「おっさんずラブ」感想 ガールズ編

ちずは可愛いだけではなかった。性格描写でさりげなくいろんなことを伝えていて、「お得意先にセクハラされたので怒ったら、相手に謝れと社内で言われたので納得いかなくて辞めた」「(春田に恋人の振りをしてくれと言われて)人前でいちゃつくような女は嫌いだ」という趣旨の返事をする。

内田理央さんの見た目の可愛らしさについ目を奪われてしまうが、ちずは強いし正しい。春田に告白した後、コンニャクの袋を下げたまま「じゃあね!」と去る時も手の振り方が肘から上がっていて豪快だ。女の子は手首から上だけをひらひらさせることが多いように思うので、ここでもちずのたくましさを感じる。

内田理央さんは、テレビ版「海月姫」でまややを演じたんですね。三国志はお好きだったのでしょうか。まややの役は三国志の知識を長々としゃべらないといけないので、もしそれまで興味がなかったら結構大変だったかも。

こんなきれいな女優さんも、きれいなヒロインをやっていればいいわけではないんだな、と思う。

 

蝶子さんが、部長がフラれたところを見てもらい泣きしたことでこのドラマは思う方向へ展開できたと思う。

30年連れ添った夫が、年若い男性部下を10年想っていて、自分とは離婚したいとか言ってきたら、部長がふられた時にざまあみろってなるのが普通だと思いませんか。私は思いますよ。

部長と一緒に泣いて、もう一度アタックしてみたら?と作戦まで立ててくれる。不貞を働いたのは部長の方なのに、蝶子さんの方が家から出ていく。これらの行動の根拠は、蝶子さんが仕事をしていて経済的に自立しているからではないか。夫に離婚されたら食っていけないという不安はみじんも感じられない。夫の身に起きたことを冷静に判断できる余裕があるのだと思う。

 

ちずも蝶子さんもマイマイもアッキーも、自分で稼いでいる。人に頼って生きていこうなどと考えている気配がない。春田の後輩の恋人も実業団の陸上選手、朝ドラ女優の檸檬ちゃんも働く女性。このドラマのヒットの要因は数あれど、女性の描き方もそのひとつだと思う。

 

それにしても、内田理央ちゃんはこの脚本を読んだ時に「えっ、林遣都が恋のライバル?それで、あたしが負けるの??」とか思ったりしなかったのだろうか。大塚寧々さんは「はあ?ヒロイン吉田鋼太郎??ちょ、待って、女優のあたしがヒロインじゃないの??」と衝撃を受けたりしなかったのだろうか。

きれいな女優さんがきれいなヒロインをやるだけでは済まなくなり、女優のライバルが女優とは限らない時代になったということですかね。

世の女優さん方は、その胸の奥にある女優魂に火をつけてはくれまいか。

おっさん役者がヒロイン役を奪ってますよ。姐さん方のシマを荒らしてますよ。このままでいいんですか。

「チワワに負けてたまるか」と奮起していただいて、女優の面目躍如と言われる姿をいつかどこかで見せていただけると私は嬉しいです。

 

 

田中圭さんと林遣都さんはですね、今後も女優さんとのラブシーンの方が多いかと思うのですが

「なんか、遣都みたいにグイグイこないなー」

「やっぱり圭くんの時みたいに本気で洋服投げとかできないなー」

「「いや、いいんだけど」」

と、ちょっぴり残念がっていただけると嬉しく思います。

 

「おっさんずラブ」最終回を迎えて(ネタバレます)

大満足の最終回でした。このドラマを世に送り出してくれたすべての方に感謝したいです。

第1回から見直してみると、2回目くらいまでは、単に気のいい不動産屋さんのお兄ちゃんの話と言えなくもない。「人と街が好きじゃないと営業はできない」など春田がちゃんと仕事をしている姿も垣間見える。それが、回が進むにつれて怒涛のラブストーリーに転がっていって、最終回のふたりの海辺での紅白ハグ(いや、お衣装が赤と白なので)ではあまりの幸福感に泣けてしかたがなかった。

 

私は春田を見ていて「この人、誰?」と思った。もちろん田中圭という役者は知っている。でも、春田を演じているこの人は、誰なの?田中圭ってこんな人だった・・・?と問いかけずにはいられない。

スターの挨拶の常套句として「次の作品では新しい姿をお見せできるように頑張ります」というのがある。田中圭は、本当に新しい姿を見せてくれたのだと思う。私のように「知ってはいるけれど」程度の視聴者をくぎ付けにしたのだから。これからももっと見たいと思わせてくれたのだから。

 

林遣都は・・・遣都くんは・・・ちょっとマジで怖い。嫉妬の表現としてテーブルの下で春田の足をつねったり、春田の作ったものなら牧は食べるだろうと餅粥を食べたり、自分の過去の恋愛が「気になる?」との小悪魔発言が、すべてアドリブって!!!

