういうお客様仕事の醍醐味を知ると、クレームは仕事全体のほんの一部に過ぎないこともわかってきます。

今、このたいへんな状況でクレーム対応をせざるをえない方々にそっと小さなエールを送ります。疲れていると思うので大声は出したくありません。できれば黙って熱いお茶を入れてあげたいところです。お互い大変だけど、あなたも私もまったく悪くない。時々現れる優しいお客様と仲良くして息継ぎしましょう。

クレームをつける方々には己の暴言を心底恥じ入る瞬間が訪れますように、と天使の心で祈っておきます。

 

 

あなたが咲かせた花を

あなたが咲かせた花を

誰も見なかったでしょうか

私はそうは思わない

今日は出会わなかっただけ

 

あなたの小さな問いかけは

どこにも届かなかったでしょうか

私はそうは思わない

相手はまだ返事を探しているのです

 

今日あなたが生み出した

香りや声は広がって

明日誰かが振り返る

 

顔を上げて目が合って

知らないのに知っていて

思わず笑顔になれる日が来たら

手を取って踊るから

初めてのうたを歌うから

今日はそのための深呼吸を

今日咲く花の美しさを

美しいままに咲かせてください

 

 

 

 

 

 

 

今年、やろうと思っていたことができなくなってしまったすべての方にそっと捧げます。

 

 

高名の木登りの話

困難がやってきた時の私の対処法は2つあります。

ひとつは「高名の木登り」(徒然草)。

木登り名人と呼ばれた人が、木に登った人に、高くて危ない所にいる時は特に何も言わず、あと少しで着地できるというところまで下りてきた時に「気をつけろ」と言う。

なぜかと聞かれた木登り名人は「危険なところは自分で気をつけるが、もう大丈夫となったところで間違いは起きるから」と答えます。

新型コロナは、今はまだ危機的状況だと思うので心身ともに緊張しているけれど、収束し始めた時に気を緩めないようにしなければ、と思うのですが、東京に住んでいて目にするのは、昼時に飲食店に並ぶ列、コーヒー屋で(オープンテラスとはいえ)対面で会話する人々、スーパーのレジで2メートル間隔でテープが床に貼ってあるにも関わらず接近して並ぶ人々。

311で大地震があっても津波を予想できなかったこと、予想を超えた事象が起こり得ると学んだ後悔が繰り返されているように見えているのは考え過ぎでしょうか。

まだ木の高いところにいるのに、すでに「気をつけろ」と医療関係者や専門家の声が上がっている。今、行動変容しなければ無事に木から下りることはできなくなるのではないかという不安がぬぐい切れません。

 

もうひとつの対処法は、上皇后美智子さまの「橋をかける」。

「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」

この一節はいつも私の頭にあります。特に「複雑さに耐えて生きていかなければならない」のところ。仕事でも人間関係でも「うまくいかないなあ」と思ったときに「そうか、これは複雑なことなんだ」と状況を整理することで、耐えていくことの腹が決まるのです。

今回、私が耐えて立ち向かう項目は、パンデミックを生き延びること、収束後に会社の仕事を回復させることの2つです。今は厚生労働省のサイトを読んで、どう行動するべきかと雇用調整助成金などの仕組みを咀嚼しているところです。

 

私の対処法は2つと書きましたが、結局はひとつなのかもなと気がつきました。文章を読むこと。このひとつに集約されますね。

世の中がどうなろうともくじけない勇気を、良心に恥じない行動を取れますように、善なる選択ができますようにと祈る日々です。

 

 

月は輝き続ける

今回は宮本さんのソロ活動についてと、少々私の自分語りになります。

 

宮本さんがソロ活動をすると知った時、私の感想は「ああ、そうなんだ」だけでした。エレファントカシマシのことはエレファントカシマシが決めることだし、一介のファンである私は見せられたものを100%受け入れるだけです。

インタビューを読んでいて、「なぜソロ活動をしようと思ったのですか」という質問を目にした時にようやく、そうか、ソロ活動の理由は聞かれるよなあ、と呑気なことを思いました。