林遣都の魔性を見たというか、単に今まではこの魔性を引き出す役柄ではなかったのだろう。「銀二貫」で魔性はいらないよね。こんなに恋に身を捧げる役柄はまったくイメージしていなかったので牧のキャラクターはやはり「新しい姿」だった。暗く重く熱い気持ちが底にあって、普段は表に出さないけど、いざという時にゆらゆらと立ち上ってくる。それが「春田さんなんか好きじゃない」だったりするので、単純な春田にはとてもわかりにくい。

 

吉田鋼太郎さんは「おまえが俺をシンデレラにしたんだ」の風圧がすごかった。役者さんは、脚本を手にした時にどういう気持ちになるのだろう。大ベテランになった今、こんな乙女台詞を言う日が来ることを予見できていただろうか。年若い制作陣からの挑戦状のようにも受け取れたのではないか。

私自身が黒澤夫婦の世代に入るからか、若い人との関わり方も興味深く見ていた。マロのような男の子は希少だ。蝶子さんをひとりにしないためのやさしいフィクションだと思う。

最後に部長が春田の手を放したのも、若くはない故に決断できたことだと思う。自分の気持ちに正直でいたいが、若い人たちの未来は自由で明るいものであってほしいのも本音なのだ。春田が自分に流されているだけだということは、部長は最初からわかっていて、でもこの恋に夢を見ていたかった。はるたんが戻るべきところに戻る日が来たら、せめてみっともない真似はしないでおこう。

部長のとった行動はパワハラ満載だが、恋の幕引きはご立派だったと思う。蝶子さんの健やかな様子を見ていると、本当のパワハラ人間ではないということも伺える。

 

最終回の春田の「牧が好きだ」から「ただいま」「おかえり」に至るまでが白眉だと思う。BGMが一切なく、ただ、春田と牧がそこにいる。ふたりが生きて愛し合っているだけ。それがこんなにも心を揺さぶるものだとは思ってもみなかった。

田中圭さんも林遣都さんも、よく泣いた。春田と牧を生きることは心身の底から共鳴し合う出来事だったのではないか。おふたりとも、ふたりを生きてくれてありがとうと心からの感謝を伝えたい。

 

「おっさんずラブ」最終回前にちょっと感想

一体、自分は何を見ているのだろうか。なぜこんなにも魂を奪われているのか。
まさか、土曜の深夜に気楽に見始めたドラマにここまで入れ込む日がくるとは思っていなかった。毎日ツイッターを検索しているが、#おっさんずラブのタグでつぶやきが止まることがない。いつ見ても大量の思いがどんどん流れていっている。はあ。
何が自分をここまで揺さぶったのか、いろいろ考えに考えてみた。言葉にしないと気持ちが収まらない。


役者の魅力、脚本の繊細さ、受け狙いのない演出など語りたいことは多々あるが、そこから生まれた春田という人物の許容量の大きさに、視聴者は心を存分に預けているのではないかと仮説を立てました。
黒澤部長の行動を、自分が春田になったつもりで考えてみましょう。私なら絶対拒否。即答で拒否。いやいやいや、10年て。妻のいる上司から10年好きでしたとか、妻とは別れるからとか一方的に言われて、こちらの気持ちは無視で話を進める人を受け入れることはできない。身の危険すら感じる。盗撮は犯罪です。パソコンに私のフォルダー作るな。弁当とかなんか入ってそうでコワいわ。


春田は、驚きながらも上記のような完全拒否はしない。部長の奥様に名前を聞かれて「『はるたん』こと春田創一です」と答える。部長が名付けたあだな「はるたん」を受け入れ自ら名乗りさえする。困りながら泣きながらだったとはいえ。
幼馴染のちずの自覚もなかった春田への恋心に対しても、茶化すことなく受け止める。
そして牧のことは言わずもがな、同性は恋愛対象ではなかったはずだが、つきあってくださいと言われて、はいと答える。しまいには別れたくないと泣く。
こんな修羅場を立て続けにくぐり抜けながら、毎日ちゃんと会社に行って働く。飯を食う。この、何をされても、何が起こっても春田はいつも春田であるところに、このドラマを見ている人々は安心して心をまかせているのだと思う。


そのように安心して何の引っかかりもなく視聴できるドラマというのが稀有なのではないだろうか。なぜ引っかかりがないかというと、恋心にまっすぐ向き合っているからだと思う。部長は「こんなおっさんの上司に好きだって言われても困るよな、冗談冗談、気にしないで」などと逃げは打たない。ちずも「好き!」と飾りなく伝えた。この恋に嘘はつかない。告白した相手とこれからも顔を合わせ続けることはわかっているのに、恥ずかしさもみじめさもないわけがないのに、この気持ちをごまかしたりしない。このストレートに投げられた球を視聴者も胸の真ん中で受け止めたのだと思う。


さて、最終回はどうなるのでしょうか。ただひたすらに楽しみに待っています。