宮本くんの返答を読んで、私に宮本くんの考えが理解できているとは思っていないのですが、エレカシが友人同士で40年やってきたことについて、ごく個人的な視点で思うところがあります。

 

うちは転勤族だったので、小学校4つ、中学は2つ通いました。高校でようやくひとつ。つまり、私を子供の頃からずっと知っている他人はいません。私には厳密にはホームと呼べる土地はないと思っています。ただ、ほぼ九州内だったので、九州は自分の「藩(クラン)」だとは思っています。両親は転勤を楽しむタイプだったので、自分の育ちを否定するものでもないです。転勤族という名称があるくらいなので、特殊なことでもないと思っています。

いろんな土地で暮らして面白かったのは、どこも「自分たちの言葉は標準語に近い」と思っていることです。全然違うし違っているからいいのになあ、と内心思いましたが口には出しませんでした。その土地しか知らない人々に言っても伝わりにくいと思ったからです。

一定のルールが浸透している場所に、違う場所のルールを背負って入っていく転校生の目には「それがすべてじゃないんだけどな」と思うことも多々ありましたが、あまり自己主張しないでおとなしくしていました。そのうち仲良しもできるだろうし、とひかえめに対処していました。

引越や転校は、「アウェイに置かれた場合の訓練」だと思いました。だんだんなじんで仲良しを作ることは「アウェイをホームに変える訓練」とも言えると思います。

 

エレカシの話に戻りますが、私には4人が長い年月一緒にやってきた気持ちを本当にわかることはないのだろうなと思っています。特に羨ましいとか憧れるといったウエットな感情はないですが、ソロをやりたいならやればいいのではというあっさりした考え方は、地縁を考慮しないドライな発想なんだな、と自覚できるようにはなりました。

まあ、やりたいならやればいいという考えも、もう少し正確に言うと、私は白木葉子型なので、「そこにリングがあるならさっさと上がって戦ってこいや」と背中を蹴飛ばす感じですかね。(葉子さんはもっとお上品)(出典「あしたのジョー」って言っといた方がいいですか・・?)

 

ホームの話ついでに、赤羽駅の発車メロディについて、もう少し語っておくと、これは地元があるバンドじゃないと成立しない。地元に愛されていることも必須条件。私のようにホームを持たないと思っている人間には、とてもとてもすごいことに見えているのが少しは伝わるでしょうか。

それに、これから先、「今宵の月のように」を発車メロディで先に聞く子供たちが出てくると思います。例えば、お母さんに連れられてスイミングに行く時に赤羽駅でいつもこのメロディを聞いていた小学生男子が、中学生になってテレビやラジオやネットとかで、初めてフルで聴く。「ああ、これ、電車に乗る時に聞いてたこれ、こんなにいい歌だったんだ」と開眼してエレカシにハマっていったりするんですよ。日常生活にエレファントカシマシが流れることは、現在の名誉だけではなく、遠い未来へ歌い継がれていく種まきにもなっているのだと思います。ほんとにほんとに素晴らしいことだと思います。

 

 

では、また。

 

愛には愛が返ってくる

宮本浩次さんのソロアルバム「宮本、独歩」の感想なんですが、ちょっと感想になるか自信がありません。

というのも、先行配信されなかった「Fight!Fight!Fight!」と「旅に出ようぜbaby」の2曲を聴いて放心しているからなんですが・・・。

 

「Fight!Fight!Fight!」では「I love you どんな時も愛してるぜ」とお歌いになっていて、私の心象としましては、聴いた瞬間ズザザーッとかなり後ずさって一度態勢を立て直した上でおそるおそる近づいて、宮本様のでこに手を当てて「うーん、熱はないか。じゃあ、一体どうして・・・」と困惑しているというのが正直なところです。

宮本浩次が「I love you」??「愛してるぜ」???

若い頃の歌詞は内省に次ぐ内省で、文学的内省は表現者の魂が通る道だとはいえ、「生きる屍 こんにちは」とか歌ってらっしゃった方が、タイトルに「珍奇男」とかつける方が、「どんな時も愛してるぜ」???

いや、まあ、その・・・私も愛してますよ。(愛には愛を返す)(そういうことじゃない)

 

「旅に出ようぜbaby」は、「ヴァネッサ・パラディみたい」という感想をツイッターで多く見かけて、私も「ああ、ほんとだ、ヴァネッサ・パラディだ」と思い、アルバム「ビーマイベイビー」の中の「Sunday Mondays」が好きだったなーと思い出したりしましたけどいやそうじゃなく、「宮本浩次の曲がヴァネッサ・パラディ風」というものすごい字面が成立するところが「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘」くらいの衝撃です。

 

 

いつか終わりが来るその日まで

僕ら 陽気な冒険者でいよう

きみを誘って行こう

僕らの新しい旅に出ようぜbaby

 

 

「baby」という言葉は宮本さんの歌詞にはよく登場しますが、この歌で初めて「自分がbabyと呼ばれている」気分になりました。今までは合いの手くらいにしか思ってなかったので(ひどい)、この点でも更に放心しています。

「旅に出ようぜbaby」は、一語一語の持つ意味が言葉の流れの中で調和していて、美しい一筋の光る糸が最初の一文字から最後までをゆるやかにつないでいるような気がします。

思わず顔が上がるような高揚感の中にごくわずかな淋しさが見え隠れして、もう若くもなく諦めたこともたくさんあるけれど、それでも、僕らの新しい旅に出ようよ、と手を差しのべてくれているような歌。

 

つまり、この2曲は聞き手に「自分に向かって愛していると言ってくれている」というポピュラーソングとして「正しい誤解」を与えているのだと思います。

「頑張ろう」系の歌は今までもあったけれど、「愛してるよ」系はなかったのではないでしょうか。宮本くんから愛してるよと言われた(気分になった)ら、どれだけ私が放心するかお察しいただけるのではないかと思います。

私が猫だったら宮本くんの膝から降りない。立ち上がろうものなら「ニャ!(だめ!)ニャニャ!!(ずっと抱っこしてて!!)」と抗議して、額を宮本くんのおなかにごりごりこすりつけている状態です。

 

 

それから「夜明けのうた」。これは長く長く歌い継がれると思います。美しくて祈りに近い歌。

ちょっと話がずれるようで、また戻りますが、私が子供の頃、「さすらいの太陽」というアニメがありました。歌手を目指す女の子が主人公で、産院でのすり替え、貧富の差、これでもかと降りかかる苦難、というベタな設定ですが、私は終わりの歌の「心のうた」が好きでずっと覚えていました。

 

 

うたは私の友達だから

苦しい時も私の味方

たった一人で淋しいけれど

心のうたをみんなのうた

みんなのうたが町いっぱいに

いつか広がる明日を信じよう

 

 

宮本くんの「夜明けのうた」は、この女の子が年を重ねて幸せになって歌っているような感じがしました。

 

 

夢見る人 わたしはそうdreamer 明日の旅人さ

月の夜も 強い日差しの日も 歩みを止めない

忘られぬ思い出も 空のこの青さも

ぜんぶぜんぶこの腕に抱きしめたい

わたしの好きなこの世界

 

時に悲しみに打ちひしがれて

ふと忘れたふりしてた涙が 頬をつたうよ

でも町に風が吹き 明日がわたしを誘いに来る

ああ ようこそこの町へ わたしの住む町へ

 

ああ 夜明けはやってくる 悲しみの向こうに

ああ わたしも出掛けよう わたしの好きな町へ

会いにゆこう わたしの好きな人に

 

 

 

歩みを止めなかった人々がこの静かな明るさにたどり着くのかなと思って聴いています。更に変な感想を言うと、この世を旅立つ時に「夜明けのうた」を聴いていたいなと思った。この歌でなくとも宮本くんの声を聴きながら旅立てたらいいな、とまで思いました。

 

 

 

 

 

 

 

私の宮本愛、ぜんっぜんテンションが下がらないですよね。自分で書いててちょっと引きます。宮本くんが最高を更新してくれるから下がる暇がないのだと思います。

結局、宮本好き好きとしか言ってない話になりましたが、ま、いっか。

 

 

 

では、また。

 

 

プレイリストふたつ

私は音楽はほとんどipod touchで聴きます。10数年前に買って、当初はNHKハングル講座と韓国ドラマのサントラやkpopをよく聴いてました。アルバムの曲順で聴くのが好きなのでプレイリストはほとんど作ってなかったのですが、ちょっと思い立ってエレカシのリストをふたつ作ってみました。

最近、エレカシを聴くと眠くなるんですよ。なんか安心して気持ちよくて。アルバム「Wake Up」だと5番目の「神様俺を」あたりで「おとうさんたち(4人)、お歌をありがとう(ぐっすり)」って感じです。おとうさんが4人くらいいると心強いですよね。好きな男性に父性を求めるのも乙女ゴコロなのですよ。

それで、どうせならと思って、まず子守歌っぽい静かな曲のリストを作りました。

 

「夜の道」

「秋―さらば遠い夢よ―」

「冬の朝」

「月夜の散歩」

「風」

「涙」

「傷だらけの夜明け」

「約束」

「七色の虹の橋」

 

タイトル「m(宮本)g(がなら)n(ない)リスト」。9曲、35分。

静かでしっとり染み入る曲ばかりで、眠れ・・・るかと思いきや、なんか素敵な男の人が素敵なことを素敵に歌ってるるるる!!!!とコーフンしてしまって眠れなくなりました。難しいですね。

 

もうひとつは、角川ビギナーズ・クラシックス古今和歌集」を読んでいる時にヒントを得ました。

解説のところで古今和歌集の配列が説明してあって、春夏秋冬の季節歌に始まり、賀歌(お祝いの歌)、離別歌、羇旅(きりょ)歌(旅先で詠む歌)、物名(もののな)(物の名前を詠み込む)、恋歌(恋愛の始まりから終わりまでを順に並べる)、哀傷歌(死んだ人を悼む)、雑歌(ぞうか)(雑多なテーマの歌。嘆老、遁世、無常などが主)、雑躰(ざってい)(三十一文字でないもの、王朝の美意識からはずれるもの)、そして最後は大歌所御歌(おおうたどころのおんうた)(神事に関わる歌)。

エレカシの曲をこの考え方で並べてみると面白いかもと思ったんです。

エレファントカシマシ古今和歌集」(うーん、ちょっとタイトルいまいち)

 

「桜の花、舞い上がる道を」(春)

「今宵の月のように」(夏)

「夜の道」(秋)

「冬の朝」(冬)

「彼女は買い物の帰り道」(愛を求める歌)

「ハナウタ~遠い昔からの物語~」(順調な愛)

「笑顔の未来へ」(これもラブラブ)

「リッスントゥザミュージック」(別れの気配)

「七色の虹の橋」(終わった恋の思い出)

「孤独な旅人」(ここから4つ旅の歌)

「永遠の旅人」

「旅」

「旅立ちの朝」

「風」(旅に出て風に吹かれるイメージでここに)

「風と共に」

「涙」(泣くのも大事なテーマ。ひとつ入れとく)

「神様俺を」(神事?神様との対話)

「約束」(最後はこれにしたかった。私の好み)

 

18曲、1時間17分。古今和歌集の配列のままではなく、春夏秋冬→恋の歌の順の方がいいかな、とか、私の好みと勘でざっくり作りました。季節の歌は他にもいろいろあるので、その時の気分で入れ替えてみても面白いかもしれません。

「嘆老」は「Easy Go」だと思うのですが、嘆いてはいないよなーと思って入れませんでした。老いはわかっているけど、それでも行くぜ俺はやるぜ、が宮本節というか。

恋歌5つは、百人一首で言うと、56番から62番の和泉式部から清少納言までの華やかな女性歌人のあたりをイメージしてつなげました。

楽しかったー。すごいですよね、エレカシ。ひとつのバンドで古今和歌集作れるんですからね。私の愛情と敬意を込めて編んだリストをお楽しみくださいましたら幸いです。

 

 

 

ではまた!

 

 

橘則光という人

清少納言の最初の夫、橘則光について今回は書いてみたいと思います。前回の話を書く際に、角川ビギナーズ・クラシックス枕草子」をぱらぱら読み返して、初めてこの人物が頭に入りました。

枕草子内での一般的な人物像としては

・武骨な好人物で笑いを誘う役

・和歌は嫌いと公言

・武芸に秀でる

ですが、「今昔物語集」ではちょっと違って

・豪胆で思慮深い

・容姿もよい

 

清少納言が16才、則光17才の頃に結婚、後に夫婦関係は解消したものの、清少納言が宮中に仕えて再会すると、兄妹としての特別な親しい関係「妹背の仲」として公認される。

則光のエピソードとしては

清少納言の仕事の成功を、自分の出世なんかより嬉しいと言う

・和歌が嫌いなので、自分に好意を寄せてくれる人は、自分に和歌を決して詠まないでほしい。「もうこれで絶交だ」という最後の時にだけ和歌を詠んでくれと言う。

 

そして、七十八、七十九、八十段を読んで、「えっ、このふたりベストカップルなのでは・・!」と少女漫画魂がふるふる震えました。

清少納言は九十五段で定子様に「歌人として名高い父清原元輔の名が重くて和歌を詠みたくないんです」と本心を話したところ、定子様は「わかったわ、もう詠まなくていいわよ」と笑っておっしゃったというのですが、則光も「和歌を詠むな」と日頃から言っていた。

このふたりだけだと考えていいのでしょうか、清少納言に「和歌を詠まなくていい」と言ったのは。

結婚当初、16才の清少納言は、まだ自分の力の使いどころも将来もわからなくて、でも和歌の名家に生まれたプレッシャーは自覚していた。例えばですけど、夫の則光との和歌のやりとりも気が重かったところに

「なんか・・君の歌、固いね。漢文をよく読んでるからかな?」

と何気なく則光が言うんですよ。図星をさされた清ちゃんは

「なんでわかるの?なんでそんなこと言うの?だってこんなのしか詠めないし、おじい様やお父様みたいにはできないんだもん」

半べそくらいはかいたかもしれません。則光はかわいいなあと思いながら

「いや、俺、実は和歌嫌いなんだよね。君もあまり好きじゃないのなら、俺には詠まないでくれないか。返事するのが大変だからさ。俺のことが好きなら、詠まないでくれると助かるよ。約束だよ。それで、もしこの先、もう絶交だと思ったらその時にだけ俺に和歌を送ってよ」

 

そして八十段、宮中でのふたりの関係が疎遠になった時、則光は「それでもかつては夫婦だったのだから、遠目にでも自分を見たら、ああ、則光だ、くらいは思ってほしい」と手紙を送ります。

清少納言はここで和歌で返すのです。

 

崩れ寄る妹背の山のなかなればさらに吉野の河とだに見じ

 

(腐れ縁の私たち、山崩れでくっついてしまった妹背山の中のような仲だもの、川は堰かれて流れないわよね。私たちもそう)(もう決して「彼」とは見ないわ。よそだって、どこだって)「枕草子のたくらみ」より引用。

 

則光がこの歌を読んだのかどうか、返事もなく、それきり会うこともなかった、というところで則光のエピソードは終わります。ふたりが疎遠になったのは、政治的な理由、清少納言は定子様の元に、則光は政敵道長の側につくことになったから。

則光の上司の藤原斉信清少納言道長方にスカウトしようと画策し、兄貴分の則光に居場所を聞き出そうとしたが、則光は決して教えなかった(上司より政敵側の元妻を優先した)。

清少納言は、則光の立場がこれ以上悪くならないように、ここが別れ時なのだと察して「約束の和歌」を詠んだ。もうこれでお別れだという時にだけ和歌を詠んでくれ、と則光に言われた通りに。

 

 

 

今生は

これで最後だね

私たちは崩れ寄り混ざりあって

分かちがたいひとつの魂になった

若いときの恋の激情はもう流れないけれど

大好きだよ

私の最大の理解者だったあなた

私のコンプレックスをいとも簡単に

笑って溶かしてくれた人

来世で会えたら

また楽しく過ごそう

比翼の鳥になんかならなくていい

ただ、笑って幸せになるの

それまでしばしのお別れを

大好きなあなた、またね

 

 

 

 

「田中さん、橘くん、ごめんね、このプリントにホチキス止めたらここに置いて帰っていいから」

そう言って、先生は職員会議に行ってしまった。

日直だったふたりの前にはプリントの山が残された。放課後の教室にはふたりだけ。

「しょうがないね、やるか」

と橘くんが言う。

「あの、部活は?サッカー部だったよね」

「あはは、俺、赤点5つあって部活停止なんだよ、はは」

「そ、そうなんだ」

ふたりで並んで座ってパチパチ止め始めた。

「田中さんは部活やってたっけ?」

「ううん、なにも」

「中学どこ?」

「ルミエル女子」

「えっ、一貫校だよね。なんで高校受験したの」

「うん、その、あたし音楽科だったんだけど、普通高に行きたくて」

「・・・ふーん。そうなんだ。あ、じゃあ、楽器とかできるんだね」

「ピアノを、ね、3才からずっと・・・」

「すげーな!3才かあ」

「うち、音楽一家で、父も母も兄たちも音大出なのね。でも、あたし・・・」

沈黙が訪れた。橘くんは手を動かしながら待った。たぶん、何か言いたいんだろうなと思っていた。俺が聞いていいなら聞くけど、という空気が伝わったのかどうか

「あたしは自分はそれほど才能ないって思ったの」

田中さんはとぎれとぎれに話す。

「あたし、楽譜がないとダメなの。楽譜通りにしか弾けなくて、兄たちがセッションとかって自由に弾いてるのがさっぱりわからないの」

「それで、ダメだなって思って、あたしはこの道では無理だって思って」

泣くかな、と橘くんは内心ハラハラしていたけれど、田中さんの声には揺らぎがなかった。

「ここから頭ひとつ抜けるしかないと思って受験勉強したの」

ようやく顔を上げた田中さんの目には意志の光が宿っていた。

「でも、楽譜見たら弾けるんだよね、ピアノ」

「うん、まあね」

「どんなに難しくても?」

「う、まあ、たいていは」

「すごいじゃん。俺、ゲージュツ方面まったくわかんないからさ、楽譜みたら弾けますってだけでもソンケーするよ」

「でも、そんな人いっぱいいるよ」

「田中は田中だけだろ。田中が弾いたらそれが自分の音ってことじゃないの」

田中さんは目を開いて橘くんを見つめた。

「そう、かも」

「いつか聞かせてよ。ピアノ弾いてよ。弾きたくなったらでいいからさ」

「・・・うん!」

「約束な」

橘くんは気のいい笑顔を向けた。ああ、私、この人のことよく知らなかったけど、いい人なんだなと田中清乃さんは思った。いつか聞いてもらいたいな。今日帰ったら練習しよう。最近、弾いてなかったけど、聞いてくれる人がいるなら、また弾いてもいいな。

 

 

 

この前は

約束で終わった恋を

今度は約束から始めよう

真っ白な紙に

これから書くのは

きっと本当に幸せな物語

誰にも知られなくていい

あなただけに読んでもらいたい話を

どうか受け取ってください

一緒に笑ってくれたら

それだけでいい

 

 

 

 

 

 

さて、少女漫画魂が炸裂したところで、改めて参考テキストを。

枕草子角川ソフィア文庫と同ビギナーズ・クラシックス

枕草子のたくらみ」山本淳子著 朝日新聞出版

清少納言橘則光 訣別の理由」山本淳子著 京都先端科学大学 学術リポジトリ(という書き方でいいのでしょうか・・・ネットで検索して見つけたのですが・・・)

まだまだ勉強不足なので、私の創作部分以外のところで何か問題がないか不安ですが、もし間違いがあれば今後修正を入れたいと思っております。

 

清ちゃんと則光、最高のカップルだなと思います。定子様のために書かれたことを考えると、清少納言の元ダン自慢とも取れる。「ちょっとカッコいいやつなんですよ、聞いてください、定子様」って感じかな。則光を道化役にしたのは、道化を引き受けられるだけの度量がある男だってことを知らしめたかったのでは、とも思う。私の筆で、あなたがどれだけ素敵か書き残しておくわね、と思っていたかもしれない。

生まれ変わって幸せになってるといいですよね。

 

 

 

では、また。